2016年総評が完成しました。(2017/10/10)

2013年 総評
2013年 次点

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このページは、2013年度KOTY総評の案を集めるページです。総評の審議に役立てば幸いです。
書き方テンプレートは編集ページにコメントアウトで掲載します。

総評案1 (ホームタウンストーリー)    

2014年06月18日改訂版(清書案を総評案1の作成者が融合させたもの)

2012年携ゲ板クソゲーオブザイヤーに次々と出現した糞ゲー、彼等による情報の交差は、
前年の平和に慣れたプレイヤーやスレ住民を谷底へと突き落とした。
その中でも、糞フルプライスで颯爽と来日し、
劣悪な操作と理不尽な難易度を我々に見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』は
大賞の称号を受けるに申し分ないクソゲーであった。

そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、
春一番とともに訪れた、2作品による被害甚大なクソゲー竜巻であった。

1年半に渡る5回の延期を重ね、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場した1本目は
3月7日発売、3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(開発:インターグロー、通称:オート)
このソフトは競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」が監修している
史上初のオートレースを題材にした"アクションレースシミュレーション"という耳新しいジャンルのゲームであり、
全国6箇所のオートレース場とオートレースモール通販でのみの限定発売と
"オートレース初心者お断り"の男らしい販売方法でスレ住民に挑戦状を叩きつけた。

画面の大部分を灰色のアスファルトが占め、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら、
コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押すだけのレーサーモードは
コーナー以外の全体が「自動操縦」であり、
プレイヤーからは「レースゲーじゃなく音ゲーじゃね?」と根本を否定される始末。
カスタマイズ機能は「高いパーツ買ってレースに勝てばいい」の一言で済むのだが、
高いパーツほど壊れやすく、ゲームなのかシミュレーションなのか当惑しかねない仕様である。
またレーサーモードの目的である"スーパースター王座決定戦"は
その年の優秀選手のみが出場できるが「敗北=一年間の作業が全て無」に帰る賽の河原仕様。
リセットや電源断は強制リタイア扱いとなり、オートセーブ仕様によりやり直しなどの一切は認められない。
そんな困難を乗り越えてエンディング"優勝"に辿り着いたとしても
優勝賞金の下に"優勝おめでとう"の文字がショボンと表示されるのみ。
表彰台でのシャンパンファイトなどの栄光のワンシーンが3Dで飛び出すようなことは勿論無い。
プレイヤー各自が想像する余地があるとも言える、ある種心に残るエンディング演出とも言えるだろうか。

また、現実世界のレースを予想してくれる予想師モードは、
同じ開発会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており、無難とも言える出来ではあるが、
その競馬予想ソフトは1000円で販売されていて、言ってしまえば最大で1000円の元しか取れていない。
さらに、"ネットに接続する事"と"レース出走直前での予想"が条件として課せられているため、
レースのない日時にレース気分を味わうような使い方は出来ず、眺めることさえできない。

単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう当ゲームが"ゲー無の究極"かもしれないと評され続ける中、
ゲームを買うなら♪でお馴染みのゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
JKAの『みんなで』計画は発売日以降も終わることなく続いていたのだ。

そして2本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは
3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(開発:Para Phray、通称:GIMI)
"VOCALOID"の中の一つ"Megpoid(GUMI)"を題材に
動画サイト等で人気の曲を収録した音楽ゲームとして出された本作は、
発表と同時に既存GUMIファンやボカロファンなどから声を上げ歓迎されていた。
…しかし、このゲームを開発した"Para Phray"は
2010年KOTY据置における次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』販社の新ブランド!
というニュースが流れるとともに陰る不安の声も見え隠れしてきていたが
…結果として不安は現実となり、"調整不足"・"作り込みの放棄具合"がニュースとして流れ出したのだ。

差分を抜いて全7種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
これだけならまだ良かった。
踊るGUMIに心を重ね、表示される譜面通りにリズムよくボタンを押すゲームの筈が肝心のBGMと譜面がズレており
「音ゲーとして成立していない音ゲー」というオートに続く新ジャンル作品となっていたのだ。
譜面のズレは統一性がなく千差万別で、ズレていない譜面を見た場合も「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥る始末。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音ライクなSEまでもが妨害するため、
ズレ回避には"BGMに耳を傾けない"という音ゲー全否定のプレイスタイルで望まなければいけない。
そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは「発生原因不明のフリーズ」。
唯一のセーブ手段「手動セーブ」すら行えないこともよくある話。
苦労の結晶を破壊されたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを筆者は祈らずにいられない。

ではキャラクターゲーム/ファンディスクとしての評価はどうだろうか?
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるのではないだろうか?
GUMIのような"VOCALOID"はそもそもキャラクターだけでなく、GUMIを用いて作成された"曲"が一番の要となってくる。
しかし、肝心の曲が"どんなに長い曲でも90秒でバッツリと雑編集"され、突然打ち切りの様に終わるとなれば、
作詞者・作曲者、そしてプレイヤーの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。

GUMIの衣装も誰が作ったのか分からないものしかない上、当然褒められるものでなく、曲と関係ないものが多い。
唯一の救いだったかもしれない"有名のダンサーによるGUMIのダンス"は前述の酔っぱらいカメラで台無し。元も子もない。
おまけ的存在である"GUMIルーム"も「コミュニケーションを楽しめる!!」との前振りであったが、
反応パターンは極少。会話が成り立っているのかも怪しいレベル。
プレゼントを渡しても中身は一切見やしない…。
ならば日記に感想でも?と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけ。
…この感情疎通の不可能なコミュニケーション不全のGUMIのことを、ファンは本当に"あのGUMI"と認識できるのだろうか?

と思っていたら公式ブログでは"GUMI"を"GIMI"と誤記。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言える。
開発側からもファンからも見放された"GUMI"っぽい娘は加害者でもあり被害者であり、
プレイヤーは(♯^ω^)ビキビキと血管を浮かべつつも、その不幸な生い立ちに涙したのだった…。

桜も散らす2体の門番を前に、KOTYの門を叩く者々は跡形もなく散っていく。
スレ住民が「これ以上のクソゲーはないでしょ」と油断し雑談に耽る中、
とうとう迫る師走、"年末の魔物"がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー(通称:ホーム)』(発売:スパイクチュンソフト、開発:トイボックス)
…牧場物語の生みの親、和田康宏氏が独立後に手掛ける新作の"ハートフルアドベンチャー"であり
ファンもそれ以外も注目した今作。
老若男女向けに見える楽しそうな田舎暮らしを描いたパッケージが期待を否応なく盛り上げたが、
しかし裏腹、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な苦く苦しい暮らしであった。

一々変わるカメラワークにより3D酔いに悩まされる日々。
一人で探索するには広すぎるマップ。
村人は主人公のダッシュよりも多少遅い程度のスピードでガシガシと歩いている為、
ただ村人に話しかけるにも先読み/先回りが必須。3D酔いは加速。
後に追加されるワープ機能は便利ではある反面、探索ゲームとしての楽しさを半減させ、
かといって使わなければカメラワークに酷い目に合わされる
「田舎生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら現実で吐き気と戦い、我に返ることも多々あるだろう。
操作感だけでこの始末である。

当初メインと思われていた"お店経営"は実は"ハートフルなストーリー"を見る為に必要な儀式の一つであり、
どう見ても「机」なのに「棚」と説明される「商品棚」に商品を並べ、お客が来たらレジ会計するという流れである。
が、棚には同一商品でも一つしか物が置けず、更に値段を記憶してくれるような現代的な機能は田舎にはない為、
商品が売れる→商品を並べる→再度値段を設定…という手順を踏まなければいけない。
そんな手間は面倒!という通常の神経を持った人の為にか、
商品を連続で客に押し付ける→倍以上のマネーをどこかからGET!となる"コンボ"があるのだが
「列を作ってお金を稼げばいい」の一言で済んでしまい、考えて商品を並べる僅かな楽しみも失わる。
かといって使わなければただただ作業で、ボールペン工場でのバイトとさほど変わらなくなる…
自分の手間が省ける→3DSが頑張る→過負荷→フリーズ、とお茶目な挙動を見せることも多々あり、
「田舎生活=スローライフ」をエンジョイしようとした筈が、現実でビクビクとプレイさせられ、我に返ることも多々あるだろう。
過酷な作業orぼったくりの押し売りの二者択一を選択させられるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来たプレイヤーには
サイコパスなブラック企業を創業することをお勧めしたい。

…では肝心の要、ハートフルな筈の物語/イベントはどうなのだろうか?
ハートフルと謳われたイベントは
「道に落ちている」or「店で買う」キーアイテムを「所持する」or「お店で販売する」事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、
どこに落ちているか?/いつ落ちているか?/いつ売っているか?はプレイヤーには一切告知されない。
なんとかキーアイテムをGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。

これらを乗り越えて見られるイベントは苦労に見合わない内容(例:おっさんに怒られた)等が主で、
思わず溜息を漏らしてしまうものが殆どだが、
中には"いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ"といったような
違う意味の溜息が出続ける超展開の鬱イベントも存在している。
…イベント発生後、殆どの村人はお構いなしの平凡な日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。

また、世界観から明らかに食み出ている耳障りで変えられないVOCALOID製の店内BGMや、
延々放置されたかと思えば、やたら難解な異次元の話になる"ばぁば"、
どこに入力するか誰もわからないままのパスワード等、
"Heartful story(心温まる物語)"と"Hurtful story(心傷つける物語)"を勘違いしているのでは?という指摘が相次いだ。
…プレイヤーの売った望遠鏡が遠因で少年が葬られる。
こんな体験が"Heartful"だと製作者サイドは本気で思っているのだろうか?

こうしてスレ住民に"クソゲー"として認められた3作が、大賞候補として集まった
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい。

それは『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めるのがとても困難であった。
その理由は、候補3作がどれも人に語っても伝わり難い方向のクソゲーであったからだ。
特にホームはそれが群を抜いて顕著であり、その上発売のタイミングが悪く、
検証による掘り下げが足りていなかった。

そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
それは、人を楽しませる為の一つの娯楽として成り立っているからだ。
では、人が楽しむゲームというのはどういうゲームだろう?
ゲームの目的を語られた仕様を元に、
自身の攻略法・技量を生かして到達したり
プレイヤー自身がキャラに成りきり目的を決めて行動できること…
それ以上に自身で遊べる事ではないだろうか?

今年の3作品は確かにプレイする事に苦痛を味わう事になる。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感がある。
明示された仕様を元に自身の技量や攻略法を駆使することで最終的には自力でクリアーできた証明が残ると共に、
ゲームならではの「緊張感」からの「解放感」が得られるのだ。

では、ホームはどうだろう?
プレイヤーが自力で解決すべき行為を運によるランダム性に変えられる事によって、
自身で考える/クリアーしていくといった要素が大幅に縮小され、目的は最後まではっきりとしない。
また複数の不明瞭な仕様によって 探索ゲー・お使いゲーとしての基本や楽しみがことごとく粉砕される。
ノーヒントでただただ放置されるこの苦しみからはどれだけ時間が経とうとも解放されることがない。
そして何より"自由度が高い"と言うジャンル特有の良さを極限に圧縮してしまった事によって
自身で目的を決めて自由に遊ぶ事が難しい作品になってしまったのだ。

プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
たしかにかつて、そうした手探り感をもつ名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さとで苦痛とでプレイヤーを苦しめた、
邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もまた存在した。

スーパーモンキー大冒険…未来神話ジャーヴァス…たけしの挑戦状…。
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らの方だ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは 禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。

プレイヤーの声に答えながら、
より自由に、より物語に入り込めるように、やりこめるように進化してきたジャンルにおいて、
その「進化してきたもの」を取り去って全力で退化していくホームのその様は、
まさにクソゲーとしてふさわしいものであった。

こうして"年末の魔物"として姿を現したホームは、スレ住民に検証する事の大切さを説いたと共に、KOTYの王冠を見事手に入れる事が出来たのだった。

今年の携帯機版はある意味恐ろしい年であった。
仕様通りに作ったらできたものが虚無であるオート。
高級食材を手抜きに手抜きをした結果劇物へと化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない「運」をたたき付けたホーム。
この3本はどれも「ブランド力」を備えていたにも関わらず、調理した方向、目指したものがおかしくなってしまい、
最終的にはファンを裏切る形にとなってしまった。
特にホームはオート・GIMIより低価格な所や、ゲームショップ等での宣伝、海外先行販売、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ね、
その勢い衰えることなく他国にまで手を伸ばしている。
ある意味、最悪で最高のクソゲーであろう。

また、ホームは"年末の魔物"として携帯機版KOTYでは久々の勝利であったことも記しておこう。

最後にホームの開発スタッフ、
検証の為に散っていった者達、
そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、
とある偉人の言葉を拝借してこの2013年度KOTYを締めさせていただく。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」

総評案1-大賞理由部分改稿案1(ホームタウンストーリー)    

こうしてスレ住民に"クソゲー"として認められた3作が大賞候補として集まった
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい

それは
『ホームタウンストーリー』である

そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
それは、人を楽しませる為の一つの娯楽として成り立っているからだ。
では、人が楽しむゲームというのはどういうゲームだろう?
ゲームの目的を語られた仕様を元に、
自身の攻略法・技量を生かして到達できること…
それ以上に自身で遊べる事ではないだろうか?

今年の3作品は確かにプレイする事に苦痛を味わう事になる。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感があり、
明示された仕様を元に自身の技量や攻略法を駆使して
最終的には自力でクリアーできた証明が残るともに
ゲームならではの"緊張感からの解放感"が得られるのだ。

では、ホームはどうだろう?
プレイヤーが自力で解決すべき行為を運によるランダム性に変えられる事によって
自身で考える、クリアーしていくといった要素が大幅に圧縮され、
目的がはっきりとせず、複数のまた複数の不明瞭な仕様によって
探索ゲー・お使いゲーとしての基本や楽しみが悉く粉砕され、
ノーヒントでただただ放置されることによって
どれだけ時間が経とうとも解放されることがないのだ。

プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
たしかにかつて、そうした手探り感をもつ名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さとで苦痛とでプレイヤーを苦しめた
邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もあった。

スーパーモンキー大冒険、未来神話ジャーヴァス、たけしの挑戦状……
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らだ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは
禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。

こうして"年末の魔物"としての顔を見せたホームは
スレ住民に検証する事の大切さを説いたと共に、KOTYの王冠を見事手に入れる事が出来たのだった。

総評案1-改稿案1 (ホームタウンストーリー)    

※総評案1の作成者とは別人による改稿案

259です。総評1氏のお役に立てばという思いから、「自分ならこうかな?」というゲラとなります。
日本語の専門ではありません。ミスがありました場合、ご容赦いただけると幸いです。
選評理由の再読は行わず、作法よりも味付けとリズム感を重視して改変を行っております。
選評と内容が異なってしまった場合には修正をお願いします。

権利主張はいたしません。権利は改変元の総評1のものです。
この度は素敵な機会を有難うございました。

以下、注意点です)
大賞理由以降は悪ノリを含みます。
一行目と二行目の「スレ民」という記述は「嬲られる→ピクミン」由来のため、意図して「スレ住民」とは記述していません。
「」と""の使い分けは意識していません。
__

2011年。平和の偉大さを知ったスレ民だった。
そして2012年。スレ民は嬲られた。嬲られまくった。

前年の平和から一変、クソゲーブームを思わせる濫造されたクソによるクソゲーフィーバーに、
善良な市民、また善良と定評のあるスレ住民は血反吐を吐いた。
その中でも海外からフルプライスで来日した
重苦しい操作感、烈火の凶悪難度を見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』は
2012年KOTY大賞の名に恥じない、選ばれしクソゲー兵士であったといえよう。

そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、
春一番とともに訪れた、2作品による被害甚大なクソゲー竜巻であった。

1年半に渡る5回の延期を重ね、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場した1本目は
3月7日発売、3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(開発:インターグロー、通称:オート)
このソフトは競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」が監修している
史上初のオートレースを題材にした"アクションレースシミュレーション"という耳新しいジャンルのゲームであり、
全国6箇所のオートレース場とオートレースモール通販でのみの限定発売と
"オートレース初心者お断り"の男らしい販売方法でスレ住民に挑戦状を叩きつけた。

画面の大部分を灰色のアスファルトが占め、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら、
コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押すだけのレーサーモードは
コーナー以外の全体が「自動操縦」であり、
プレイヤーからは「レースゲーじゃなく音ゲーじゃね?」と根本を否定される始末。
カスタマイズ機能は「高いパーツ買ってレースに勝てばいい」の一言で済むのだが、
高いパーツほど直ぐ壊れ、ゲームなのかシミュレーションなのか当惑しかねない仕様である。
またレーサーモードの目的である"スーパースター王座決定戦"は
その年の優秀選手のみが出場できるが、
「敗北=一年間の作業が全て無」に帰る賽の河原仕様。
リセットや電源断は強制リタイア扱いとなり、オートセーブ仕様によりやり直しなどの一切は認められない。
そんな困難を乗り越えてエンディング"優勝"に辿り着いたとしても
優勝賞金の下に"優勝おめでとう"の文字がショボンと表示されるのみ。
表彰台でのシャンパンファイトなどの栄光のワンシーンが3Dで飛び出すようなことは勿論無い。
プレイヤー各自が想像する余地があるとも言える、ある種心に残るエンディング演出とも言えるだろうか。

また、現実世界のレースを予想してくれる予想師モードは、
同じ開発会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており、無難とも言える出来ではあるが、
その競馬予想ソフトは1000円で販売されていて、言ってしまえば最大で1000円の元しか取れていない。
さらに、"ネットに接続する事"と"レース出走直前での予想"が条件として課せられているため、
レースのない日時にレース気分を味わうような使い方は出来ず、眺めることさえできない。

単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう当ゲームが"ゲー無の究極"かもしれないと評され続ける中、
ゲームを買うなら♪でお馴染みのゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
…JKAの『みんなで』計画は発売日以降も終わることなく続いていたのだ。

そして2本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは
3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(開発:Para Phray、通称:GIMI)
"VOCALOID"の中の一つ"Megpoid(GUMI)"を題材に
動画サイト等で人気の曲を収録した音楽ゲームとして出された本作は、
発表と同時に既存GUMIファンやボカロファンなどから声を上げ歓迎されていた。
…しかし、このゲームを開発した"Para Phray"は
2010年KOTY据置における次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』販社の新ブランド!
というニュースが流れるとともに、陰る不安の声も見え隠れしてきていたが
…結果として、不安は現実となり、"調整不足"、"作り込みの放棄具合"がニュースとして流れ出したのだ。

差分を抜いて全7種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
これだけならまだ良かった。
踊るGUMIに心を重ね、表示される譜面通りにリズムよくボタンを押すゲームの筈が
…肝心のBGMと譜面がズレており
「音ゲーとして成立していない音ゲー」というオートに続く新ジャンル作品となっていたのだ。

譜面のズレは統一性がなく千差万別で、ズレていない譜面を見た場合も「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥る始末。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音ライクなSEまでもが妨害するため、
ズレ回避には"BGMに耳を傾けない"という音ゲー全否定のプレイスタイルで望まなければいけない。
そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは「発生原因不明のフリーズ」。
唯一のセーブ手段「手動セーブ」すら行えないこともよくある話。
苦労の結晶を破壊されたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを筆者は祈らずにいられない。

ではキャラクターゲーム/ファンディスクとしての評価はどうだろうか?
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるのではないだろうか?
GUMIのような"VOCALOID"はそもそもキャラクターだけでなく、GUMIを用いて作成された"曲"が一番の要となってくる。
しかし、肝心の曲が"どんなに長い曲でも90秒でバッツリと雑編集"され、突然打ち切りの様に終わるとなれば、
作詞者・作曲者、そしてプレイヤーの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。

GUMIの衣装も「誰のデザインだよ…」と言われるような微妙な出来栄えで、当然褒められるものでなく、
無理に使おうとした場合もロード時間が長くなる上、フリーズ確率も上昇。使う気にはなれない。
唯一の救いだったかもしれない"有名のダンサーによるGUMIのダンス"は前述の酔っぱらいカメラで台無し。元も子もない。
おまけ的存在である"GUMIルーム"も「コミュニケーションを楽しめる!!」との前振りであったが、
反応パターンは極少。会話が成り立っているのかも怪しいレベル。
プレゼントを渡しても中身は一切見やしない…。
ならば日記に感想でも?と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけ。
…この感情疎通の不可能なコミュニケーション不全のGUMIのことを、ファンは本当に"あのGUMI"と認識できるのだろうか?
と思っていたら公式ブログでは"GUMI"を"GIMI"と誤記。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言える。
開発側からもファンからも見放された"GUMI"っぽい娘は、加害者でもあり被害者であったのかもしれない…。

桜も散らす2体の門番を前に、KOTYの門を叩く者々は跡形もなく散っていく。
スレ住民が「これ以上のクソゲーはないでしょ」と油断し雑談に耽る中、
とうとう迫る師走、"年末の魔物"がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー(通称:ホーム)』(発売:スパイクチュンソフト、開発:トイボックス)
…牧場物語の生みの親、和田康宏氏が独立後に手掛ける新作の"ハートフルアドベンチャー"であり
ファンもそれ以外も注目した今作。
老若男女向けに見える楽しそうな農村生活を描いたパッケージが期待を否応なく盛り上げたが、
しかし裏腹、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な苦く苦しい暮らしであった。

一々変わるカメラワークにより3D酔いに悩まされる日々。
一人で探索するには広すぎるマップ。
村人は主人公のダッシュよりも多少遅い程度のスピードでガシガシと歩いている為、
ただ村人に話しかけるにも先読み/先回りが必須。3D酔いは加速。
後に追加されるワープ機能は便利ではある。
反面、探索ゲームとしての楽しさを半減させ、
かといって使わなければカメラワークに酷い目に合わされ…
「農村生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら、現実で吐き気と戦い、我に返ることも多々あるだろう。
…操作感だけでこの始末である。

当初メインと思われていた"お店経営"は実は"ハートフルなストーリー"を見る為に必要な儀式の一つであり、
どう見ても「机」なのに「棚」と説明される「商品棚」に商品を並べ、お客が来たらレジ会計するという流れである。
が、棚には同一商品でも一つしか物が置けず、更に値段を記憶してくれるような現代的な機能は農村にはない為、
商品が売れる→商品を並べる→再度値段を設定…という手順を踏まなければいけない。
そんな手間は面倒!という通常の神経を持った人の為にか、
商品を連続で客に押し付ける→倍以上のマネーをどこかからGET!となる"コンボ"は大変大変便利ではある。
反面、考えて商品を並べる僅かな楽しみも失われ、
かといって使わなければただただ作業で、実社会でのバイト(例:ボールペン工場)とさほど変わらなくなる…
自分の手間が省ける→3DSが頑張る→過負荷→フリーズ、とお茶目な挙動を見せることも多々あり、
「農村生活=スローライフ」をエンジョイしようとした筈が、現実でビクビクとプレイさせられ、我に返ることも多々あるだろう。

コンボシステムは「コンボで稼いでお金を貯めればいい」の一言で済むバランスブレーカーであるが、
爽快感を伴う行動が他に見つからないため、
住民交流そっちのけで住民にコンボを叩き込むこと、そしてブラックマネーを稼ぐことにプレイヤーを集中させていく。
過酷な作業orぼったくりの押し売りの二者択一を選択させられるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来たプレイヤーには
サイコパスなブラック企業を創業することをお勧めしたい。

…では肝心の要、ハートフルな筈の物語/イベントはどうなのだろうか?
ハートフルと謳われたイベントは
「道に落ちている」or「店で買う」キーアイテムを「所持する」or「お店で販売する」事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、
どこに落ちているか?/いつ落ちているか?/いつ売っているか?はプレイヤーには一切告知されない。
なんとかキーアイテムをGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。

これらを乗り越えて見られるイベントは苦労に見合わない内容(例:おっさんに怒られた)等が主で、
思わず溜息を漏らしてしまうものが殆どだが、
中には"いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ"といったような
違う意味の溜息が出続ける超展開の鬱イベントも存在している。
…イベント発生後、殆どの村人はお構いなしの平凡な日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。

また、世界観から明らかに食み出ている耳障りで変えられないVOCALOID製の店内BGMや、
延々放置されたかと思えば突如現れ、やたら難解な話をし始める肉親(老婆)、
どこに入力するか誰もわからないままのパスワード等、
"Heartful story(心温まる物語)"と"Hurtful story(心傷つける物語)"を勘違いしているのでは?という指摘が相次いだ。
…プレイヤーの売った望遠鏡が遠因で竹馬が好きだった少年が葬られる。
こんな体験が"Heartful"だと製作者サイドは本気で思っているのだろうか???


こうして3作がスレ住民に"クソゲー"として認められ、
候補作から大賞を決める時がきた。
その候補作の中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表していきたいと思う。

それは
『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めることに大きな困難があった。
その理由は、3作のどれもが説明困難な、人に語っても理解され辛い内容のクソゲーであったからだ。
特にホームは

(略)

と群を抜いて語り辛い上、伝わりにくいクソゲーでもあり、
その上、年末の販売タイミングということも相まって、検証に割かれる時間が圧倒的に足りなかった。

2014年5月、GW明けまで続く延長戦という異常事態。
ヒートアップする最終週、週末のやりとりの中、書き込まれたものがコレだ。

------------------------------------------------------------------------------------
217 :枯れた名無しの水平思考@転載禁止:2014/05/10(土) 00:01:07.67 ID:gyvYgCLm0
俺もレトロゲームは好きだけどそれはやりたくないわ
スーパーモンキー思い出して胃が痛くなってきた
------------------------------------------------------------------------------------
その時、歴史が動いた。

(略)

今年の携帯ゲ版はある意味恐ろしい一年であった。
仕様通りに作った結果、虚無と化したオート。
高級食材を手抜きに手抜きをした結果、劇薬へと化したGIMI。
古き良き手探り感を目指した結果、霧に包まれたホーム。
この3本は"ブランド力"を使ったにもかかわらず、
調理した方向・目指したものがおかしくなってしまい、最終的にはファンを裏切る形になってしまった。
特にホームはオート/GIMIより低価格な点や、ゲームショップ等での宣伝、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ねた結果、
最強の門番らを穿ち、"年末の魔物"として携帯ゲ版KOTYを制すというレアな思い出を残した。
遂には2012年KOTYの逆パターン「国産クソゲーの海外進出」を果たしてもいる。

このご時世、世界に羽ばたく国産クソゲー。それを我々がどういう目で見守るか。
…2013の"年末の魔物"は、2014年に生きる我々に、大きなお土産を残していってくれたのだ。

最後にホームの開発スタッフ、
検証の為に散っていった者達、
そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向けて
とある偉人の言葉を拝借し、この2013年度KOTYを占めたいと思う。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」

総評案1-大賞理由部分改稿案2(ホームタウンストーリー)    

※総評案1の作成者とは別人による改稿案

こうしてスレ住民に"クソゲー"として認められた3作が、大賞候補としてスレに集った。
それでは、見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表しよう。

2013年度、クソゲーオブザイヤー大賞は
『ホームタウンストーリー』である。


唐突だが、ここで原点に返ろう。

「何故人はゲームをするのだろうか?」

…それは、ゲームというものが、人を楽しませる為の一つの“娯楽”として成り立っているからだ。

「では、人が楽しむゲームというのはどういうものだろうか?」

…それは、明示された目的に向かい、ゲームの仕様の元で自身の攻略法・技量を生かしながら到達すること――
――つまり自力クリアーができるゲームではないだろうか?
確かに今年の3作は、揃いに揃ってプレイする事自体に苦痛が伴うものばかりだ。
しかし、オートの場合は「レースに勝つ」、GIMIの場合は「音ゲーをクリアする」といったゲームの目的がはっきりと提示されており、タイミング等自身で工夫できる点が存在している。
困ってもゲーム内にあるヒントを元に行動ができ、最終的には語られた仕様を理解した上で目的にたどり着くことで、自力でクリアーしたという証明が残せるのだ。
2作に対し、ホームの場合はというと。
普通プレイヤーが自身で解決するべき行為を運によるランダム性に変えられ、「自身で考える」「クリアーしていく」といった要素が大幅に圧縮されている。
ヒントはなく、目的すらも明示されず、複数の不明瞭な仕様によって、探索ゲー・お使いゲーとしての基本や楽しみがことごとく粉砕されているのだ。

プロデューサーの和田氏はホームについて「古き良きゲームの手探り感を出した」と述べた。
確かに、ホームにはレトロゲームの手探り感はある。
だが、古き良きゲームの手探り感とは“目的がはっきりと提示されている時”に表れるものであり、
目的すらも手探りで探しださなければならない、ということではないのだ。
例えるならば、暗闇の洞窟に手ぶらで放り出されるかのような、不安ばかりが先立つ手探り感。
そこから生じる苦痛から連想されるのは、スーパーモンキー大冒険、未来神話ジャーヴァス、たけしの挑戦状……
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたちばかりである。
プレイヤーの声に答えながら、より自由に、より物語に入り込めるように、やりこめるように――
そうやって先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは、禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。
"進化してきたもの"を取り去り、全力で退化を遂げた“ホーム”の姿は、まさにクソゲーの王者たる風格を漂わせていた。

こうして"年末の魔物"として姿を現したホームはスレ住民に検証する事の大切さを説いたと共に、KOTYの王冠を見事手に入れる事が出来たのである。

総評案1-清書案 (ホームタウンストーリー)    

※総評案1の作成者とは別人による清書案(2014年05月26日)

2012年携ゲ板クソゲーオブザイヤーに次々と出現した糞ゲー、彼等による情報の交差は、前年の平和に慣れたプレイヤーやスレ住民を谷底へと突き落とした。
その中でも、糞フルプライスで颯爽と来日し、劣悪な操作と理不尽な難易度を我々に見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』は大賞の称号を受けるに申し分ないクソゲーであった。

しかし混沌の1年から解放されたスレ住民達を、2本のクソゲーによる春の竜巻が待ち受けていたのだ……

1年半、5回に渡る延期の末、ようやく激しいエンジン音と共に登場した今年1本目のソフトは、3月7日発売の3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(開発:インターグロー 通称:オート)。
この作品は競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」の監修による、史上初のオートレースシミュレーションゲームである。
このオートは全国6箇所のオートレース場とオートレースモールの通販のみの限定販売という"オートレース初心者お断り"の男らしさでスレ住民に挑戦状を送りつけた。

まずは、画面の大部分を覆う灰色のアスファルトを見、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら、コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押す、ただそれだけのレーサーモードについて述べよう。
このゲーム、コーナー以外の場所はアクセル・ブレーキ等の操作ができない自動操縦で進んで行き、プレイヤーから「レースゲームじゃなくて音ゲーではないのか」とまで言われた。
カスタマイズ機能に関しては、「高いパーツを買えばレースに勝てる」。
パーツの性能が高ければ高いほど使える回数が少ないので、使い勝手は非常に悪い。
レーサーモードはこのカスタマイズとレース参加を繰り返して、年に一度行われる「スーパースター王座決定戦」で優勝することが最終的な目的である。
そう聞くと単純な作業を繰り返すだけの簡単なゲームに思われることだろうが、ここに大きな問題があるのだ。
「スーパースター王座決定戦」は、その年の優秀な選手しか出場することができない。
参加のためには、開催される他の大会で全て優勝するか、自らのランクを上げておかなくてはならないわけだ。
まあ、それはいい。だが、そのレースで敗北すると今までの成績がリセットされたかのようにもう一度全てのレースをやり直させるという仕様は理不尽としか言えない。
敗北すれば成績がリセットされるのであれば、「電源を消してレースの初めからやり直せばいいのでは?」という考えも出ることだろう。
しかし、それを実行することはできない。
このゲームは電源を切ると強制的にリタイア扱いになるのでやり直しが一切効かないのだ。
そしてすべての困難を乗り越えて「スーパースター王座決定戦」で優勝しても、特別なエンディングはなく、優勝賞金に「優勝おめでとう」の文字が添えられるというしょぼいグラフィックが表示されるだけ。
これを見たプレイヤーは今まで何のために頑張ってきたのかと頭を抱えることだろう。

もう一つ、オートには実際に行われているレースのデータを受信して予想を行ってくれる予想師モードというものがある。
同じ開発会社からでている競馬の予想ソフトのノウハウがありそこそこいい出来ではあるのだが、その競馬の予想ソフトの値段は1000円である。
言ってしまえば1000円分しか元が取れていない。
さらに、「ネットに接続する事」と「レースの出走時間直前での予想」が条件になるので、その両方が満たされていないと使えない。
この予想師モードのためだけにゲームを買うのであれば、実際のオートレースでお金をかけた方がまだ有意義であろう。

少ない作業でセカンドインパクトレベルの苦痛を味わえるオートが「ゲー無の究極形態」と恐れられている間、後に全国のゲオでの販売が開始されるということを予想できた者が居ただろうか……

スレ住民がオートに苦しめられている中、2本目のソフトがKOTY会場に歌声を響かせた。
3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(開発:Para Phray 通称:GIMI)
「VOCALOID」の一つ「Megpoid(GUMI)」を題材に、
無料動画サイト等で人気の曲を収録した音楽ゲームとして出された本作は、GUMIや曲のファンなど多くの人の期待を集めていた。
……しかし、このゲームを開発したPara Phrayの大本は、2010年度KOTY据え置き版次点『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』の販売メーカーであり、それを知っていた人達による不安も同時に存在したのだ。
結果を言えば、後者の方が現実となってしまった。
このゲームには、どこをとっても「調整」や「作り込み」の跡が感じられないのだ。
手抜き感満載のしょぼいステージは差分抜いて全7種類。
酔いやすいカメラワークの中、踊るGUMIを見ながら、表示される譜面を音楽に合わせて押すのがこのゲーム。
だが、その肝心のBGMは譜面とズレていて、音楽と合っていない。
ズレは千差万別であり、ズレてない譜面を見ても「ズレてるんじゃないか?」と疑心暗鬼になってしまう始末。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増していき、回避するには「BGMに耳を傾けない」という音ゲーを全否定する結論に至る。
そうやって苦労してクリアーしても、原因不明のフリーズによりセーブをさせてもらえず、苦労が水の泡となることもある。
当然オートセーブなどというものはない。

ではキャラクターゲーム・ファンディスクとしてはどうだろう?
ゲーム内容が酷くても、キャラクターの可愛さが引き立っていればまだ救いはあるのではないだろうか?
GUMIを可愛く彩る衣装はといえば誰が作ったのかわからないような微妙なデザインであり、使えばロードする時間が長くなる上にフリーズする確率が上がってしまう。
「コミュニケーションを楽しめるGUMIルーム」は、反応パターンが非常に少なく、会話が成り立っているのかすら怪しい。
プレゼントを渡しても中身は見ることすらなく、日記も「音楽大好き!!」程度の内容である。
これを見たプレイヤーの血管は(♯^ω^)ビキビキと浮き出てくることだろう。
GUMIのようなVOCALOIDにおいてはキャラクターだけではなく、GUMIを使って作った「曲」が要となってくる。
しかし、「どんなに長い原曲でも90秒に雑編集」で突然打ち切られたかのように終わるとなれば、作詞者・作曲者の気持ちを踏みにじっているとしか言えない。
唯一の救いだったかもしれない「踊ってみたで有名のダンサーによるGUMIのダンス」も、酔いやすいカメラワークで台無しにされてしまっている。

なお、ニコニコ生放送での公式生放送で公開されたのはGUMIのモーションを1曲分だけで、肝心の音ゲープレイ画面は全く以って見せられることはなかった。
GUMIをGIMIと誤記している公式ブログからも、開発側のGUMIへの愛の無さがよく伝わってくる。
開発側からもファンからも見放された「GIMI」は、加害者であると同時に被害者でもあったのだろう。

春に出された2作のあまりのクソさにKOTYの門を叩く者達は次々に退けられていった。
しかし、スレ住民にもこれ以上のクソゲーは出ないのではないか? と思われてた中で、とうとう「年末の魔物」が店を開いた。
それが12月12日発売の3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー』(開発:トイボックス 通称:ホーム)である。
牧場物語の生みの親である和田康宏氏が手掛けた「ハートフルアドベンチャー」で、多くの者達から楽しみに待ちわびられていた。
しかし、そこにあったのは「ここでは暮らしたくない」と思わせる村の姿であった。

はじめに、探索や村人とコミュニケーションを取る為に必要なマップ、移動面について説明しよう。
まず、このマップは一人で探索するには広すぎる。
一々変わるカメラワークはプレイヤーを3D酔いに悩ませ、村人は主人公の走るのより少し遅いくらいの速さで歩いている為、遠くにいれば話しかけることも難しい。
ストーリー進行で開放されるワープ機能は、使えば探索ゲームとしての楽しさを半減させ、使わなければカメラワークによる酔いに苦しめられる。

次に、当初メインと思われていた「お店経営」について。
これは「ハートフルなストーリー」を見る為に必要な儀式の一つに過ぎず、どう見ても机にしか見えない棚に商品を置いて、村人がレジに来たら会計するというだけのものである。
棚には同じ商品でもまとめ置きはできず、値段も記録してくれないため、一つ売れる度に新しい商品を置いて値段を決めなければならない。
連続で商品が売れると、その数に応じて何倍ものお金を貰える「コンボシステム」が存在するのだが、考えて物を置く楽しさは打ち消され、「コンボ稼いでお金を貯めればいい」となってしまうバランスブレーカーなのだ。
2010年据え置き大賞スベリオンの「物理」や2012年据え置き次点トキトワの「魔法」に、「お金」で対抗してくる者が現れるとは誰が予想できただろう。
また、どうにかお金を稼ごうとしても、画面内の多くのオブジェクトを処理しきれない事で起きるフリーズが、プレイヤーに一からのやり直しをせまる。
その上、「自身の店に愛着を持ってほしい」と採用された店内BGMは耳障りで変更もできない。
どこまで行っても「過酷な労働作業(お店経営)を強いられているんだ!」と思わせるお店経営を楽しめる者がいるのだろうか……?

今度は、肝心のストーリー面を見ていこう。
ハートフルなストーリーであるイベントは道に落ちていたり店で買えたりするキーアイテムを、所持するまたは店で売る事によって発生する。
しかしそのキーアイテムの入手は完全ランダム仕様であり、どこに落ちているか? いつ落ちているのか? いつ売っているのか? が全く分からないのだ。
せっかく手に入れたキーアイテムも、次の日には何故か消失していることがあるというバグや、とあるイベントを起こすと別のイベントが見れなくなって詰むというバグが存在している。
これを乗り越えて見れるイベントのほとんどは、薄くあっさりとした内容であるが、「いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ」といった超展開の鬱イベントも存在する。
このイベントの発生後も、一部を除いた村人は少年の死などお構いなしに普段通りの生活を送っているので、胸糞が悪い。
このイベントの発声を避けようとしても、他の村人のイベントがこれを見ないと見ることができず、
「好きな村人のイベントを見る為に、少年の命を犠牲にしないといけない」という、エドワード=エルリックも真っ青の等価交換になってしまっている。
また、ずっと放って置かれた上、衝撃の真実によって薄気味悪くなるばあばの存在など、スタッフは「Heartful story(心温まる物語)」と「Hurtful story(心傷つける物語)」を勘違いして作ってしまったのだろうか…?

なお、このゲームにはパスワードというものがあるのだが、どこに入力するか判明していない。

こうしてスレ住民に"クソゲー"として認められた3作が、大賞候補として集まった
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい。

それは『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めるのがとても困難であった。
その理由は、候補3作がどれも人に語っても伝わり難い方向のクソゲーであったからだ。
特にホームはそれが群を抜いて顕著であり、その上、発売のタイミングが悪く、検証による掘り下げが足りていなかった。

そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
それは、人を楽しませる為の一つの娯楽として成り立っているからだ。
では、人が楽しむゲームというのはどういうゲームだろう?
ゲームの目的を語られた仕様を元に、
自身の攻略法・技量を生かして到達できること…
それ以上に自身で遊べる事ではないだろうか?

今年の3作品は確かにプレイする事に苦痛を味わう事になる。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感がある。
明示された仕様を元に自身の技量や攻略法を駆使することで、最終的には自力でクリアーできた証明が残るともに、ゲームならではの「緊張感」からの「解放感」が得られるのだ。

では、ホームはどうだろう?
プレイヤーが自力で解決すべき行為を運によるランダム性に変えられる事によって、自身で考える、クリアーしていくといった要素が大幅に縮小され、目的は最後まではっきりとしない。
また、複数の不明瞭な仕様によって 探索ゲー・お使いゲーとしての基本や楽しみがことごとく粉砕される。
ノーヒントでただただ放置されるこの苦しみからはどれだけ時間が経とうとも解放されることがないのだ。

プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
たしかにかつて、そうした手探り感をもつ名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さとで苦痛とでプレイヤーを苦しめた、邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もまた存在した。

スーパーモンキー大冒険……未来神話ジャーヴァス……たけしの挑戦状……。
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らの方だ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは 禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。

プレイヤーの声に答えながら、
より自由に、より物語に入り込めるように、やりこめるように進化してきたジャンルにおいて、その「進化してきたもの」を取り去って全力で退化していくホームのその様は、まさにクソゲーとしてふさわしいものであった。

こうして"年末の魔物"として姿を現したホームは、スレ住民に検証する事の大切さを説いたと共に、KOTYの王冠を見事手に入れる事が出来たのだった。

今年の携帯機版はある意味恐ろしい年であった。
仕様通りに作ったらできたものが虚無であるオート。
高級食材を手抜きに手抜きをした結果劇物へと化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない「運」をたたき付けたホーム。
この3本はどれも「ブランド力」を備えていたにも関わらず、調理した方向、目指したものがおかしくなってしまい、最終的にはファンを裏切る形にとなってしまった。
特にホームはオート・GIMIより低価格な所や、ゲームショップ等での宣伝、海外先行販売、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ね、その勢い衰えることなく他国にまで手を伸ばしている。
ある意味、最悪で最高のクソゲーであろう。

また、ホームは"年末の魔物"として携帯機版KOTYでは久々の勝利であったことも記しておこう。

最後にホームの開発スタッフ、検証の為に散っていった者達、そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、とある偉人の言葉を拝借してこの2013年度KOTYを締めさせていただく。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」

総評案1-改稿案2 (ホームタウンストーリー)    

※総評案1の作成者とは別人による改稿案(2014年05月27日)改稿案1が基?

2011年。平和の偉大さを知ったスレ民だった。
そして2012年。スレ民は嬲られた。嬲られまくった。

前年の平和から一変、クソゲーブームを思わせる濫造されたクソによるクソゲーフィーバーに、
善良な市民、また善良と定評のあるスレ住民は血反吐を吐いた。
その中でも海外からフルプライスで来日した
重苦しい操作感、烈火の凶悪難度を見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』は
2012年KOTY大賞の名に恥じない、選ばれしクソゲー兵士であったといえよう。

そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、
春一番とともに訪れた、2作品による被害甚大なクソゲー竜巻であった。

1年半に渡る5回の延期を重ね、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場した1本目は
3月7日発売、3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(開発:インターグロー、通称:オート)
このソフトは競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」が監修している
史上初のオートレースを題材にした"アクションレースシミュレーション"という耳新しいジャンルのゲームであり、
全国6箇所のオートレース場とオートレースモール通販でのみの限定発売と
"オートレース初心者お断り"の男らしい販売方法でスレ住民に挑戦状を叩きつけた。

画面の大部分を灰色のアスファルトが占め、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら、
コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押すだけのレーサーモードは
コーナー以外の全体が「自動操縦」であり、
プレイヤーからは「レースゲーじゃなく音ゲーじゃね?」と根本を否定される始末。
カスタマイズ機能は「高いパーツ買ってレースに勝てばいい」の一言で済むのだが、
高いパーツほど直ぐ壊れ、ゲームなのかシミュレーションなのか当惑しかねない仕様である。
またレーサーモードの目的である"スーパースター王座決定戦"は
その年の優秀選手のみが出場できるが、
「敗北=一年間の作業が全て無」に帰る賽の河原仕様。
リセットや電源断は強制リタイア扱いとなり、オートセーブ仕様によりやり直しなどの一切は認められない。
そんな困難を乗り越えてエンディング"優勝"に辿り着いたとしても
優勝賞金の下に"優勝おめでとう"の文字がショボンと表示されるのみ。
表彰台でのシャンパンファイトなどの栄光のワンシーンが3Dで飛び出すようなことは勿論無い。
プレイヤー各自が想像する余地があるとも言える、ある種心に残るエンディング演出とも言えるだろうか。

また、現実世界のレースを予想してくれる予想師モードは、
同じ開発会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており、無難とも言える出来ではあるが、
その競馬予想ソフトは1000円で販売されていて、言ってしまえば最大で1000円の元しか取れていない。
さらに、"ネットに接続する事"と"レース出走直前での予想"が条件として課せられているため、
レースのない日時にレース気分を味わうような使い方は出来ず、眺めることさえできない。

単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう当ゲームが"ゲー無の究極"かもしれないと評され続ける中、
ゲームを買うなら♪でお馴染みのゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
…JKAの『みんなで』計画は発売日以降も終わることなく続いていたのだ。

そして2本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは
3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(開発:Para Phray、通称:GIMI)
"VOCALOID"の中の一つ"Megpoid(GUMI)"を題材に
動画サイト等で人気の曲を収録した音楽ゲームとして出された本作は、
発表と同時に既存GUMIファンやボカロファンなどから声を上げ歓迎されていた。
…しかし、このゲームを開発した"Para Phray"は
2010年KOTY据置における次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』販社の新ブランド!
というニュースが流れるとともに、陰る不安の声も見え隠れしてきていたが
…結果として、不安は現実となり、"調整不足"、"作り込みの放棄具合"がニュースとして流れ出したのだ。

差分を抜いて全7種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
これだけならまだ良かった。
踊るGUMIに心を重ね、表示される譜面通りにリズムよくボタンを押すゲームの筈が
…肝心のBGMと譜面がズレており
「音ゲーとして成立していない音ゲー」というオートに続く新ジャンル作品となっていたのだ。

譜面のズレは統一性がなく千差万別で、ズレていない譜面を見た場合も「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥る始末。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音ライクなSEまでもが妨害するため、
ズレ回避には"BGMに耳を傾けない"という音ゲー全否定のプレイスタイルで望まなければいけない。
そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは「発生原因不明のフリーズ」。
唯一のセーブ手段「手動セーブ」すら行えないこともよくある話。
苦労の結晶を破壊されたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを筆者は祈らずにいられない。

ではキャラクターゲーム/ファンディスクとしての評価はどうだろうか?
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるのではないだろうか?
GUMIのような"VOCALOID"はそもそもキャラクターだけでなく、GUMIを用いて作成された"曲"が一番の要となってくる。
しかし、肝心の曲が"どんなに長い曲でも90秒でバッツリと雑編集"され、突然打ち切りの様に終わるとなれば、
作詞者・作曲者、そしてプレイヤーの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。

GUMIの衣装も「誰のデザインだよ…」と言われるような微妙な出来栄えで、当然褒められるものでなく、
無理に使おうとした場合もロード時間が長くなる上、フリーズ確率も上昇。使う気にはなれない。
唯一の救いだったかもしれない"有名のダンサーによるGUMIのダンス"は前述の酔っぱらいカメラで台無し。元も子もない。
おまけ的存在である"GUMIルーム"も「コミュニケーションを楽しめる!!」との前振りであったが、
反応パターンは極少。会話が成り立っているのかも怪しいレベル。
プレゼントを渡しても中身は一切見やしない…。
ならば日記に感想でも?と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけ。
…この感情疎通の不可能なコミュニケーション不全のGUMIのことを、ファンは本当に"あのGUMI"と認識できるのだろうか?
と思っていたら公式ブログでは"GUMI"を"GIMI"と誤記。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言える。
開発側からもファンからも見放された"GUMI"っぽい娘は、加害者でもあり被害者であり、
プレイヤーは(♯^ω^)ビキビキと血管を浮かべつつも、その不幸な生い立ちに涙したのだった…。


桜も散らす2体の門番を前に、KOTYの門を叩く者々は跡形もなく散っていく。
スレ住民が「これ以上のクソゲーはないでしょ」と油断し雑談に耽る中、
とうとう迫る師走、"年末の魔物"がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー(通称:ホーム)』(発売:スパイクチュンソフト、開発:トイボックス)
…牧場物語の生みの親、和田康宏氏が独立後に手掛ける新作の"ハートフルアドベンチャー"であり
ファンもそれ以外も注目した今作。
老若男女向けに見える楽しそうな田舎暮らしを描いたパッケージが期待を否応なく盛り上げたが、
しかし裏腹、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な苦く苦しい暮らしであった。

一々変わるカメラワークにより3D酔いに悩まされる日々。
一人で探索するには広すぎるマップ。
村人は主人公のダッシュよりも多少遅い程度のスピードでガシガシと歩いている為、
ただ村人に話しかけるにも先読み/先回りが必須。3D酔いは加速。
後に追加されるワープ機能は便利ではある。
反面、探索ゲームとしての楽しさを半減させ、
かといって使わなければカメラワークに酷い目に合わされ…
「田舎生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら、現実で吐き気と戦い、我に返ることも多々あるだろう。
…操作感だけでこの始末である。

当初メインと思われていた"お店経営"は実は"ハートフルなストーリー"を見る為に必要な儀式の一つであり、
どう見ても「机」なのに「棚」と説明される「商品棚」に商品を並べ、お客が来たらレジ会計するという流れである。
が、棚には同一商品でも一つしか物が置けず、更に値段を記憶してくれるような現代的な機能は田舎にはない為、
商品が売れる→商品を並べる→再度値段を設定…という手順を踏まなければいけない。
そんな手間は面倒!という通常の神経を持った人の為にか、
商品を連続で客に押し付ける→倍以上のマネーをどこかからGET!となる"コンボ"は大変大変便利ではある。
反面、考えて商品を並べる僅かな楽しみも失われ、
かといって使わなければただただ作業で、実社会でのバイト(例:ボールペン工場)とさほど変わらなくなる…
自分の手間が省ける→3DSが頑張る→過負荷→フリーズ、とお茶目な挙動を見せることも多々あり、
「田舎生活=スローライフ」をエンジョイしようとした筈が、現実でビクビクとプレイさせられ、我に返ることも多々あるだろう。

コンボシステムは「コンボで稼いでお金を貯めればいい」の一言で済むバランスブレーカーであるが、
爽快感を伴う行動が他に見つからないため、
住民交流そっちのけで住民にコンボを叩き込むこと、そしてブラックマネーを稼ぐことにプレイヤーを集中させていく。
過酷な作業orぼったくりの押し売りの二者択一を選択させられるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来たプレイヤーには
サイコパスなブラック企業を創業することをお勧めしたい。

…では肝心の要、ハートフルな筈の物語/イベントはどうなのだろうか?
ハートフルと謳われたイベントは
「道に落ちている」or「店で買う」キーアイテムを「所持する」or「お店で販売する」事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、
どこに落ちているか?/いつ落ちているか?/いつ売っているか?はプレイヤーには一切告知されない。
なんとかキーアイテムをGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。

これらを乗り越えて見られるイベントは苦労に見合わない内容(例:おっさんに怒られた)等が主で、
思わず溜息を漏らしてしまうものが殆どだが、
中には"いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ"といったような
違う意味の溜息が出続ける超展開の鬱イベントも存在している。
…イベント発生後、殆どの村人はお構いなしの平凡な日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。

また、世界観から明らかに食み出ている耳障りで変えられないVOCALOID製の店内BGMや、
延々放置されたかと思えば突如現れ、やたら難解な異次元の話をし始める肉親(老婆)、
どこに入力するか誰もわからないままのパスワード等、
"Heartful story(心温まる物語)"と"Hurtful story(心傷つける物語)"を勘違いしているのでは?という指摘が相次いだ。
…プレイヤーの売った望遠鏡が遠因で少年が葬られる。
こんな体験が"Heartful"だと製作者サイドは本気で思っているのだろうか???


こうしてスレ住民に"クソゲー"として認められた3作が、大賞候補としてスレに集った。
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したいと思う。


2013年度、クソゲーオブザイヤー大賞は
『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めることに大きな困難があった。
その理由は、3作のどれもが説明困難な、人に語っても理解され辛い内容のクソゲーであったからだ。

唐突だが、ここで原点に返ろう。
「何故人はゲームをするのだろうか?」
…それは、ゲームが、人を楽しませる為の"娯楽"として創出されているからだ。
「では、ゲームの楽しさとはどういうものだろうか?」
…それは、ゲーム内に明示された目的へ、自身の攻略法/技量を生かしながら向かい、到達/達成を叶えること。
つまり、自力でのクリアした気持ちが湧き上がるものがゲームなのではないだろうか?

該当の3作は楽しめる点が極少で、"作業"としてみても質が悪いという部分に共通点がある。
3作の内容は、遊びとしては最低、かつ仕事としてみても最低の
やりたくなさ/辞めたさを喚起される「一般にいうブラックなアルバイト」に匹敵する内容である。が、
・灰色のコンクリに囲まれて単純作業…失敗は許されないオート
・90秒のデート商法…デート相手の感情がないGIMI
上記の2作は言うまでもなく酷く最低。ではあるが、
そこには「緊張からの開放感」が存在する。

また、3作のどれもが苦痛を伴うプレイ内容ではあるのだが、
オート/GIMIの場合には
・「レースに勝つ」、
・「音ゲーをクリアする」
といったようにゲームの目的は提示されており、
工夫をしながら技量を磨きながらプレイすることは、苦痛ながらも一応可能ではあるといえる。

対し、ホームの場合はというと、
・「ランダム運ゲー迷路生活」
と無理やり言い表すのが限界である…。
生活とは、ゴールが見えない、という意味である。
「開放感」のかわりに存在するものは、極薄のイベントがもたらす「脱力感」である…。


2014年5月、GW明けまで続くKOTY延長戦という異常事態。
ヒートアップする締切前の最終週、週末のやりとりの中、書き込まれたものがコレだ。

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217 :枯れた名無しの水平思考@転載禁止:2014/05/10(土) 00:01:07.67 ID:gyvYgCLm0
俺もレトロゲームは好きだけどそれはやりたくないわ
スーパーモンキー思い出して胃が痛くなってきた
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…ホームは、ノーヒントのお使いゲーで、達成条件がランダムなことから
群を抜いて語り辛い上、伝わりにくいクソゲーでもあり、
その上、年末の販売タイミングということも相まって、検証に割かれる時間が圧倒的に足りなかった。

そんな中、検証の重要性を説くスレ住民は、休日返上で再検証を執り行った。
そこに存在したものは、一般には不要とされる"蛮勇"と言われる行為。
平たく言えば"無謀な勇気"である。

ゲーム内に明示された目的へ(ノーヒントで?)、
自身の攻略法/技量を生かしながら向かい(工夫できる点もないのに?)、
到達/達成を叶えること(報酬は極薄だったり不気味だったりする徒労感満載のイベント…)
と碌なご褒美もない世界で、スレの勇者たちは霧や砂嵐といった魔物と、冒険の書(覚書のためのメモ帳)片手に戦った。
そして、霧は晴れた…。
言いっぱなしの村人のお使い注文に「無為なプレイ時間」と「運」と「自身の健康」を武器に戦い切り、
「結局、運」という感想を何周ものエンディングとともに得たのだ…。


プロデューサーの和田氏はホームについて「古き良きゲームの手探り感を出した」と述べている。
たしかにかつて、そうした手探り感をもつ名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さとで苦痛とでプレイヤーを苦しめた邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もあった。

スーパーモンキー大冒険…未来神話ジャーヴァス…たけしの挑戦状…
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らだ。

先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは禁忌の邪神を蘇らせてしまった。
…古き良きゲームの手探り感とは"目的がはっきりと提示されている時"に表れるものであり、
目的すらも手探りで探すということではなかったのだ。

プレイヤーの声に答えながら、
より自由に、より物語に入り込めるように、やりこめるように進化してきたゲームの歴史において
その"進化してきたもの"を取り去って全力で退化していくホーム。
一部からは当て字で「葬(ほうむ)」とまで呼ばれた"年末の魔物"ホームは
まさにクソゲー神と呼ぶに相応しい禍々しさでプレイヤーを苦しめた。
そして2014、衣替えの季節である初夏、歴代の"悪霊の神々"らとともに雁首を整列させられることとなったのだった。

…今年の携帯ゲ版はある意味恐ろしい一年であった。
仕様通りに作った結果、虚無と化したオート。
高級食材を手抜きに手抜きをした結果、劇薬へと化したGIMI。
古き良き手探り感を目指した結果、霧に包まれ、暗黒世界と化したホーム。
この3本は"ブランド力"を使ったにもかかわらず、
調理した方向、目指したものがおかしくなってしまい、最終的にはファンを裏切る形になってしまった。
特にホームはオート/GIMIより低価格な点や、ゲームショップ等での宣伝、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ねた結果、
最強の門番らを穿ち、"年末の魔物"として携帯ゲ版KOTYを制すという伝説を残した。
遂には2012年KOTYの逆パターン「国産クソゲーの海外進出」を果たしてもいる。

このご時世、世界に羽ばたく国産クソゲー。それを我々がどういう目で見守るか。
…2013の"年末の魔物"は、2014年に生きる我々に、大きなお土産を残していってくれたのだ。

最後にホームの開発スタッフ、
検証の為に散っていった者達、
そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向けて
とある偉人の言葉を拝借し、この2013年度KOTYを占めたいと思う。

「運は我々から富を奪うことはできても、勇気を奪うことはできない。」

総評案1-改稿案3 (ホームタウンストーリー)    

2014年07月07日(導入部のみ。◆eyX/iT9LiXMk氏の手による)

去る2012年。
携ゲ板クソゲーオブザイヤースレには、年明け早々から虚実入り混じったクソゲー情報が交錯し、
わずか二作のノミネートに止まった前年の平和に弛み切っていたスレ住民を、混乱の底へと突き落とした。
中でも洋ゲー『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー』は、劣悪な操作性や理不尽な難易度とともに、
現地価格5ドルの上に4980円の値札を貼り付けて来日するという、大賞の称号を受けるに申し分のないクソゲーであった。

そんな混沌からようやく解放され、迎えた2013年。
春一番とともに訪れた2本のクソゲー竜巻が、スレ住民の前に激しく渦巻いた。

1年半、5回に渡る延期の末、激しいエンジン音と共に登場した今年1本目のソフトは、
3月7日発売の3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(開発:インターグロー、通称:オート)。
競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」の監修による、史上初のオートレースシミュレーションゲームである。
このオートは、全国6箇所のオートレース場とオートレースモールでの通販のみの限定販売という、
"オートレース初心者お断り"な男らしさでスレ住民に挑戦状を送りつけた。

まずは、「スーパースター王座決定戦」での優勝を目指すレーサーモードについて述べよう。
コーナー以外の場所ではアクセル・ブレーキ等の操作ができない自動操縦で進行するこのモード。
画面の大部分を覆う灰色のアスファルトを眺めつつ、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら、
コーナーでタイミング良く「L」と「A」ボタンを交互に押すだけであり、
プレイヤーからは「レースゲーじゃなく音ゲーじゃね?」と根本を否定される始末。
一方で、リセットや電源オフは強制リタイア扱いとなり、オートセーブ仕様も相まって、単純作業ながら予断は許さない。
カスタマイズ機能は「高いパーツを買ってレースに勝てばいい」の一言で済むものの、
パーツの性能が高ければ高いほど使える回数が少ないので、使い勝手は非常に悪い。
そんなカスタマイズとレース参加を繰り返して、前述の王座決定戦に出場、優勝することが最終目標となるのだが、
この年に一度の大一番に出場するためには、開催される他の大会で全て優勝するか、自らのランクを上げておかなくてはならず、
リセットの許されない単純作業に耐え切れずに敗北するとまた来年、もう一度全てのレースがやり直しとなる。
挙句、これら全ての困難を乗り越えて王座決定戦で優勝しても、特別なエンディングなどはなく、
優勝賞金の下に「優勝おめでとう」の文字が添えられたしょぼいグラフィックが表示されるだけ。
これを見たプレイヤーは、今まで何のために頑張ってきたのかと頭を抱えることだろう。

また、現実世界のレースを予想してくれる予想師モードは、
同じ開発会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており、無難とも言える出来ではあるが、
「ネットに接続する事」と「レースの出走時間直前での予想」が条件になるので、その両方が満たされていないと使えない。
この予想師モードのためだけにゲームを買うのであれば、実際のオートレースでお金をかけた方がまだ有意義であろう。

単純作業で大クラッシュレベルの苦痛を味わえるオートが「ゲー無の究極」かもしれないと評される中、
「ゲームを買うなら♪」でお馴染みのゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
JKAの『みんなで』計画は発売日以降も終わることなく続いていたのだ。

総評案1-改稿案4 (ホームタウンストーリー)    

2014年07月10日(総評案1の誤字・脱字のみ修正。◆3iI3gbP0ac氏の手による)

2012年携ゲ板クソゲーオブザイヤーに次々と出現した糞ゲー、彼等による情報の交差は、
前年の平和に慣れたプレイヤーやスレ住民を谷底へと突き落とした。
その中でも、糞フルプライスで颯爽と来日し、
劣悪な操作と理不尽な難易度を我々に見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』は、
大賞の称号を受けるに申し分ないクソゲーであった。

そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、
春一番とともに訪れた、2作品による被害甚大なクソゲー竜巻であった。

1年半に渡る5回の延期を重ね、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場した1本目は、
3月7日発売、3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(発売:インターグロー、通称:オート)。
このソフトは競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」が監修している、
史上初のオートレースを題材にした"アクションレースシミュレーション"という耳新しいジャンルのゲームであり、
全国6箇所のオートレース場とオートレースモール通販でのみの限定発売と、
"オートレース初心者お断り"の男らしい販売方法でスレ住民に挑戦状を叩きつけた。

画面の大部分を灰色のアスファルトが占め、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら、
コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押すだけのレーサーモードは、
コーナー以外の全体が「自動操縦」であり、
プレイヤーからは「レースゲーじゃなく音ゲーじゃね?」と根本を否定される始末。
カスタマイズ機能は「高いパーツ買ってレースに勝てばいい」の一言で済むのだが、
高いパーツほど壊れやすく、ゲームなのかシミュレーションなのか当惑しかねない仕様である。
またレーサーモードの目的である"スーパースター王座決定戦"は、
その年の優秀選手のみが出場できるが「敗北=一年間の作業が全て無」に帰る賽の河原仕様。
リセットや電源断は強制リタイア扱いとなり、オートセーブ仕様によりやり直しなどの一切は認められない。
そんな困難を乗り越えてエンディング"優勝"に辿り着いたとしても、
優勝賞金の下に"優勝おめでとう"の文字がショボンと表示されるのみ。
表彰台でのシャンパンファイトなどの栄光のワンシーンが3Dで飛び出すようなことは勿論無い。
プレイヤー各自が想像する余地があるとも言える、ある種心に残るエンディング演出とも言えるだろうか。

また、現実世界のレースを予想してくれる予想師モードは、
同じ開発会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており、無難とも言える出来ではあるが、
その競馬予想ソフトは1000円で販売されていて、言ってしまえば最大で1000円の元しか取れていない。
さらに、"ネットに接続する事"と"レース出走直前での予想"が条件として課せられているため、
レースのない日時にレース気分を味わうような使い方は出来ず、眺めることさえできない。

単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう当ゲームが"ゲー無の究極"かもしれないと評され続ける中、
ゲームを買うなら♪でお馴染みのゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
JKAの『みんなで』計画は発売日以降も終わることなく続いていたのだ。

そして2本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは、
3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(発売:Para Phray、通称:GIMI)。
"VOCALOID"の中の一つ"Megpoid(GUMI)"を題材に、
動画サイト等で人気の曲を収録した音楽ゲームとして出された本作は、
発表と同時に既存GUMIファンやボカロファンなどから声を上げ歓迎されていた。
…しかし、このゲームを開発した"Para Phray"は、
2010年KOTY据置における次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』販社の新ブランド!
というニュースが流れるとともに陰る不安の声も見え隠れしてきていたが、
…結果として不安は現実となり、"調整不足"・"作り込みの放棄具合"がニュースとして流れ出したのだ。

差分を抜いて全7種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
これだけならまだ良かった。
踊るGUMIに心を重ね、表示される譜面通りにリズムよくボタンを押すゲームの筈が肝心のBGMと譜面がズレており、
「音ゲーとして成立していない音ゲー」というオートに続く新ジャンル作品となっていたのだ。
譜面のズレは統一性がなく千差万別で、ズレていない譜面を見た場合も「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥る始末。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音ライクなSEまでもが妨害するため、
ズレ回避には"BGMに耳を傾けない"という音ゲー全否定のプレイスタイルで望まなければいけない。
そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは「発生原因不明のフリーズ」。
唯一のセーブ手段「手動セーブ」すら行えないこともよくある話。
苦労の結晶を破壊されたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを筆者は祈らずにいられない。

ではキャラクターゲーム/ファンディスクとしての評価はどうだろうか?
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるのではないだろうか?
GUMIのような"VOCALOID"はそもそもキャラクターだけでなく、GUMIを用いて作成された"曲"が一番の要となってくる。
しかし、肝心の曲が"どんなに長い曲でも90秒でバッツリと雑編集"され、突然打ち切りの様に終わるとなれば、
作詞者・作曲者、そしてプレイヤーの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。

GUMIの衣装も誰が作ったのか分からないものしかない上、当然褒められるものでなく、曲と関係ないものが多い。
唯一の救いだったかもしれない"有名のダンサーによるGUMIのダンス"は前述の酔っぱらいカメラで台無し。元も子もない。
おまけ的存在である"GUMIルーム"も「コミュニケーションを楽しめる!!」との前振りであったが、
反応パターンは極少。会話が成り立っているのかも怪しいレベル。
プレゼントを渡しても中身は一切見やしない…。
ならば日記に感想でも?と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけ。
…この感情疎通の不可能なコミュニケーション不全のGUMIのことを、ファンは本当に"あのGUMI"と認識できるのだろうか?

と思っていたら公式ブログでは"GUMI"を"GIMI"と誤記。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言える。
開発側からもファンからも見放された"GUMI"っぽい娘は加害者でもあり被害者であり、
プレイヤーは(♯^ω^)ビキビキと血管を浮かべつつも、その不幸な生い立ちに涙したのだった…。

桜も散らす2体の門番を前に、KOTYの門を叩く者々は跡形もなく散っていく。
スレ住民が「これ以上のクソゲーはないでしょ」と油断し雑談に耽る中、
とうとう迫る師走、"年末の魔物"がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー(通称:ホーム)』(発売:スパイクチュンソフト、開発:トイボックス)。
…牧場物語の生みの親、和田康宏氏が独立後に手掛ける新作の"ハートフルアドベンチャー"であり、
ファンもそれ以外も注目した今作。
老若男女向けに見える楽しそうな田舎暮らしを描いたパッケージが期待を否応なく盛り上げたが、
しかし裏腹、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な苦く苦しい暮らしであった。

一々変わるカメラワークにより3D酔いに悩まされる日々。
一人で探索するには広すぎるマップ。
村人は主人公のダッシュよりも多少遅い程度のスピードでガシガシと歩いている為、
ただ村人に話しかけるにも先読み/先回りが必須。3D酔いは加速。
後に追加されるワープ機能は便利ではある反面、探索ゲームとしての楽しさを半減させ、
かといって使わなければカメラワークに酷い目に合わされる。
「田舎生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら現実で吐き気と戦い、我に返ることも多々あるだろう。
操作感だけでこの始末である。

当初メインと思われていた"お店経営"は実は"ハートフルなストーリー"を見る為に必要な儀式の一つであり、
どう見ても「机」なのに「棚」と説明される「商品棚」に商品を並べ、お客が来たらレジ会計するという流れである。
が、棚には同一商品でも一つしか物が置けず、更に値段を記憶してくれるような現代的な機能は田舎にはない為、
商品が売れる→商品を並べる→再度値段を設定…という手順を踏まなければいけない。
そんな手間は面倒!という通常の神経を持った人の為にか、
商品を連続で客に押し付ける→倍以上のマネーをどこかからGET!となる"コンボ"があるのだが、
「列を作ってお金を稼げばいい」の一言で済んでしまい、考えて商品を並べる僅かな楽しみも失われる。
かといって使わなければただただ作業で、ボールペン工場でのバイトとさほど変わらなくなる…。
自分の手間が省ける→3DSが頑張る→過負荷→フリーズ、とお茶目な挙動を見せることも多々あり、
「田舎生活=スローライフ」をエンジョイしようとした筈が、現実でビクビクとプレイさせられ、我に返ることも多々あるだろう。
過酷な作業orぼったくりの押し売りの二者択一を選択させられるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来たプレイヤーには、
サイコパスなブラック企業を創業することをお勧めしたい。

…では肝心の要、ハートフルな筈の物語/イベントはどうなのだろうか?
ハートフルと謳われたイベントは、
「道に落ちている」or「店で買う」キーアイテムを「所持する」or「お店で販売する」事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、
どこに落ちているか?/いつ落ちているか?/いつ売っているか?はプレイヤーには一切告知されない。
なんとかキーアイテムをGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。

これらを乗り越えて見られるイベントは苦労に見合わない内容(例:おっさんに怒られた)等が主で、
思わず溜息を漏らしてしまうものが殆どだが、
中には"いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ"といったような、
違う意味の溜息が出続ける超展開の鬱イベントも存在している。
…イベント発生後、殆どの村人はお構いなしの平凡な日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。

また、世界観から明らかに食み出ている耳障りで変えられないVOCALOID製の店内BGMや、
延々放置されたかと思えば、やたら難解な異次元の話になる"ばぁば"、
どこに入力するか誰もわからないままのパスワード等、
"Heartful story(心温まる物語)"と"Hurtful story(心傷つける物語)"を勘違いしているのでは?という指摘が相次いだ。
…プレイヤーの売った望遠鏡が遠因で少年が葬られる。
こんな体験が"Heartful"だと製作者サイドは本気で思っているのだろうか?

こうしてスレ住民に"クソゲー"として認められた3作が、大賞候補として集まった。
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい。

それは『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めるのがとても困難であった。
その理由は、候補3作がどれも人に語っても伝わり難い方向のクソゲーであったからだ。
特にホームはそれが群を抜いて顕著であり、その上発売のタイミングが悪く、
検証による掘り下げが足りていなかった。

そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
それは、人を楽しませる為の一つの娯楽として成り立っているからだ。
では、人が楽しむゲームというのはどういうゲームだろう?
ゲームの目的を語られた仕様を元に、
自身の攻略法・技量を生かして到達したり、
プレイヤー自身がキャラに成りきり目的を決めて行動できること…
それ以上に自身で遊べる事ではないだろうか?

今年の3作品は確かにプレイする事に苦痛を味わう事になる。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感がある。
明示された仕様を元に自身の技量や攻略法を駆使することで最終的には自力でクリアーできた証明が残ると共に、
ゲームならではの「緊張感」からの「解放感」が得られるのだ。

では、ホームはどうだろう?
プレイヤーが自力で解決すべき行為を運によるランダム性に変えられる事によって、
自身で考える/クリアーしていくといった要素が大幅に縮小され、目的は最後まではっきりとしない。
また複数の不明瞭な仕様によって、探索ゲー・お使いゲーとしての基本や楽しみがことごとく粉砕される。
ノーヒントでただただ放置されるこの苦しみからはどれだけ時間が経とうとも解放されることがない。
そして何より"自由度が高い"と言うジャンル特有の良さを極限に圧縮してしまった事によって、
自身で目的を決めて自由に遊ぶ事が難しい作品になってしまったのだ。

プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
たしかにかつて、そうした手探り感をもつ名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さと苦痛とでプレイヤーを苦しめた、
邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もまた存在した。

スーパーモンキー大冒険…未来神話ジャーヴァス…たけしの挑戦状…。
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らの方だ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは、禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。

プレイヤーの声に答えながら、
より自由に、より物語に入り込めるように、やりこめるように進化してきたジャンルにおいて、
その「進化してきたもの」を取り去って全力で退化していくホームのその様は、
まさにクソゲーとしてふさわしいものであった。

こうして"年末の魔物"として姿を現したホームは、スレ住民に検証する事の大切さを説いたと共に、KOTYの王冠を見事手に入れる事が出来たのだった。

今年の携帯機版はある意味恐ろしい年であった。
仕様通りに作ったらできたものが虚無であるオート。
高級食材を手抜きに手抜きをした結果劇物へと化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない「運」をたたき付けたホーム。
この3本はどれも「ブランド力」を備えていたにも関わらず、調理した方向、目指したものがおかしくなってしまい、
最終的にはファンを裏切る形にとなってしまった。
特にホームはオート・GIMIより低価格な所や、ゲームショップ等での宣伝、海外先行販売、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ね、
その勢い衰えることなく他国にまで手を伸ばしている。
ある意味、最悪で最高のクソゲーであろう。

また、ホームは"年末の魔物"として携帯機版KOTYでは久々の勝利であったことも記しておこう。

最後にホームの開発スタッフ、
検証の為に散っていった者達、
そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、
とある偉人の言葉を拝借してこの2013年度KOTYを締めさせていただく。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」

総評案1-改稿案5 (ホームタウンストーリー)    

2014年07月13日改訂版(◆3iI3gbP0ac氏の手による)

2012年、携帯機版KOTYスレは次々と交錯するクソゲー情報に混沌の渦へと叩き落とされた。
中でも劣悪な操作と理不尽な難易度とともに、来日にあたって約十倍の値上げという離れ業を我々に見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー』は、大賞の称号に相応しいクソゲーであった。
そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、春一番とともに訪れた二本のクソゲー竜巻だった。

一年半に渡る五回の延期の末、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場したのは、3月7日発売、『みんなでオートレース3D』(発売:インターグロー、通称:オート)。
競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」の監修のもと、史上初のオートレースゲームとして登場した本作は、“アクションレースシミュレーション”という欲張りすぎてなにがいいたいのかわからないジャンルを公称している。
全国六ヶ所のオートレース場とオートレースモール通販のみという異色の販売方式からは「オートレース素人お断り」という男らしさが感じられるだろう。

今作のメインとなるのはレースを重ね“スーパースター王座決定戦”の優勝を目指すレーサーモードである。
なお、レースはハンドル操作もアクセル操作もない自動操縦で行われ、プレイヤーはコーナーごとにタイミングよくLボタンとAボタンを交互に押すだけとなっている。
「レースゲーではなく音ゲーではないのか?」と根本を否定したくなるだけではなく、灰色のアスファルトが大半を占める画面を眺め、レース状況を間違える実況を聞きながら淡々とLとAボタンを交互に押すだけの作業は虚無を極めた代物である。
その虚無に緊張感を与えるためか、本作は強制オートセーブ仕様となっており、レース中にリセットや電源切断をするとリタイア扱いとなってしまう。
最終目標を達成するには重要レースでの連勝が求められるが、もちろんこの間にもオートセーブ仕様は健在であり、単調さに屈して一度でも負けてしまえばその年の成果はすべて無に帰し「もう一年遊べるドン!」となり、賽の河原にいるような気分が味わえる仕様となっている。
虚無感あふれる作業を一瞬の油断もなく続けなくてはいけない、最悪の意味で絶妙なバランスといえるだろう。

またカスタマイズ機能も、パーツを替えても見た目が変わることはなく、「価格が高いほど強いが使用回数が少ない」という単純さで、やはり虚無を感じる仕上がりである。
出走前に立てる作戦のベストアンサーが表示されることも虚無感を加速させる。

こうした虚無と困難を乗り越えて辿り着くエンディングは、賞金額の下に「優勝おめでとう」の文字がショボンと表示されたのちスタッフロールが流れるだけという、プレイヤー各自の想像する余地を十二分に残した、ある種心に刻み込まれる演出となっている。

また、現実世界のレースを予想をしてくれたり、仮想通貨を賭けることのできる予想師モードというものもある。
同じ会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており無難な出来ではあるが、その競馬予想ソフトは1000円で販売されている。言ってしまえば高く見積もっても1000円分の価値しかない。
予想の後はレース模様が再現されるわけではなく、ただレース後にネットにつないで当たり外れを見るだけ。レース開催日以外には使用することすらできない。
実在レーサーを自由に組み合わせて架空のレースを観戦することもできるが、登録されているレーサーの数は少なく、オートレースファンが満足するにはほど遠い出来となっている。

単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう今作こそ「ゲー無の究極かもしれない」と噂される中、ゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
JKAの「みんなでオートレース」プロジェクトは発売日以降も続いていたのだ。

そして二本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは、3月28日発売、『Megpoid the music♯』(発売:Para Phray、通称:GIMI)。
VOCALOIDの一つ"Megpoid(GUMI)"を題材に、動画サイト等で人気の曲を収録した“リズムアクションゲーム”である本作は、発表と同時にGUMIファンやボカロファンなどから歓びの声をもって迎えられた。
しかし、本作を開発したPara Phrayが、2010年据置機版KOTY次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』発売会社の新ブランドであるというニュースが流れると、不安の声が見え隠れしはじめる。
結果としてその不安は現実のものとなり、本作は発売されるやいなや、調整不足と作り込みの放棄が白日のもとに曝け出された。

差分を抜くとわずか七種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
場合によっては数十秒にも及ぶ長いロード時間。
だがこれだけならばまだ良かった。
表示される譜面にそってリズムよくボタンを押すゲームの筈が、肝心のBGMと譜面がズレており、「リズムに乗ってはいけない音ゲー」というまったく新しいジャンルのゲームとなっていたのだ。
譜面のズレは千差万別で予測がつかず、ズレていない譜面を見ても「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥らざるを得ない。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音めいたSEまでもが妨害するため、「BGMに耳を傾けない」という音ゲー全否定のプレイスタイルで望まなければいけないのだ。

そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは発生原因不明のフリーズだ。
セーブ画面にたどりつけないこともよくある話であり、もちろんオートセーブなど存在しない。
苦労を無にされたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを祈らずにいられない。

ではキャラクターゲーム、ファンアイテムとしての評価はどうだろうか。
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるだろう。

VOCALOIDはそもそもキャラクターを用いて作成された曲が一番の要となり、GUMIにもまた多くのファンを魅了した数々の名曲が存在する。
しかし、どんなに長い曲でも約90秒に雑編集され、打ち切られたように突然終わるものまであるとなれば、作詞者・作曲者、そしてファンの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。

GUMIの衣装も曲と関係ないものばかりで、オリジナルの楽曲PVの雰囲気は出し難い。
唯一の救いと成り得た有名な踊り手によるダンスモーションも、前述の酔っぱらい量産カメラワークで台無しとなっている。
「コミュニケーションを楽しめる!!」との触れ込みであった"GUMIルーム"も、肝心のGUMIの反応パターンが極少で、プレゼントを渡しても中身を見ようとすらせず、会話が成り立っているのかも怪しいレベルである。
「ならば日記に感想でも?」と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけだ。
この意思疎通の不可能なコミュニケーション不全少女を、ファンはGUMIと認識できるだろうか?

と、思っていると公式ブログで“GUMI”を“GIMI”と誤記していることが発見される。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言えよう。
製作者からもファンからも見放された“GUMIっぽい娘”は加害者であると同時に被害者でもあったのだ。
タイトルの末尾が示す通りに血管を(♯^ω^)ビキビキと浮かべていたプレイヤーも、その不幸な生い立ちには涙を禁じ得なかったという。

桜も散らす二体の門番を前に、KOTYの門を叩く者達は跡形もなく散っていき、スレ住民は「これ以上のクソゲーはないだろう」と油断し、雑談に耽っていた。
だがついに迫った師走、年末の魔物がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、『ホームタウンストーリー』(発売:スパイクチュンソフト、通称:ホーム)。
今作は『牧場物語』の生みの親、和田康宏氏が手掛ける“ハートフルアドベンチャー”である。
男女を問わず幅広い年齢層から注目を浴び、楽しそうな田舎暮らしを描いたパッケージもまた否応なく期待を盛り上げた。
だがしかし、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な辛く苦しい生活であった。

一人で探索するには広すぎるマップ。
一々切り替わる劣悪なカメラワークによる3D酔い。
主人公のダッシュに近い速度で移動する村人を捉えることは困難で、ただ話しかけるだけでも先読みが必要となる。
相乗効果が3D酔いを加速させ、「田舎生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら吐き気と戦う羽目になるだろう。
操作感だけでこの始末だ。

メインと思われがちなお店経営はストーリーを見る為に必要な儀式の一つに過ぎない。
机型のものしかない商品棚に品物を並べ、お客が来たらレジ会計するというのが基本の流れである。
だが、棚には同一商品でもまとめ置きができず、つけた値段を記憶してくれるような便利な機能は田舎には存在しない。
商品が売れるたびに一つ一つ並べ直さなければいけないし、いちいち値段を決め直さないと初期値のままになってしまうのだ。
さらに店内に多くのオブジェクトを置くと過負荷によってフリーズというお茶目な挙動を見せることも多々ある。
スローライフをエンジョイする筈だったのが、ビクビクとプレイさせられている現実に気づき、我に返ることも少なくないだろう。

また、客を待たせて列を作り、商品を連続で売ることに成功すると販売価格以上のマネーがどこからともなく手に入るコンボシステムというものもある。
これを駆使すればお店経営は商品配置も値段設定もなにも考えず「客を待たせてコンボで稼げばいい」の一言で済み、工夫する楽しみが失われてしまう。
使えばバランスブレイカーとなり、使わなければ工場のライン作業のような苦行がただ延々と続くのだ。
過酷な作業orぼったくりの二者択一を選択させられるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来るのはサイコパスくらいだろう。
そんな方にはブラック企業の創業をお勧めしたい。

では肝心要の物語はどうだろうか。
ハートフルと謳われたイベントは、道に落ちていたり店で買えたり村人にもらえたりするキーアイテムを、所持するか店で売る事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、どこに落ちているのか、いつ落ちているのか、いつ売っているのか。プレイヤーには一切告知されないのだ。
なんとかGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。
これらを乗り越えて見られるイベントは「おっさんに怒られる」等、思わず溜息を漏らしてしまうような苦労に見合わないものが殆どである。

ほかにも世界観から明らかにはみ出ている耳障りなVOCALOID製の店内BGMや、延々放置されたかと思えば衝撃の真実によって薄気味悪くなるばあばの存在。
入力してもなにも起こらない謎のパスワード機能など、“Heartful(心温まる)”と“Hurtful (心傷つける)”を勘違いしているのでははないかと思わせる仕上がりとなっている。
ことに「いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ」という超展開の鬱イベントは、プレイヤーの心に胸糞悪い影を落とすだろう。
その後、殆どの村人がなにごともなかったかのように日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。
こんな体験が“Heartful”だと製作者は本気で思っているのだろうか。

こうしてスレ住民にKOTYに相応しい大賞候補作と認められた三作が集まった。
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい。

それは『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めるのがとても困難であった。
候補三作がどれも方向性の異なるクソゲーだったからだ。
特にホームはそのクソさが伝わりづらく、発売時期が悪いこともあって検証による掘り下げに時間がかかった。
異なるクソさを比べる議論の内容は、いつしかゲームの本質をめぐるものにまで達していた。

そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
それは、人を楽しませる為の一つの娯楽として成り立っているからだ。
では、人が楽しむゲームというのはどういうものだろう?
語られた仕様を元に、自身の攻略法・技量を生かして目標に到達したり、プレイヤー自身がキャラに成りきり目的を決めて行動できること……
それ以上に自身で遊べる事ではないだろうか?

今年の三作品は確かにすべてがプレイに苦痛をともなうものだ。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感がある。
明示された仕様を元に自身の技量や攻略法を駆使することで、最終的には自力でクリアーできた証明が残ると共に、ゲームならではの「緊張からの解放感」が得られるのだ。

では、ホームはどうだろう?
プレイヤーが自力で解決すべき行為を運によるランダム性に変えられる事によって、自身で考える、クリアーしていくといった要素が大幅に縮小され、目的は最後まではっきりとしない。
また複数の不明瞭な仕様によって、探索ゲー・お使いゲーとしての基本や楽しみがことごとく粉砕される。
ノーヒントでただただ放置されるこの苦しみから、いつ解放されるのか、どうすれば解放されるのか、プレイヤーが知る術はない。
そして何より「自由度が高い」と言うジャンル特有の良さを極限に圧縮してしまった事によって、自身で目的を決めて自由に遊ぶ事が難しい作品になってしまったのだ。

今作について、プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
確かにかつて、そうした手探り感をもつ古き良き名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さと苦痛とでプレイヤーを苦しめた、邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もまた存在したのだ。

スーパーモンキー大冒険……未来神話ジャーヴァス……たけしの挑戦状……。
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らの方だ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは、禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。

ゲームはプレイヤーの声に答えながら、より自由に、より物語に入り込めるように、よりやりこめるように、つまりはより面白くなるように進化してきた。
その進化を捨て去り全力で退化していくホームの姿は、まさしく大賞に相応しいものであった。
こうして"年末の魔物"として姿を現したホームは、スレ住民に検証する事の大切さを説くと共に、KOTYの王冠を手にしてしまうこととなった。
また携帯機版KOTYでの"年末の魔物"の勝利は2009年以来の久々のものとなったことも記しておこう。

今年の携帯機版KOTYは恐ろしい年であった。
仕様通りに作ったら虚無ができてしまったオート。
高級食材を手抜きに手抜きを重ねて調理した結果、劇物と化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない「運」をたたき付けたホーム。
この三作はいずれも「ブランド力」を備えていたにも関わらず、ファンを裏切る形となってしまった。
特にホームはゲームショップ等での広告、海外先行販売、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ね、パッケージソフトとしては低価格なこともあり、その勢い衰えることなく他国にまで手を伸ばしている。
最高に最悪なクソゲーと言えよう。

最後にホームの開発スタッフ、検証の為に散っていった者達、そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、古代ローマの偉人セネカの言葉を拝借して2013年度KOTYを締めさせていただきたい。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」

総評案1-改稿案6 (ホームタウンストーリー)    

2014年07月20日改訂版(改稿案5の大賞理由を大幅に書き換えたバージョン。◆3iI3gbP0ac氏の手による)

2012年、携帯機版KOTYスレは次々と交錯するクソゲー情報に混沌の渦へと叩き落とされた。
中でも劣悪な操作性と理不尽な難易度とともに、来日にあたって約十倍の値上げというクソの絨毯爆撃を我々に見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー』は、大賞の称号に相応しいクソゲーであった。
そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、春一番とともに訪れた二本のクソゲー竜巻だった。

一年半に渡る五回の延期の末、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場したのは、3月7日発売、『みんなでオートレース3D』(発売:インターグロー、通称:オート)。
競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」の監修のもと、史上初のオートレースゲームとして登場した本作は、“アクションレースシミュレーション”という欲張りすぎてなにがいいたいのかわからないジャンルを公称している。
全国六ヶ所のオートレース場とオートレースモール通販のみという異色の販売方式からは「オートレース素人お断り」という男らしさが感じられるだろう。

今作のメインとなるのはレースを重ね“スーパースター王座決定戦”の優勝を目指すレーサーモードである。
なお、レースはハンドル操作もアクセル操作もない自動操縦で行われ、プレイヤーはコーナーごとにタイミングよくLボタンとAボタンを交互に押すだけとなっている。
「レースゲーではなく音ゲーではないのか?」と根本を否定したくなるだけではなく、灰色のアスファルトが大半を占める画面を眺め、レース状況を間違える実況を聞きながら淡々とLとAボタンを交互に押すだけの作業は虚無の一言に尽きる。
カスタマイズ機能も、パーツを替えても見た目が変わることはなく「価格が高いほど強いが使用回数が少ない」という単純さで、出走前に立てる作戦のベストアンサーが表示されることも虚無感を加速させる。

そうした虚無に緊張感を与えるためか、本作は強制オートセーブとなっており、レース中にリセットや電源切断をするとリタイア扱いとなってしまう。
最終目標を達成するには重要レースでの連勝が求められるが、もちろんこの間にもオートセーブ仕様は健在だ。
単調さに屈して一度でも負けてしまえばその年の成果すべてが無に帰し「もう一年遊べるドン!」という、賽の河原にいるような気分が味わえるわけである。
虚無感あふれる作業を一瞬の油断もなく続けなくてはいけない、最悪の意味で絶妙なバランスといえるだろう。

こうした虚無と困難を乗り越えて辿り着くエンディングは、賞金額の下に「優勝おめでとう」の文字がショボンと表示されたのちスタッフロールが流れるだけという、プレイヤー各自の想像する余地を十二分に残した、ある種心に刻み込まれる演出となっている。

また、現実世界のレースを予想をしてくれたり、仮想通貨を賭けたりすることのできる予想師モードというものもある。
同じ会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており無難な出来ではあるが、その競馬予想ソフトは1000円で販売されている。言ってしまえば高く見積もっても1000円分の価値しかない。
予想の後はレース模様が再現されるわけではなく、ただレース後にネットにつないで当たり外れを見るだけ。レース開催日以外には使用することすらできない。
実在レーサーを自由に組み合わせて架空のレースを観戦することもできるが、登録されているレーサーの数は少なく、オートレースファンが満足するにはほど遠い出来となっている。

単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう今作こそ「ゲー無の究極かもしれない」と噂される中、ゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
JKAの「みんなでオートレース」プロジェクトは発売日以降も続いていたのだ。

そして二本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは、3月28日発売、『Megpoid the music♯』(発売:Para Phray、通称:GIMI)。
VOCALOIDの一つ“Megpoid(GUMI)”を題材に、動画サイト等で人気の曲を収録した“リズムアクションゲーム”である本作は、発表と同時にGUMIファンやボカロファンなどから歓びの声をもって迎えられた。
しかし、本作を開発したPara Phrayが、2010年据置機版KOTY次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』発売会社の新ブランドであるというニュースが流れると、不安の声が見え隠れしはじめる。
結果としてその不安は現実のものとなり、本作は発売されるやいなや、調整不足と作り込みの放棄が白日のもとに曝け出された。

差分を抜くとわずか七種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
場合によっては数十秒にも及ぶ長いロード時間。
だがこれだけならばまだ良かった。
表示される譜面にそってリズムよくボタンを押すゲームの筈が、肝心のBGMと譜面がズレており、「リズムに乗ってはいけない音ゲー」というまったく新しいジャンルのゲームとなっていたのだ。
譜面のズレは千差万別で予測がつかず、ズレていない譜面を見ても「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥らざるを得ない。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音めいたSEまでもが妨害するため、「BGMに耳を傾けない」という音ゲー全否定のプレイスタイルで臨まなければいけないのだ。

そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは発生原因不明のフリーズだ。
こまめにセーブして備えようとも、オートセーブは存在せず、セーブ画面への往復には長いロード時間が待ち受ける。
そもそも一曲終わった直後に発生することもあるため防ぎようがない。
苦労を無にされたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを祈らずにいられない。

ではキャラクターゲーム、ファンアイテムとしての評価はどうだろうか。
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるだろう。

VOCALOIDはそもそもキャラクターを用いて作成された曲が一番の要となり、GUMIにもまた多くのファンを魅了した数々の名曲が存在する。
しかし、どんなに長い曲でも約90秒に雑編集され、打ち切られたように突然終わるものまであるとなれば、作詞者・作曲者、そしてファンの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。

GUMIの衣装も曲と関係ないものばかりで、オリジナルの楽曲PVの雰囲気は出し難い。
唯一の救いと成り得た有名な踊り手たちによるダンスモーションも、前述の酔っぱらい量産カメラワークで台無しとなっている。
「コミュニケーションを楽しめる!!」との触れ込みであった“GUMIルーム”も、肝心のGUMIの反応パターンが極少で、プレゼントを渡しても中身を見ようとすらせず、会話が成り立っているのかも怪しいレベルである。
「ならば日記に感想でも?」と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけだ。
この意思疎通の不可能なコミュニケーション不全少女を、ファンはGUMIと認識できるだろうか?

そう思った矢先、公式ブログで“GUMI”を“GIMI”と誤記していることが発見される。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言えよう。
製作者からもファンからも見放された“GUMIっぽい娘”は加害者であると同時に被害者でもあったのだ。
タイトルの末尾が示す通りに血管を(♯^ω^)ビキビキと浮かべていたプレイヤーも、その不幸な生い立ちには涙を禁じ得なかったという。

桜も散らす二体の門番を前に、KOTYの門を叩く者達は跡形もなく散っていき、スレ住民は「これ以上のクソゲーはないだろう」と油断し、雑談に耽っていた。
だがついに迫った師走、年末の魔物がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、『ホームタウンストーリー』(発売:トイボックス、通称:ホーム)。
今作は『牧場物語』の生みの親、和田康宏氏が手掛ける“ハートフルアドベンチャー”である。
男女を問わず幅広い年齢層から注目を浴び、楽しそうな田舎暮らしを描いたパッケージもまた否応なく期待を盛り上げた。
だがしかし、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な辛く苦しい生活であった。

一人で探索するには広すぎるマップ。
一々切り替わる劣悪なカメラワークによる3D酔い。
主人公のダッシュに近い速度で移動する村人を捉えることは困難で、ただ話しかけるだけでも先読みが必要となる。
相乗効果が3D酔いを加速させ、「田舎生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら吐き気と戦う羽目になるだろう。
操作感だけでこの始末だ。

メインと思われがちなお店経営はストーリーを見る為に必要な儀式の一つに過ぎない。
机型のものしかない商品棚に品物を並べ、お客が来たらレジ会計するというのが基本の流れである。
だが、棚には同一商品でもまとめ置きができず、つけた値段を記憶してくれるような便利な機能は田舎には存在しない。
商品が売れるたびに一つ一つ並べ直さなければいけないし、いちいち値段を決め直さないと初期値のままになってしまうのだ。
さらに店内に多くのオブジェクトを置くと過負荷によってフリーズというお茶目な挙動を見せることも多々ある。
スローライフをエンジョイする筈だったのが、ビクビクとプレイさせられている現実に気づき、我に返ることも少なくないだろう。

また、客を待たせて列を作り、商品を連続で売ることに成功すると販売価格以上のマネーがどこからともなく手に入るコンボシステムというものもある。
これを駆使すればお店経営は商品配置も値段設定もなにも考えず「客を待たせてコンボで稼げばいい」の一言で済み、工夫する楽しみが失われてしまう。
使えばバランスブレイカーとなり、使わなければ工場のライン作業のような苦行がただ長引くだけなのだ。
過酷な作業orぼったくりの二者択一を迫られるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来るのはサイコパスくらいだろう。
そんな方にはブラック企業の創業をお勧めしたい。

では肝心要の物語はどうだろうか。
ハートフルと謳われたイベントは、道に落ちていたり店で買えたり村人にもらえたりするキーアイテムを、所持するか店で売る事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、どこに落ちているのか、いつ落ちているのか、いつ売っているのか。プレイヤーには一切告知されないのだ。
なんとかGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。
これらを乗り越えて見られるイベントは「おっさんに怒られる」等、思わず溜息を漏らしてしまうような苦労に見合わないものが殆どである。

ほかにも世界観から明らかにはみ出ている耳障りなVOCALOID製の店内BGMや、延々放置されたかと思えば衝撃の真実によって薄気味悪くなるばあばの存在。
入力してもなにも起こらない謎のパスワード機能など、“Heartful(心温まる)”と“Hurtful (心傷つける)”を勘違いしているのではないかと思わせる仕上がりとなっている。
ことに「いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ」という超展開の鬱イベントは、プレイヤーの心に胸糞悪い影を落とすだろう。
その後、殆どの村人がなにごともなかったかのように日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。
こんな体験が“Heartful”だと製作者は本気で思っているのだろうか。

こうしてスレ住民にKOTYに相応しい大賞候補作と認められた三作が集まった。
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい。

それは『ホームタウンストーリー』である

2013年は大賞を決めるのがとても困難であった。
候補三作がどれも方向性の異なるクソゲーだったからだ。
特にホームはそのクソさが伝わりづらく、発売時期が悪いこともあって検証による掘り下げに時間がかかった。
異なるクソさを比べる議論の内容は、いつしかゲームの本質をめぐるものにまで達していた。

そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
楽しいからだ。
何故楽しいのだろうか?
先人たちがゲームの楽しさを追求した果てに、現代のゲームが成立しているからだ。
では、ゲームの楽しさとはどういうものだろうか?
自身の攻略法・技量を生かして目標に到達すること。
プレイヤー自身がキャラに成りきり目的を決めて行動できること。
答えはいくつもあるだろう。
だがすべての根底にあるのは、自らの操作・意思が反映されること――つまりは「遊べること」ではないだろうか。

確かに、今年の三作品はすべてがプレイに苦痛をともなうものだ。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感がある。
苦渋や困難は味わえども、最終的には自力でクリアーできる。
その際にはゲームならではの緊張からの解放感が得られる。
苦しみを乗り越えたという「遊んだ」記憶が残る。

だが、ホームはどうだろうか。
プレイヤーの思うままに生活するという箱庭ゲー特有の自由度は、諸要素が極限にまで削減されているため存在しない。
ほぼ唯一の目的となるイベントは殆どが退屈なばかりか、ときにプレイヤーに牙を剥くHurtfulストーリー。
そしてそのイベントを進行させようとも、目的も仕様も不明瞭で、殆どが運に左右されるランダム仕様のため、自力で考え、解決していくことはできない。
ノーヒントでただただ放置されるこの苦しみから、いつ解放されるのか、どうすれば解放されるのか、プレイヤーが知る術はないのだ。
自分で選ぶことができず、なにが正解かもわからないものを運だけを頼りにただ待ち続ける行為を「遊ぶ」と呼ぶことができるものだろうか?

今作について、プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
確かにかつて、そうした手探り感をもつ古き良き名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さと苦痛とでプレイヤーを苦しめた、邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もまた存在したのだ。

スーパーモンキー大冒険……未来神話ジャーヴァス……たけしの挑戦状……。
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らの方だ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは、禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。

ゲームはプレイヤーの声に答えながら、より自由に、より物語に入り込めるように、よりやりこめるように、つまりはより面白くなるように進化してきた。
その進化を捨て去り全力で退化した挙句「運」にすべてを任せたホームの姿は、まさしく大賞に相応しいものであった。
こうして"年末の魔物"として姿を現したホームは、スレ住民に検証する事の大切さを説くと共に、KOTYの王冠を手にしてしまうこととなった。
また携帯機版KOTYでの"年末の魔物"の勝利は2009年以来の久々のものとなったことも記しておこう。

携帯機版KOTY2013は恐ろしい年であった。
仕様通りに作ったら虚無ができてしまったオート。
手抜きに手抜きを重ねた調理の結果、高級食材が劇物と化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない「運」をたたき付けたホーム。
この三作はいずれもブランド力を備えていたにも関わらず、ファンを裏切る形となってしまった。
特にホームはゲームショップ等での広告、海外先行販売、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ね、パッケージソフトとしては低価格なこともあり、その勢い衰えることなく他国にまで手を伸ばしている。
最高に最悪なクソゲーと言えよう。

最後にホームの開発スタッフ、検証の為に散っていった者達、そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、古代ローマの偉人セネカの言葉を拝借して2013年度KOTYを締めさせていただきたい。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」

総評案2 (みんなでオートレース3D)    

2012年の携帯ゲーム版KOTY(クソゲーオブザイヤー)を制したのは、
海の向こうからの刺客『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー』であった。
1曲しかないBGM、チープな紙芝居にしょぼいグラフィック、劣悪な操作性に理不尽な難易度と、
彼の者もやはり、大賞の座に相応しきソルジャーであった。

世界にはまだまだクソゲーが跋扈している。その苦い事実を噛み締めながら、
それでも「今年こそクソゲーの無い年になりますように」と、ささやかな祈りを捧げずにはいられない。
だがしかし、その願いも春の息吹と共に呆気なく吹き飛ばされる事となった。
それでは、2013年携帯ゲーム版KOTYの先陣を務めたそのソフトを紹介しよう。

3月7日発売、3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(発売:インターグロー、通称:オート)
このソフトは、競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」が監修している
史上初のオートレースを題材にしたゲームであり、発売当初は
全国6箇所のオートレース場とオートレースモールの通販でのみの限定販売であった。

ゲーム内容は、プレイヤーがレーサーとなり"SGスーパースター王座決定戦"の優勝を目指すレーサーモードと、
実際に行われているレースにゲーム内通貨を賭けて予想する、予想士モードの二つに分けられる。
メインとなるのはレーサーモードなのだが、この肝心のレーサーモードが大問題だった。

レース中の操作は、コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押す。
これによりコーナリングでの「突っ込み」と「立ち直り」をコントロールする……ただこれだけである。
コーナー以外の場所では自動操縦なので、プレイヤーは何もできない。
カメラの視点が斜め下を向いているため、画面の大半を灰色のアスファルトが占め、
天候も昼夜もレース場の様子もロクに判別できない。
アスファルトの上を走るバイクのグラフィックも、タイヤすら回らない非常に質素なものとなっている。
レース中にボイス付きの実況が流れるものの、パターンが少なくすぐに枯渇する。
たまにレース状況を間違えるおまけ付きだ。

最早虚無としか言いようがないレース内容であるが、問題点はまだある。
虚無の筈なのに、何故か苦痛なのである。
コーナーでLとAを交互に押すだけというのは、一見簡単そうに思えるかもしれないが、実はそうでもない。
コーナリング中に表示されているメーターとカウントを目安にLとAを交互に押すのだが、
レースのランクが上がるとメーターの表示が無くなり、フェードアウトするカウントだけを頼りに
タイミングを計らなければならなくなる。ハッキリ言って勘に近い。タイミングもかなりシビアである。
メーター無しではどのくらい早すぎたり遅すぎたりしたのかが判断できず、
一度外しだすと挽回が非常に難しいため、レースの最後まで息が抜けない。
この操作が1レース中に30回~40回ほどあり、プレイヤーの神経を摩耗させていく。

ではレース中以外だとどうなのか?
レース前にマシンのカスタマイズができるのだが、パーツの種類は少ない上に
ポイントとなるのは「値段の高いパーツほど強い」「高いパーツは壊れやすい」の二つだけであり、
普段は安めのパーツで頑張って重要なレースでは高いパーツを使う、くらいしか考える事が無い。
一応タイヤだけは種類が多いのだが、天候や季節に合わせてタイヤを変える必要があるためで、
レース前の表示を見ればどのタイヤにすれば良いかはハッキリしており、
種類が多いといってもプレイヤーが自由なカスタマイズを楽しめるという代物では無い。
加えて、メニューを開く度に車体名の変更画面が毎回開くため、地味に億劫である。
しかし、勝つためには上述したタイヤの変更などが必要なので、やらない訳にはいかない。
楽しくも何とも無いカスタマイズのために、ここでもプレイヤーの神経は摩耗していく。

クリアまでの道のりも、辛いものがある。
SGスーパースター王座決定戦に出場するためには、各レース(G2、G1)で好成績を出しランクを上げるか、
あるいは該当する月の各レースで優勝し続け、最終的にSGに出場する事が条件となる。
そして王座決定戦で優勝すればエンディングを迎えるのだが、このゲームは強制オートセーブなので
王座決定戦の出場を逃すか王座決定戦での優勝を逃すと、
次の機会が来るまでまた神経を摩耗させる耐久レースが続いていく。
ちなみにレース中に本体の電源を切るとリタイア扱いとなる。

もう一つの予想師モードは、レースの出走時間の少し前にレースのデータを受信し、
ゲーム中の予想師キャラがレースの予想してくれるというもの。
発売元のインターグローはこれと似たような競馬の予想ソフトをDSiウェアで出しており、
そちらのノウハウがあるおかげか、こちらの方は目立った荒は無い。
だがしかし、予想ができるのはレースの出走時間の少し前だけなので、
レースの無い日はレースの日程を確認するぐらいしかやる事が無い。
一応、レーサーやコースを自由にエディットして予想ができる"ドリームエディット予想"という
遊び方もあるのだが、肝心のレースシーンが上述の通りなので、ドリーム感を味わう事は難しい。


かくして、強力な先鋒の登場によりスレ住民達は慄然としたが、息つく暇も無く
新たなる刺客がスレにその旋律を響かせる。

3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(発売:Para Phray、通称:GIMI)
キャラクター設定付きの音声合成ソフト"VOCALOID"の中の一つ"Megpoid(GUMI)"が主役を務めるゲームで、
ボーカロイドファンからの注目度は高かったのだが、実際に発売されたそれは
ファン感涙……ではなくファン血涙の1本であった。

BGMに乗りながら、譜面に合わせてボタンを押すというよくあるタイプの音ゲーなのだが、
ここに大きな問題点がある。曲と譜面がズレているのだ。
音楽を主題とした音ゲーにとっては致命的である。しかもズレ方が一定では無く、
最初からずっとズレているのもあれば、最初だけ合っていたり、部分的にズレていたりと、ズレ方もバラバラ。
仕舞いには、ズレていない譜面までズレているような気になってしまう始末。
この他にも、全ての曲が90秒に編集されているせいで一部の曲はぶつ切りに感じられたり、
譜面が時折見辛かったりと、音ゲーとしては残念な出来であった。

キャラゲーとして見た場合も、決して褒められた出来では無い。
このゲームは音ゲーで獲得したポイントを使って、様々なアイテムを購入する事ができる。
その中にGUMIに送るためのプレゼントがいくつかあるのだが、
これらがいずれもリボンで結んだギフト箱であり、違いは箱とリボンの色だけ。
箱のままGUMIに送る事になり、受け取ったGUMIも箱を開けて中身を確認したりしないので、
結局プレイヤーには箱の中に何が入っているのか最後まで分からないという意味不明な仕様となっている。
この他、ゲームを進めると開放されるGUMIとの会話もあるのだが、
パターンに乏しい上に音量調節のミスなのか殆ど聞き取れない台詞もある始末で、
キャラゲーとしても不出来な代物であった。

なお、公式サイトや公式ブログで名前を"GIMI"と誤記されていたため、
「これはGUMIではなくGIMIというキャラのゲームだ」「GIMIなら仕方ないな」と揶揄される有様だった。


かくして3月に2本の大賞候補が出揃い、この2作がKOTY2013の門番として立ちはだかる時期が続いた。
「今年は門番が強すぎる」「今年はオートかGIMIのどちらかだろう」という空気がスレを支配していたが、
遂にその均衡を破るソフトが現れた。
携帯版では2010年の"どんスポ"と"プーペ"以来となる"年末の魔物"の襲来である。

12月12日発売、3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー』(発売:トイボックス、通称:ホーム)
マーベラスの人気シリーズ"牧場物語"の生みの親である和田康宏氏が手掛けた作品であり、
発売元からは"ハートフルアドベンチャー"と銘打たれている。
ゲームの内容は「お店の経営を行いつつ村の住人達と交流する」というものであり、
牧場物語のファンやこの手の箱庭ゲーが好きな層からは期待されていた。
だがその先に待ち構えていたのは、「ハートフル」の意味を考えさせられるゲーム内容であった。

まず画面だが、上画面が3Dのフィールド、下画面が上空視点の簡易マップで構成されている。
上画面では移動中頻繁に視点が切り替わり、そのたびにスティックを倒す方向を調節しないといけない。
移動し辛い上に人によっては3D酔いを誘発する。
下画面を見ながら移動しようにも、簡易マップだと何も無い場所なのに、
3Dフィールドに目を移すとそこには建物があったりと、イマイチ当てにならない。

次にお店経営はどうか?
プレイヤーはまず棚を設置してその上に商品を置くのだが、商品は一つの棚に一つしか置けない。
そのため、一つ商品が売られる度にまた一つ商品を補充しなければならない。
商品の価格を設定できるのだが、前に設定した時の額を記憶してくれないので、
希望の価格で売りたければ毎回設定し直す必要がある。
初期設定のままだと利益が殆ど出ない価格なので非常に困った仕様である。

そしてメインとなる住民との交流、イベントだがこれが輪をかけて面倒な仕様である。
まず、イベントの大半はキーアイテムを所持している事で発生する。
それの入手方法は、行商人から買う、村の中で拾う、住民から貰うという3つの方法があるが、
行商人の品揃えはランダム、村に落ちているかどうかもランダム、住民から貰えるかどうかもランダム、
入手場所についてはノーヒントで、リストも無い。
おかげでプレイヤーは、不毛のランダム砂漠を独り彷徨う事となる。
和田氏によれば「古き良きゲームの手探り感を表現した」との事だが、
残念ながらそれがゲームとしての面白さに繋がっているとは言い難い。

これらの面倒な仕様でプレイヤーの気力をガリガリと削っていく事から、
「Heartful(心温まる)ではなくHurtful(苦痛をもたらす)」という声も挙がるほどであった。


以上、3作のゲームの紹介を終えた所で、2013年携帯ゲーム版KOTYの結果発表に移る。

次点は、『ホームタウンストーリー』
そして大賞は、『みんなでオートレース3D』である。

まず、GIMIが次点を外れた理由について説明させて頂く。
このゲームはオートと並ぶ門番と目されていたゲームであったが、その最大の理由は
「音ズレの酷い音ゲー」というゲームジャンルそのものを完全否定したかのような欠点にあり、
インパクトだけならあるいはオート以上であったかもしれない。

だがしかし、確かに音ズレは酷いのだがその欠点の性質上、次第に慣れてきてしまうという弱点があった。
このゲームは、楽曲を選択して1回目のプレイの際は、15~20秒ほどのローディングが発生するが、
リトライの際にはローディングは無い。そのため、初めは音ズレに対処できなくとも
何度かリトライしていく内に徐々にズレ具合が把握できてしまう。
少なくとも、ミュートでないとクリアできないとかそういう類の代物では無い。

音ズレを抜きにして見ると、音ゲーとして最低限必要な要素は揃っている上に、
GUMIの3Dモデリングはまあまあの出来であり、衣装の着せ替えなどカスタマイズ要素もあるので、
「音ズレも攻略要素の一部」と割り切ってしまえば、それなりに遊べてしまうのである。
勿論音ゲーで音ズレなど本来あってはならない事だが、オートやホームと比較した場合、
相対的に一段落ちるというのが最終的な結論である。
だがもし仮に、リトライの際にもローディングが発生していたとしたら間違いなく次点以上、
大賞の可能性も十分考えられるゲームであった。
門番の称号は決して誇大では無かったことを補足しておく。

GIMIの音ズレと比較すると、ホームのランダムイベントは慣れだけで突破するのは難しい。
この点で、ホームのクソ度は一歩上を行く。
しかし「ランダムイベントも攻略要素の一部」と割り切ってしまえば、
探索や住民との交流という部分で、箱庭ゲーを遊んでいる感覚は味わえる。

一方でオートはどうか?
神経を摩耗させる耐久レースも攻略要素の一部と割り切り、
王座決定戦で優勝したその先に待つ感動のエンディング、それは
優勝賞金と「優勝おめでとう」という文字が表示された画像1枚、
その後、真っ黒の背景に白文字のスタッフロールが流れて終了。
高橋貢や森且行ら実在のレーサー達から祝福されるとか、そういったご褒美は一切無し。
プロセスのレースシーンが、コーナーでLとAを交互に押すだけの虚無ならば、
最後に待ち構えるのも圧倒的な虚無。
耐久レースの苦痛度も然る事ながら、例えそれを割り切ったとしてもどうにもならない。
ゼロを何で割ってもゼロなのだから、ある意味必然ではある。
そもそもコーナーでLとAを交互に押すだけのゲームでは、
レースゲームを遊んでいる感覚を味わうのは至難の業である。
この点で、オートのクソ度はホームの一歩上を行っている。

前年度覇者"ヘビーファイア"があらゆる所にクソ要素をちりばめた絨毯爆撃のようなクソゲーだとすれば、
オートは的確にプレイヤーにダメージを与えてくる、宛らピンポイント爆撃のようなクソゲーである。
コーナーでLとAを交互に押すだけという何も面白くない操作方法によって
シビアなタイミング合わせによる苦痛を倍加させるなど、
最小限の内容で的確にプレイヤーにダメージを与えてくる。
この虚無と苦痛の相乗効果は、従来のゲー無とは一味違うクソ度である。
その苦痛を乗り越えたプレイヤーに対しても、クリア後のご褒美に甘える事すら一切許さない。
このゲームに救いは無い。

コーナーでLとAを交互に押すだけという操作方法でレースゲームというジャンルを破壊し、
ピンポイント爆撃でゲー無の壁すらも破壊したオートは、
我々に「ゲー無の究極形態」というものを知らしめてくれた。
よって、みんなでオートレース3Dを2013年携帯ゲーム版KOTYの大賞とする。


2013年の携帯KOTYは、門番VS年末の魔物というレアケースとも言える展開であった。
「もうこれに並ぶクソゲーなんて無いだろう」と緩みきっていた所に襲来した魔物の存在は、
「ゆめゆめ油断するなかれ」という、戒めのようにも感じられた。
だがそれすらも跳ね除け、見事先行逃げ切りを果たしたオートは、
最強の門番と呼ぶに相応しいゲームであっただろう。

最後に、フランスの小説家サン=テグジュペリの名言を拝借して、
2013年携帯ゲーム版KOTY総評の結びとさせて頂く。

「オートにゲーム性なんて無い。ただ前に進んでいく作業があるばかりだ」

総評案3 (みんなでオートレース3D)    

2012年。携帯版KOTYにとってまさに波乱の一年であった。あらゆる分野からのチャレンジャーが名乗りを上げ、頂点に立ったのは海の向こうからやってきた一隻の黒船『ヘビーファイア・ザ・チョーズンフュー』。10倍の値上げ、異常な難易度、最低の操作性、最悪なグラフィック、PV詐欺と全方位にクソを乱射する勇姿は、まさにクソゲーのトップに立つにふさわしい圧倒的なものであった。シリーズを通して据置版でも猛威を振るった重火の登場した翌年、果たしてこれに並ぶクソゲーは登場するのだろうか?どれだけの猛者達が2013年の覇者に名乗りを上げるのか?その答えが開示されるまでには、3か月の時間が必要となった。

3月7日。3DSに一本のゲームが産声を上げる。『みんなでオートレース3D』(インターグロー/6,090円)、通称「オート」である。実際のオートレースを管轄する財団法人JKAが公式に監修し、曰く初のオートレースがモチーフとなるアクション・シミュレーション・レース。本作は、5回もの発売延期を繰り返した経緯があり、発売までに1年半以上もかけた難産となった。全国6カ所のオートレース場とネット販売限定(後にGEOのみで販売)でお披露目されたそのソフトは、筆舌に尽くしがたい作業ゲー無と化していた。

 まずレース中の操作性であるが、そもそも良いのか悪いのか判断がつかない。なぜならば、レース中に使用するのは「L」と「A」ボタンだけであり、それ以外は何も触らない。表示されたメーターとカウントを頼りに、タイミングよくLとAを交互に押すだけである。バイクは常に自動走行、コーナリング中に「突っ込み」と「立ち直り」のタイミングを操作する、ただそれだけである。タイミングによって結果が「Excellent」「Good」「Bad」と分かれるあたり、レースゲームではなくリズムゲームなのではと勘ぐりたくもなる。しかしこのLとAの交互表示はどのレースでも変わる事がなく、終始一貫してLとAを押し続けるのみ。
これでは難易度を上げる事はできないとでも思ったのか、あろうことか上位のレースではメーターの表示が消え、カウントダウンだけでボタンを押すタイミングを計らなければならなくなる。しかも判定はやたらとシビアであり、上位レースともなるとたとえ大きくリードを開きながら先頭を走っていようと、一度のミスであっさりと後続に抜かされる。さらにこの押すポイントは1レースに数十回あり、最終的な目標である王座決定戦まではほぼノーミスで上記のレースに十数回参加しなければならない。カンだけを頼りに何十回も正確にLとAを押し続ける様は、さながら人間メトロノームである。否応無しに胸焼けのするような緊張が高まるプレイを体験する事になるだろう。

このゲームにはカスタマイズ要素があり、搭乗するバイクを各レースに合わせて整備しなければならない。例えば雨の場合は雨天用のタイヤに変更する必要がある。レースの内容を予想し、理想のマシンを作り上げていくシミュレーション要素があるかと思えば、実態は「とりあえず一番高いパーツを買えばいい」だけである。しかも上位クラスのレースともなると、最高級パーツでなければ絶対に勝てない。もはや戦略性の欠片もない。ちなみに、高いパーツほどすぐ使用不可能になるというストレスを加速させるオマケまでついてくる。さらにはカスタマイズ画面を開く度に車名変更画面が開かれ、変更の邪魔をしてくる。また、各レースの前にマシンに合わせて3つの作戦を選択できるが、そのベストアンサーがカスタマイズ画面に書かれているので考える余地など一切無い。ただ指示に従うだけという、シミュレーションゲームにあるまじき仕様となっている。

演出面では、3Dでレースが観戦できると言えば聞こえはいいが、全バイクが色違いのただのコピペであり、カスタマイズで変えたカラーリングが反映される事は一切無い。カメラ位置も悪く、レース中は画面半分をアスファルトの灰色が支配する。排煙や火花の演出もあるが、レーサーと被ると炎上しているようにも見える。一応はレースらしく実況ボイスもついてはいるもののパターンは少なく、おまけに順位ミスや状況報告の間違いを平然と行う。
カスタマイズやメニュー画面では元SMAPの森且行などの有名レーサーのアバターも登場するものの、「雨の日のカーブは気をつけろ」などと、そもそもLとAボタン以外に操作しないゲームで何の役にも立たない情報をくれる。他にもオリジナルのNPCがレースの合間に短い会話を挟んでくるが、特殊なイベントなど発生するわけでもなく、何のために存在しているのかと問いたくなる。

しかし、このゲームの真価が発揮されるのはそのクリア条件である。上述したように、最終的な目的はオートレースの頂上決戦となる王座決定戦での優勝だが、そこに至るまでの道のりがあまりにも険しい。まず、プレイヤーにはレースへの参加拒否権がない。表示されているレースには必ず参加しなければならず、王座決定戦出場に関わるレースのみへの参加ができない。しかもセーブが毎試合ごとに自動で行われ、負けそうな試合中に電源を落とそうものなら問答無用で棄権扱いとなる。当然 決定戦への出場権も放棄とみなされ、また一から小規模な大会への強制参加が待ち受けている。仮に王座決定戦で負けでもすれば、それまでの努力が水泡に帰し最初からのやり直しとなる。そのため、LとAを交互に押すだけという単純作業に異常なまでものプレッシャーが加わり、じわじわとプレイヤーの精神を蝕んでいく。それだけの労力を割いて得られるご褒美はさぞかし立派なものかと思えば、どの大会での優勝でも「優勝おめでとう!」の文字が表示されるだけ。クリア後のEDに至っては真っ暗な背景にスタッフロールが流れるのみ、クリア特典はもちろん皆無。精神をすり減らしながら何百回と正確にLとAを押し続けたプレイヤーに向けられたとどめの一撃である。

このようにアクション・レース・シミューレーション、あるいはそもそもゲームとしてすら何もかもが失格レベルのソフトであるが、『予想師モード』というものも搭載されている。ゲーム中に登場した実在するレーサーなどを指名し、仮のレースで予想を行うことができる。開発のインターグローが競馬予想ゲームでノウハウを培っているだけに、ベースはそれなりにしっかりしている。が、演出は完全に通常のレース風景であり、スキップして結果だけ見る事もできない。
また、実際のオートレースの状況を受信し、ゲーム中に溜めた資金で実際のレース結果を予想し賭けることができるものの、レースが開催される当日しかこのモードは使えず、レースが3Dで再現されるわけでもない。他にも過去の結果を閲覧も出来るが、いちいち3DSで見るぐらいならネットで検索した方がはやいと選評者に言われる始末。解説用のアバターがいるにもかかわらず、オートレース予想の知識を教えてくれるわけでもなく、本当に何のためにあるのかわからないモードとなっている。

ひたすらLとAを交互に正確に押し続け、代わり映えのしないレースを延々と続け、思考の一切を捨てさせるカスタマイズ。ゲームとしての「楽しさ」をかなぐり捨て、残ったものはただただプレイヤーを疲労させるストレスだけ。このような作品に存在価値があるのかと問われれば、限定版についてくる公式のナンバー入り勝負パンツぐらいにしか見いだせないだろう。

オートレースというとんでもない候補により早くもハイレベルな門番登場かと騒がれる同3月、同レベルのゲームがほぼ同時に名乗りを上げるとは誰が想像しただろうか。28日、オートが猛威を振るうスレにそれは君臨した。

『Megpoid the music #』(Para Phray(株式会社アスガルド))。人気のボーカロイド(合成音声ソフト)『Megpoid』をモチーフとしたリズムゲームである。同ソフトのキャラクターである『GUMI』の3Dモデルが踊るステージを背景に、画面上に流れるボタンをタイミングよく押していく内容となっている。開発には、2010年据置版の『ラブルートゼロ』で存分にその異彩を放った開発会社のアスガルド(パッケージでは「Para Phray」のみ記載)が再登板している事から、その完成度にはリスキーな香りが既に漂っていた。そしてふたを開けてみれば、2011年のヱヴァンゲリヲンのリズムゲーム『3nd Impact』よろしく、リズムもキャラも全てが崩壊している有様であった。

根本的な問題としてまず、「キーを押すタイミングとBGMのリズムがズレている」という致命的な欠点が挙げられる。ズレ方も様々であり、曲の序盤のみ、中盤のみや終盤、曲全体など、収録曲よって千差万別である。恐らく外れていないであろう譜面でも、何が正しくて何が間違っているのか理解できない錯覚にプレイヤーは陥る。ボタンを押す際のSEまでもがリズムを狂わす要因となっており、タイミングよくボタンを押すためには「ミュートが推奨」されるという、リズムゲーム全否定なプレイが最適とされる。

これに加え、画面上に表示される譜面もとても見づらい。ボタンが流れるレーン、押すタイミングを示すマーカーは完全に固定され、頻繁にカメラが切り替わるPVを背景にボタンを目で追うのが難しくなっている。各ボタンを囲う白枠のせいでボタンの指示が判別しにくく、十字キーとボタンの同時押しでは各レーンを結ぶ白線までもが表示され、さらに画面が見づらくなる。このようにタダでさえプレイしづらいUIであるにも関わらず、音ゲーとしてはかなりの高難易度の譜面が用意されている。また、絶妙な処理落ちも随所で発生し、リズムを狂わせるリスクをさらに高めている。ズレる楽曲、見えづらい譜面と異常な難易度により、プレイヤーはゲームを楽しむ前に苦汁をなめることになる。

このようにリズムゲームとしては既に失格レベルであるが、これに拍車をかける要素が他にもいくつもある。ローディングは異様に長く、通常で1楽曲に対し20-30秒もかかる。データインストールをしても15-20秒はざらに待たされ、GUMIのコスチュームやSEを変えるとさらに数秒追加される。特に楽曲選択画面では一曲一曲にカーソルを移動させるだけでもローディンが発する上にフリーズのリスクまで存在している。その一方で、オートセーブ機能は搭載されていない。仮に高難易度のステージをクリアできたとしても、フリーズの恐れのある楽曲選択画面からメイン画面まで戻ってセーブを行わなければならない。この間にも当然のごとくローディングは挟まれるので、セーブするのにもかなりの忍耐が必要である。

それでも、仮にも『GUMI』という人気のボーカロイドを扱った作品であるためキャラゲーとしての価値は存在している・・・・はずであった。しかし実際は「収録されている楽曲が全て90秒で強制終了」「元の楽曲と関係ないコスチュームだらけ」「収録曲の一つにしか関係していないカッパを至る所で登場させる」「屋台が暗闇にぽつんと二つあるだけのステージ」など、本当にGUMIを題材としているのか疑いたくもなる。カスタマイズの幅が狭い専用のルーム内でGUMIと会話が出来るモードも用意されているが、あらかじめ用意された選択肢に対して調教不足のGUMIが噛み合ない回答を返してくる。棒立ちの彼女が「うん、うん」「んー」と延々と繰り返す様子からは、人気キャラのオーラは一切感じられず、まるで幼児プレイでも強要されているかのような感覚へと陥る。その他にも、「音楽が大好き」といった短文ぐらいしか載らない日記、あげても箱を開けないプレゼントなど、もはや何のためにあるのかよくわからない取って付けたようなオマケ要素もある。

リズムゲームとしてもキャラゲーとしても、一体何を目指して開発を進めたのかと疑いたくなる様相であった。そもそも公式がGUMIを「GIMI」と表記しているので、元々別のキャラゲーを作ろうとしていなかっただけかもしれないが。結果的に、プレイヤーからはゲームタイトルの「#(シャープ)」が怒りで浮き出た血管に見えると言われ、スレ内で当ソフトには「GIMI」の愛称で親しまれ、(♯^ω^)ビキビキのAAと共にクソゲーのアイドルとして愛されるまでに至ってしまう。

こうして2013年冒頭から強烈な門番が二人も登場し、さながら金剛力士の阿吽の如く、KOTYの門を堅固に守る事になった。その結果 様々な挑戦者が次々と弾かれ、年末までに明確な候補はオートとGIMIの二択になるのではと危惧された。恒例の魔物が目を覚ますまでは・・・・

12月12日のクリスマスシーズン、3DSに一本のゲームがひょっこりと姿を現す。かの「牧場物語」を手がけた和田康弘氏がゲームデザインをつめる『ホームタウンストーリー』(4,800円/開発トイボックス)である。
幼い頃に過ごした村のとある店を引き継ぎ、村人達と交流しながら物語を進めていく、曰く「ハートフルアドベンチャー」である。しかしその実態は、プレイヤーの心が温まるどころかその前にポッキリ折れてしまうのではないかと心配になる「Hurtful」なものであった。

まずビジュアル面であるが、3D表示のマップであるにもかかわらず、カメラがとにかくよく切り替わるためプレイヤーの視点が定まらない事が多い。人によっては激しい3D酔いを引き起こす原因にもなる。また、建物の入り口が見づらく 下画面に表示されていない建物が上画面では存在しているなど、UI部分でも視覚的にストレスを引き起こす要因が所々に散りばめられている。

次に操作性に関してだが、ゲームを進めていく上で欠かせない住人との会話にも問題がある。NPCはプレイヤーの歩行速度とほぼ同等の速さで移動するため、遠方にいるNPCに話しかけるのに手間がかかるのだ。場合によっては相手の動きを先読みし、さながらアクションゲームのようなコミュニケーション能力が要求される。上記の視覚的な問題やマップの広さと合わさることにより、ストレスも倍増しになる。

ゲームのメイン部分となるお店の営業は文字通りの作業ゲーと言えるだろう。大きな流れとしては「商品を売る棚を置く>棚に商品を置く>商品が売れる>商品をまた置く」の繰り返しで営業は進んでいく。ただし、棚に置ける商品は「一つ」だけであり、棚の数だけ商品を再配置する手間が毎回発生する。また、各商品には値段が設定できるが、売れる度に設定がリセットするためこれもまた毎回付け直す必要がある。救済措置としてレジで複数の客に連続で会計を済ませると、数に応じて1.5倍、2倍、3倍と販売価格にコンボボーナスが入るため、そもそも値段を設定するシステムが意味をなさなくなる。コンボを狙って客を待たせすぎると怒り出すが、ゲーム内時間で2時間近く待たせても特に問題がない。ただし、コンボ中にフリーズが発生するバグも確認されているため、決して油断は出来ない。

ゲームのシナリオを進行していく上では、キーアイテムを入手していく必要があるのだが、この入手条件が理不尽そのものである。条件は大きく分けて3つあり:A 特定の人物から購入する Bマップ上におちているものを拾う C特定の人物に話しかける。ただし、これらの条件全てが「ランダム」である。Aでは何が売られるかはわからず、Bではいつどこで何が落ちているか不明、Cでは話しかけても何ももらえないことがある、といった具合に明確なフラグが存在していないのである。そのためストーリーを進めていくためには、運の要素がとてつもなく重いウェイトを占める。そればかりか、キーアイテムを使う場面でも様々な難点が散見している。キーアイテムを要求する住人からアイテム名を聞けるのがイベント発生時の一回きりのみであったり、依頼やキーアイテムについて再確認できる手段がないなど、心よりも先に血管が沸騰しそうな仕様となっている。また、とどめと言わんばかりに、あるキーアイテムをNPCが先に購入してしまいゲームが進行不能になるバグまでもが存在している。ハートフルどころか、まさにストレスフルな内容である。

ではゲームの舞台や世界観はどうなのかと言われれば、ここでもとてもハートフルとは思えない要素がある。まず、公式で謳われている「盛り沢山」のイベントもどれも内容がとても薄く、数だけ無駄に多く内容は徹底的に薄い。個性的なのは見た目だけかと問いたくなるほど存在感の薄い住人達と会話を交わせば交わすほどに、プレイヤーの心は冷めていくだろう。しかし、イベントの中には「竹馬に乗って夜中に山へ登ったら死んだ」住人のエピソードがあったりと、別の意味でヒヤっとする展開がある。このゲームはプレイヤーの心を温めたいのか凍てつかせたいのか、もはや理解に苦しむ限りである。


ゲー無としてある種の極みに到達したオート、クソゲー化が難しいとされる音ゲー・キャラゲーの両側面からクソ化したGIMI、心を温めるどころかすり潰しにかかってくるホーム。こうして2013年度の3強が出揃った。異彩を放つ門番と年末の魔物。このあまりにも濃厚すぎるメンツの頂点に立ち、見事に2013年KOTYin携帯版の栄冠を勝ち取ったのは・・・・


『みんなでオートレース3D』

今回オートが大賞として推された理由は、ゲームをプレイする上での苦痛度にある。

そもそも、ゲームの楽しさとは何か?それはスタートからクリアするまでの目的を理解し、自分なりに回答を見つけゴールに達するまでのプロセスにあるのではないだろうか。いかにすればゲームをクリアできるのかを試行錯誤する、つまりは楽しく「考える」ことにあるのではないだろうか。

ところが先述したように、オートでは「思考」する事自体が徹底的に排除されている。マシンのカスタマイズは「とにかく高いパーツを買う」、作戦は「表示されたものに従う」、固定されたタイミングにLとAボタンを交互に押し続ける・・・このあまりにも単調すぎる作業の繰り返しの末路はすなわち「思考停止」である。例えるならば、テストで答案用紙と一緒に回答を渡され、ただそれを右から左へと書き写すのみ。考える事をやめ、とにかくゲームの指示に従う様相は、某鬼畜ゲームのキャッチフレーズのように、リアルに「人間性を捧げよ」ということに尽きる。そこにゲームを楽しむ余裕はなく、ましてや達成感など介在する余地など存在しない。ただひたすら正確にタイミングよくボタンを押し続けなければならないプレッシャーに延々と苛まされる「苦痛」しかない。

これ以外にもオートが他の候補をリードする要素はある。まず演出面であるが、果たして開発者は努力しようとしたのかと首を傾げたくなる点だ。SEやBGMの少なさ、絵的に反映される事のないカスタマイズ要素、バリエーションのないステージなど、元々演出に問題のあるGIMIと比較してもそれを下回る内容の薄さと言える。意味のない会話しかしない登場キャラクターは、ホームの住人達でさえも言葉を失うくらいに個性がない。曲がりなりにもボーカロイド「GUMI」のキャラクターや和やかなキャラデザでその世界観を構築しようとするホームに対し、よくあるSNSのアバター程度にしか見えないオートのデザインからは、溢れんばかりの手抜きが感じられる。操作性に関しても、レース以外の画面でのタッチスクリーン限定の操作にも難があり、UIの操作のし辛さも1ランク上の印象を受ける。

理不尽なゲーム内容で言えば、ミュートでプレイすればそれなりプレイが可能になるGIMIにはやや不利な点であったと言える。運任せな要素があまりにも強すぎるホームは、さながらかの四八(仮)のランダムイベントのせいでストーリーのコンプリートがなかなか出来ない記憶を呼び覚ましてくれる。しかしながら、逆に言えば運さえ良ければ、それなりにさくさくとクリアできてしまうという点が挙げられる。一方オートでは、どうあがいても同じ局面に全プレイヤーが遭遇する理不尽さがある。上述したように、決まったタイミング、決まった最強パーツ、そして同じ勝利条件でしかクリアが出来ないので、万人が万人同じ条件下で同じ作業を味わう事になるのである。運の要素が入り込む隙間すらもないのである。本来ゲームとは遊ぶ人によってそれぞれの特徴が表れるものなのだが、オートでその常識は通用しない。これまで大賞に輝いてきた作品の中でも、これほどまでにプレイヤーの個性を消しにかかってくるゲームもそうそうないだろう。「ゲー無」とは、語源となった「人生ゲーム Wiiware版」では「人生」と「ゲーム」要素が抜かれたために出来た言葉であったが、よもやプレイヤーの個性までもが消失するゲー無が登場するとは誰が思っただろうか。オートはまさしく希代の作業ゲー無であり、KOTY2013in携帯版の王者に輝くにふさわしい、絶対に他人に勧めたくないクソゲーと言えよう。

2013年を振り返れば、やや不作気味な一年であったと思われるかもしれない。しかし、選評が書かれながらも決戦まで残らなかった作品は少なからず存在した。裏を返せば、それほど前に強烈な門番としてオートとGIMIが立ちはだかり、そして見事にその門をホームがくぐり抜けたということでもある。最終候補として最後まで仁王立ちを続けたこれら作品があまりにも個性的かつ強烈だったと言えるだろう。ちっとも心温まらない自称ハートフルなゲーム、無音プレイが推奨されるリズムゲーム、そもそもゲームであるかすら怪しいレースゲーム。それぞれが自らのジャンルを否定する希有な面々であり、探せば探すほどツッコミ所が次々と発掘される様はスレ住民を退屈させる事はなかった。可能ならばゲーム内で退屈させてほしくないものだが、それをクソゲーに望むのはただの高望みか。何はともあれ、小数ながらも例年に引けを取らない見事なまでものクソっぷりを見せつけてくれたこれらの作品に、畏怖と敬意の念を送りたい。最後に、見事に大賞の座へと到達した「みんなでオートレース3D」のオープニングの言葉を一部お借りして、本総評の締めとしたい。

「くるしいことも勝負パンツもあるけど、まけないでね」

総評案4 (みんなでオートレース3D)    

2012年のクソゲーオブザイヤーはアメリカからのクソの黒船とも言える重火に蹂躙され
誰もがしばらくクソゲーは見たくないと思っていたが
そんな儚い願いは、クソの匂いを纏った一迅の風によって切り裂かれた。

『みんなでオートレース3D』(略:オート inter grow 3月7日発売 通常版・限定版共に6090円)である。
このソフトは2年弱、5回もの発売延期を経て、競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」による監修の元
満を持して発売されたはずなのにどうしてこうなった?

発売当初は全国の6箇所オートレース場とオートレースモールの通信販売だけであったが
後に全国のGEOでも扱うようになり、犠牲者が増える結果となった

まずゲームを始める前に操作方法を確認しようと操作説明シートを見ると
「スライドパッドをボタン選択に使う」「Bボタンを戻る場合やキャンセルに使う」とあるが、どちらも使えない。
「Yボタンで文字を拡大縮小する」と書いてあるがそれは内蔵されている説明書を見るための操作説明。

ゲーム中には使わないボタンの説明がされている反面、内蔵されている説明書を見てみると
後述のカスタマイズやプロフィール設定画面は基本的にタッチパネルで操作をするが
画面を切り替えるときにLとRを使うことには触れていない
しかしこれもタッチパネルで事が足りる。全てタッチパネルで良いのでは?

また普通の漢字によみがなが付いているが、専門用語の解説は有るが、あまりに少ない。誰に向けて書いたのか?
ゲームを始める前から不穏な気配を漂わせているが、この程度は序の口

オプション画面にはレースゲームのはずなのに難易度設定もキーコンフィグも存在しない。
それもそのはずこのゲームは難易度設定するほどの中身もコンフィグするほどの操作も無い
アクセルもハンドルなくメーターとカウントダウンの指示に合わせてLとA交互に押すだけ

(オートレース用のバイクにはブレーキと計器類はついていない
また、LとAというボタン配置だがオートレース用のバイクは左のハンドルが高く作られており
それを模したものと思われるがゲーム中に説明は無い。)


評価は「EXCELLENT」「GOOD」「BAD」早すぎた時の「TOO FIRST」遅すぎた時の「TOO LATE」の5つ。
どのタイミングでボタンを押そうが、カーソルがメーターの中心に表示されるので
「BAD」が出ても早いか遅いかの確認も出来ない

EXCELLENTだと一枚絵なのにタイヤがカクついているカットインが出るが
自動操縦で勝手に走りつづけており、操作している実感はない。
プレイと無関係に走っているのではないかと勘違いしそうになる

ゲーム中にはボタンを押すタイミングと離すミングが重要と書かれているが
実際には次の指示が出るまで押しっぱなしで問題ない。

当然駆け引きもなく、自分が何位なのか周囲に誰が居るか等を気にしたら指示を見逃すだけである。

夜のレースだろうが、悪天候で路面が濡れていようが、整備を怠ろうが
指示を無視し続けようが、他のバイクと接触しようが、一切事故ることはないという
走る格闘技とも言われるオートレースとは思えない緊張感の欠片もないものである。

オートをプレイするよりもストップウォッチで10秒ピッタリで止められるかを友達と競った方が確実に楽しい

画面の大半を灰色のアスファルトが占めており
プレイヤーは常に中心に居続け、左に傾いたり戻ったりを繰り返すだけ。
疾走感も無く、タイヤはしょっちゅうコースに埋まるうえに、どう見ても回転していないというチープさ


一見ヌルゲーのように思えるが、事ある毎にオートセーブされ
更にレース中に電源を切るとリタイア扱いになるので毎回1発勝負になっている。

実況も有るが種類が少なくすぐに聞き飽きるうえに間違いが指摘されている。
更にスタート時の実況に合わせてボタンを押すとフライングになりペナルテイという罠まで有る。

王座決定戦に出るためには多くのレースで好成績を収めなければならず、逃したら1年全部やり直しになる。
楽しくない作業を繰り返し、罠を仕掛けられ、失敗したら1からやり直し。賽の河原にでも居る気分だ

レース開始前に作戦を「スピード勝負」「コーナー勝負」「インで粘る」の中から選べるが
最適解はカスタマイズ画面に表示されているので考える必要はない。

タイトルには『みんなで』とあるが、対戦は出来ない
代わりに、すれちがい通信で他のプレイヤーのデータを受け取る事ができる。
仮に対戦が出来てもお通夜になるだけだと思われるのでこれで良いのかもしれない

バイクのカスタマイズ要素も有るが、画面を開くたび毎回にマシンの名前を変える画面が出て鬱陶しい。
パーツは「フレーム3種類」「タイヤ16種類」「キャブレター3種類」「クランク6種類」で組み合わせは864通り

一見多く感じるが、レースの中身が無いので普段は安いセッティングで重賞レースの時に高いものを買えばいいだけ。
特に細かい性能差は無く、高いものは性能良いけど、すぐ壊れる。の一言で済んでしまう。
200万円もするパーツは1回で壊れてしまい自由なカスタマイズはできない。

パーツの多くが消耗品なのに、同じパーツをまとめ買いすることが出来ない
タイヤは壊れる前に同じ種類の新品を買うことも出来るが、古いタイヤは1回しか使っていなくても廃棄される。
ペイントも出来るがレースには反映されずマシンに思い入れを持てない。
またカスタマイズを3つまでセーブ出来るがそれぞれに違う名前をつけることもペイントを変えることも出来ない

アバターを作ることもできる。項目は服・顔・プロフィール・ニックネームの4種類。
ロッカールームだと服は反映されるがバイクのペイント同様にレースには反映されない。
実際のレースでもそうなのだろうから仕方ないとも言えるが、ならばなぜこんな機能をつけたのか?

またレーサーらしくヘルメットを被せることも出来る。
パッケージを見ると4人のレーサーがそれぞれ違うデザインのヘルメットを被っているが
実際には2種類だけで、パッケージに描かれているヘルメットはゲーム中には無い。
それ以前にヘルメットはロッカールームでさえ表示されず見られるのは着替え画面のみ

プロフィールはバイクのカスタマイズの車名同様に毎回生年月日を入力する画面が出るのがまた鬱陶しい。
項目は誕生日・血液型・出身地・趣味・ホームで公式の選手名鑑を参考にしたと思われる。
プロフィール設定画面でL・Rとタッチパネルを早く操作すると、強制終了がおきて再起動になるが
先述の通り、これでもかという程にオートセーブの連続なので被害は少ない

レーサーモードの他に予想師モードも有り
ネットに繋いで実際のレースの予想してゲーム内通貨を賭けられ
稼いだ資金でパーツを買うことが出来たり過去のレースの成績を見ることも出来る。

実際のレース以外に様々な条件を指定してレースをエディットすることも出来る
自分のアバターキャラも出走させることが可能で、すれちがい通信で集めたレーサーも選べると思われる。

誰に賭けようが、自分の育てたレーサーが出ようが画面は何故か8番のレーサーを追ったり
毎回レースを見なければならずテンポが悪かったりは有るが、それほど酷い出来とは思えない。
他の要素が酷すぎるので麻痺したのかもしれないが

なおレーサーが実名で登場して色々なアドバイスをくれるが
これがどんなゲームなのか知らされないままコメントだけを求められたらしく
ゲーム内容と関係ないものが多い。また説明書の用語集もあまりに少なく
オートレースを知らないと意味不明な文章も存在する。その一部を紹介しよう



「コーナリングの練習をしておけ。」 直線もコーナーもやることは一緒で練習モードも無い
「左足を有効に使おう。」 そんな細やかな操作は出来ない
「無事故完走が基本だからな。」 このゲームにレース中の事故はない
「やりがいを感じられればいいぞ。」 無理
「いつもドドドには注意しよう。」 日本語でOK




ちなみにドドドとはレース中にマシンが上下に振動し操作が難しくなる現象らしいが、このゲームには存在しない。

彼等の名誉のためにことわっておくが、これらが新人レーサーに向けて贈る言葉ならば適切なものだと思われる。
しかしこのゲームには無用の長物と言わざるを得ない

なおドラ要素として初回限定盤の存在が挙げられる。
ステッカーは良いとして、なぜかパンツがついてくるという迷走ぶりである。誰か止めなかったのか?

とてつもないクソの登場により、クソゲーオブザイヤー2013の火蓋は切って落とされが
オートの絶望も冷めない内に次のクソゲーが現れた。

ボーカロイドを使った音ゲー、という一見クソゲーとは縁の無さそうな華やかなステージからやってきた少女の名は
『megpoid the Music #』(略:GIMI ParaPhray 3月28日 通常版6090円・限定版9429円)
彼女もまた、クソゲーオブザイヤーを争うのに相応しいものであった。

公式サイトに名前をGIMIと誤表記され、出来の悪さからプレイヤーにこれはGUMIのゲームではないと納得され、
GIMIの名が定着し、タイトルの#が血管が浮きだしてる顔を表すAA(#^ω^)ではないかと言われ
そのままスターとしての階段を転げ落ち、クソゲーオブザイヤーにステージを移すという
逆シンデレラストーリーを演じるはめになった

作詞作曲28人 イラスト10人 振り付け3人の総勢41人の協力により作られたゲームで
動画サイトで人気の30曲が収録されているが、プレイするとBGMと譜面がズレているという、
音ゲーの基本中の基本とも言える部分をミスっている時点で致命的なクソであり
しかも合っていたり少しズレたり酷くズレたりとバラバラ。音ゲーなのにリズムに乗れず、SEもうるさくて邪魔
その結果、音ゲーなのに曲もSEもミュート推奨という前代未聞の音ゲーになってしまった

音ゲーとして失格なのはそれだけに留まらず、全ての曲が無理矢理90秒に編集されており
中には途中で雑に終わるものも有り、お気に入りの曲ほど悲しい気持ちになっていく

また、マーカーが白く縁取られているためチカチカして見づらい、というより目が痛い
難易度を上げると、チカチカしてる上にズレが悪化した譜面が大量に増えるので意味がわからなくなる

楽曲やPVを鑑賞するモードも有り、チカチカやズレた譜面に悩まされることなくキレの良いダンスを楽しめるが
やはりこちらも90秒で終わってしまうので、見れば見るほど悲しい気持ちになってくる

曲が雑ならステージも雑で、ステージ全体が基本的にオレンジ一色で塗られていたり
暗い中に屋台が2つ有るだけという手抜きな物も有る、質より量なのかと思ったら数も少なく基本7種類で
小道具などの細かい差分を含めても12種類しかなく、体験版ではないかと勘違いしそうになる

システム面でも問題が有り
ロード時間が長く1回20~30秒、メディアインストールしても15~20秒のロードが入る。

特に曲開始前のロードはSEを変えたり衣装を変えたりすると、更に長くなり
曲の長さ90秒に対しロード時間が40秒になることも有る。

ロード画面でGUMIのイラストが見られるようになっており、こちらは一見の価値が有ると言えるが、
枚数が少ない上にロードの頻度があまりに高すぎるので流石に見飽きる。

またフリーズの報告も上がっており、特に楽曲選択画面で起きるらしい。
オートセーブ機能が無いので、フリーズすると最後にセーブしたところからやり直しになる。
これを避けるためにマメにセーブしたいが、メイン画面まで戻らないとセーブが出来ず
またロード地獄に突入するはめになる

2人同時プレイも有り、同じ曲を1本のクリアゲージを共通で使い、
成功した方だけが適用され一緒にクリアを目指すのだが、もう一人のスコアが画面に表示されており
協力プレイなのか対戦プレイなのか中途半端な存在になってしまった

キャラゲーとしても問題が有り、GUMIルームでは部屋を模様替えしたりアイテムを置いたり出来るのだが
部屋が狭くやり甲斐が無い。会話も出来るが、反応やボイスのパターンが少なくすぐに枯渇する
選択肢によっては「う~ん」「うんうん」「うう~ん」を繰り返すという会話と呼べないものも

ゲームを進めたり、ゲームのポイントでプレゼントを買って好感度を上げることが出来る
それで好感度を上げるとGUMIの声質が変わるらしいが、言われないと気づかない程度
クソ要素とは言えないかもしれないが、買う段階ですでに箱に入っており
GUMIもその箱を開けないのでプレゼントの中身が何なのかは不明のまま

日記も読めるのだが、プレイ画面の一部と、「音楽が好き」程度の簡単な文章が載る程度で読み応え無し
いっその事GUMIルームは無くても良かったのでは?

プレゼントの他にポイントで衣装も買える。色違いの水増し感は否めないが量はそこそこ有る。
しかし、なぜか収録曲のオリジナルPVと同じものは無く、思い入れが強いほど悲しい気持ちになってくる

キャラゲーとしてのキャラ要素が薄い反面で、GUMIには本来ないはずのキャラ要素を勝手につけている。
「キッチンでカッパがタニシ茹でてる」という楽曲に出てくるカッパを固定アイテムのように扱っており
日記やOPにまで登場させている。スタッフがカッパを気に入ったのだろうか?

GUMIファンを深い悲しみで包んだこのゲームは、音ゲーともキャラゲーとも呼べない出来になってしまった
なおGIMIの発売日が3月28日だったことを考えると年度末の魔物だったのかもしれない。

またGUMIのドラ要素は3月29日でのニコニコ生放送が有る。
放送開始から約30分にわたり真っ暗な画面が続き、やっと始まった・・・と思ったら
GUMIルームにGUMIが1人で居る映像がしばらく続き、GUMIが思いっきり机をすり抜け
数分経ってやっと開始。出演者は振り付け3人と作詞作曲が1人とさっき机をすり抜けたGUMIだけ

振り付けと作詞作曲が悪いとは言わないが、なぜ開発スタッフが1人も出演しないのか?
その後もGUMIが巨大化したり分身したり壁に貼られたポスターが剥がれたり
その後も、社長とSkypeを繋いだら音がハウったりとトラブル続きであった
ポスターは不可抗力としても、技術的な事は前もってテストしておくべきだろう


その後も小粒なクソ報告は有ったものの
「オート」「GIMI」という2強の門番により悉く退けられ、半年近くに渡り平穏な時が流れたが

クソゲーオブザイヤーのジンクスとも言える年末の魔物が現れた。
その名は『ホームタウンストーリー』(略:ホーム トイボックス 12月12日発売 4800円)

お店の経営シミュレーションと思いきや、実際はハートフルストーリーを楽しむものであるが
全体的に薄っぺらいイベントが多い一方で
ポチカルが言うところの「主人公のおばあちゃん」つまり本来の店主であった「ばあば」は
主人公にとっての「祖母」ではなく遠い祖先であるということが判明したりとストーリーに謎が多く

他にも伏線と思われる物が多いが、その多くが回収されないままであり
更に、主人公が売った望遠鏡がきっかけで少年が山に登って事故死してしまうという
とてもハートフルとは言えないような後味が悪い鬱イベントまで有り
後述する運ゲー要素も合わせて「Heartful Story」ではなく「Hurtful Story」と言うべきものである。

お店経営の方も作りが粗く、まず店内に棚を置いてその上に商品を置くのだが1つの棚に1つの商品しか置けず
同じ種類の商品をまとめて置くことも出来ないので、売れた場所にはまた改めて置き直す必要がある。

店内の模様替えは「内装」「棚」の2種類しかなく細かいアレンジは出来ない。

商品を売るにあたってコンボシステムが有り、客を意図的に待たせ行列を発生させ立て続けに商品を売ると
長く待たせた上に3人目からなぜか売り上げに倍率がかかり最終的に3倍の値段をふっかけることになる。

行列発生中にスライドパッドとボタンを激しく動かすとフリーズするバグが報告されている。
しかし、店経験値という隠しステータスが有り、コンボをさせてこれを上げないとイベントが発生しないので
客を放置して村を散策するが、カメラアングルを変えられず必要以上にアップだったり、カメラが急に切り替わったりと見づらい。

村を散策する理由としては村人との交流と、他の店に行って商品の仕入れと落ちてるアイテムを拾うことだが
出現箇所に行ってもアイテムを拾えるかはランダムで、イベント発生のキーアイテムがいつ手に入るかもランダム。

アイテムによっては村人から貰えるものも有るが、こちらもランダムで必ず貰えるわけではない。
また午後2時に店に来る行商人から買うという選択肢も有るが、やはりランダムでいつ何が売られるかは分からない。
ロードしてやり直すにも寝る時にしかセーブが出来ないので、その日の朝からやり直しになる

キーアイテムの1つにキラキラ石というものが有り、これを買うカノンとハービーという2人が居るのだが
ハービーが先に買ってしまうと2個めのキラキラ石が取れなくなり、クリア不能になるバグも発生している
(2月5日に更新され発生しなくなった)

イベントは特定のアイテムを依頼されることが多いが、誰に何を頼まれたかはどこにも表示されず
依頼してきた本人も何事もなかったかのようにいつも通りなので、全て覚えるかメモを取らなければならない

パスワードを入力する画面が有るが、入力しても何も起こらない。
いつの日かアップデートで使えるようになる日が来るのかも知れないが
発売から2ヶ月以上経っても一切音沙汰が無いことを見ると望み薄と言わざるをえない。


こうして今年は三者三様のクソゲーが出揃ってしまったが、
2013のクソゲーオブザイヤーという不名誉に輝いてしまったソフトは

みんなでオートレース3Dに決定した

受賞の理由としては「GIMI」はグラフィックは綺麗に出来ており
曲をフルサイズで入れるステージ数を増やすなどの改善が必要になるが
後は譜面とのズレを直したりといった調整で済む程度である

「ホーム」もカメラアングルを動かせるようにする、店経験値を表示する、などの改善案が思い浮かぶ。
また、最大のクソ要素である運ゲーでクソゲーオブザイヤーをここまで戦い抜いたことは評価に値するが
クソゲーオブザイヤーは最悪の「ウンコ」を決める場であって
「ウン」要素がどれだけ強かったとしてもそれでは勝ち取れるほど軽いものではない

しかし「オート」に関してはクソゲーとしての格が違う。予想師モードはまだしも、
ゲームの肝であるレーサーモードは、実はここに書ききれなかった程にクソに満ち溢れており
全部のクソ要素を抜き出したら説明書が出来上がってしまう有様

これを面白くしようとしたらシステムを1から作り直し、グラフィックを全て描き直し、
原型を留めないほどに作り変えなければならない正真正銘クソゲー

ゲーム性の無いゲー無でありながら、煩雑であり苦行であり作業ゲーでありチープでありバグまで持っていて
どうしようもなくつまらない。面白くしようとする意志も感じられない
ゲームとして完全に異形の存在である。おまけにパンツまでついてくる

余談では有るが、オートの発売日3月7日は2012年クソゲーオブザイヤー最後のスレが立った日であり、
まるでクソゲーハンターに安息の日は来ないと暗示しているかのようである

かくして、クソの匂いを纏った風は、他の追随を許ぬまま一気にクソゲーオブザイヤーを吹き抜け、先頭でチェッカーフラッグをうけたのだった

総評案5 (megpoid the Music #)    

2007年の同時受賞に始まり、2008年はクソの完全移植、2009年はエロゲーからの黒船、
2010年は安牌であるブロック崩し、2011年は安価のDLゲー、2012年は海外からの黒船。
思えば過去のクソゲーたちは我々の死角からやってきて、クソを浴びせていった。

そして、2013年。
多数のクソゲーがひしめく乱世を海外からの黒船『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』が制した事で
ようやく混乱が収まり安堵の息をつく住人達。
だが平和は長く続かなかった。
混乱から解放された住人達に休む暇を与えず、
またも死角から跳ね飛ばしたクソゲーが現れたからである。


3月7日に回数にして5回、期間にして実に1年半以上の延期の末に発売された
3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(発売:インターグロー)、通称:オートである。
公益財団法人「JKA」監修したアクションレースシミュレーションで、
公式サイトによれば史上初のオートレースのゲームソフトである。
レースはアクションの1ジャンルだからアクションいらなくね?と突っ込みたくなるが気にしない方がいい。
このゲームにはもっと突っ込まねばならない事が一杯ある。
話を戻そう。
ゲームとは馴染みの薄いオートレースという題材に加え、
日本全国にある6箇所のオートレース場とオートレースモールの通販でのみという限定販売の為発売されるまでまったくのノーマークであったが、
いざ発売されプレイしてみるとその内容は最小限の内容で最大限の苦痛を与える事に特化したゲー無であることが判明した。

ではゲームの内容を説明しよう。
オートのモードは2つ。
メインであるプレイヤーがレーサーになり年末にその年のチャンピオンを決める最高峰の大会である「スーパースター王座決定戦」での優勝を目指すレーサーモード。
おまけで、実際に行われているレースにゲーム内通貨を賭けて予想する予想士モードがある。

メインであるレーサーモードの説明をしよう。
まずは謝らねばならない。
最初にこれをアクションレースシミュレーションといったがオートはアクションでもレースでもシミュレーションでもない。
いや、ゲームかどうかも怪しい。
何故ならレース中に出来る事がコーナーに突入した際に表示されるメーターとカウントにあわせて
タイミング良く「L」と「A」ボタンを交互に押して「突っ込み」と「立ち直り」をコントロールする作業だけだからだ。
他には何も出来ない。
スリップ等のハプニング要素や寄せてきたライバルを避ける等のアクション要素もないし、
コーナー以外は自動操縦なのでアクセルやコース取りといったレースの要素もないし、
大部分を灰色のアスファルトが占めレーサーも全身スーツなので色ぐらいしか違いがない無味乾燥な画面に、
パターンが少なくレース状況を間違えるお茶目な実況ボイスではオートレースのシミュレーションでもない。
先にアクションがいらなくないかと書いたが、実際はアクションもレースもシミュレーションもいらないが正解なのである。
むしろ判定が「Excellent」「Good」「Bad」であるあたり実はリズムゲーなのではないか?と思いたいところだが、
難易度調整の為に高難易度のレースではメーターの表示が消失し勘だけを頼りにベストタイミングを計らなければならなくなる為リズムゲーとしても失格となる。
つまりゲー無である。

だが、オートが他の凡百なゲー無と違うのはプレイヤーに苦痛を与えることを特化しているところである。
まずゲームの殆どを占めるレースでやる事がタイミングよくタイミング良く「L」と「A」ボタンを交互に押すだけという時点で、
妙な悟りが開けそうなくらい苦行かつ作業なのであるがオートが苦痛なのはこれだけではない。
他にもプレイヤーに苦痛を与える為に様々な趣向を凝らしてあるのだ。

説明しよう。
まずカスタマイズ画面。
基本的に「より高いパーツを買えばいい」だけで戦略性が殆どない事に加えて、
出走前に選択する3つの作戦の答えをカスタマイズ画面で表示する事で徹底的にプレイヤーから考える余地を奪っていく。
にも関わらずカスタマイズ画面を開く度に車体名の変更画面が毎回開くといった鬱陶しい方法でプレイヤーの気力をガリガリと削ってくる。

そしてエンディング。
スーパースター王座決定戦に出場するには該当する月に開催される大会で全て優勝するか好成績をあげ自らのランクを上げる必要がある。
だがレース選択が一切出来ないため1度でも優勝を逃すと次の機会までに開催される小さな大会に全て出場しなければならず、
またオートセーブなのに大会中は本体の電源を切ったりリセットすると強制的にリタイア扱いになるためやり直しが一切きかない。
ちなみに1レースにつき「L」と「A」押すだけの単純作業を1レースにつき数十回はやらなければならない上に、
高難易度のレースでは1度でも失敗するとTOPを走っていても後続に抜かれるためミスは許されない。
なので一年に一度しか開かれない王座決定戦は僅かなミスでもう一度一年分全てのレースをやり直しになるという作業と苦行の極地、開発者の悪意の集大成になっている。
そして開発者の悪意の結晶である王座決定戦に勝利しエンディングまで辿り着いても
普通の大会で優勝した場合とまったく同じしょぼい「優勝おめでとう」グラフィックが表示された後、
そのまま黒一色の画面に白文字で名前が流れるだけの最低レベルのスタッフロールが流れてゲームが終了する
という最後までプレイヤーに苦痛を与えてくれる事を考えたつくりになっている。

なおもう一つのモードである予想師モードは実際に行われているレースのデータを受信してそれをキャラクターが予想したり、
レーサーモードと共有の資金を使ってゲーム内で賭けを行うこともできるのでそれなりである。
ただし実際のレースが開催される当日のレース前にしか仮想車券は買えない。
つまり夜にはレースが終わっているのでプレイできない上に、
それ以外では以前のレース結果と今後の日程を見る事ぐらいしかできないので遊ばせる気が見えない。
作中の選手(実在の選手+オリジナル選手)を自由に選んで戦わせることで予想を行う事も出来るが、
レーサーモードの酷い演出を使い回しているレースを必ず見なければいけない上に、
仮想レースで予想を当ててもレーサーモードの資金は増えないので救済措置にもなっていない。

アクションレースシミュレーションからアクションとレースとシミュレーション要素を取り去り、
代わりに作業とプレイヤーへの悪意をこれでもかと詰め込んだオートは、
唯一の長所であった販売経路が少ない為に被害者が少ないという点すら全国のゲオでも取り扱われる事で克服し、
瞬く間にスレを席巻しKOTYを目指してスタートした。



オートに蹂躙され翻弄される住民達だが、まだ2013の攻撃は終わっていなかった。
スレに可愛らしい歌姫の奏でる美しき不協和音が鳴り響いたのだ。

3月28日に発売された、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(発売:Para Phray)通称:GIMIである。
人気のボーカロイド(キャラクター設定付きの音声合成ソフト)「Megpoid」のGUMIが初めて主役を努める動画サイトで人気の曲を収録した音ゲーである。
GUMIファンは勿論、発売元のPara Phrayの大元の「アスガルド」は
2010年据え置き次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』の販売メーカーである事から住人達の期待も高かったGIMIは、
発売されてみると住人達の期待いや、期待以上の代物である事が判明した。

GIMIは3DのGUMIが人気の曲を歌い踊る姿を背景に
右から左へと流れてくる表示ボタンと画面の左側に固定されタイミングマーカーが重なった瞬間にタイミングよく押す事で下部のゲージが溜まり、
一定量を保ったまま曲が終わればクリアとなる太鼓の達人と同タイプのゲームである。
だが恐ろしい事に数多くの曲が楽曲のリズムと譜面がズレているという音ゲーとしては致命的な欠陥を抱えている。
しかも最初からズレている・途中からズレだす・部分的にズレている等々、
ズレ方も千差万別であり難易度を上げるとズレ幅やずれる場所が増えるのでズレになれる事すらできない。
BGM通りに押すと失敗する為プレイの際にはBGMを無視するかミュートにする事が推奨される。

この時点で音ゲーというジャンルから外れるのだがさらにSEが無駄に大きく曲によってはテンポを狂わせる。
いや長押しを成功した後は連続で効果音が鳴りリズム感を狂わせて来るのでSEを切るか、BGM同様ミュートにする事を推奨される。
つまりGIMIは音ゲーなのにミュート推奨である。
何しろ音を出すメリットが無いどころかデメリットしかないのだから。

だがGIMIが音ゲーである事を忘れミュートでプレイしたとしても更にクソが襲い掛かる。

動くGUMIを背景に画面中央にいくつものボタンアイコンが次々と流れてくるため目で追い続けるのがかなり難しいのだ。
加えてそれぞれのボタンを囲う白線が濃くボタンが見づらくなる上に目へのダメージも蓄積されるというオマケもついてくる1度で2度辛いお得なクソになっている。
更に難易度によっては最大4つのレーンが表示される上に、
同時押しがある場合はレーンを跨いで太い白線が引かれるのでもっと追いづらくなりプレイヤーのダメージは加速する!
おまけにカメラをやたらと切り替えた上に頻繁にズームインとアウトを繰り返す事で視点が定まりにくし画面酔いを誘発する事でプレイヤーをKOしようとしてくる。

止めに最大で40秒近くになるロードがゲームのいたるところで発生し、オートセーブが無くフリーズまで発生する。
なのでクソ長いロードに耐え、音ゲーとは何かという問いを封印してミュートにし、
見づらい画面で目へのダメージを受けながら画面酔いに耐えて何とかクリアーしてもフリーズが発生して全て水の泡となるという、
賽の河原で子供が頑張って積んだ石を容赦なく蹴り飛ばす鬼のような行為も行ってくれる。

BGM、SE双方を否定し音ゲーのゲシュタルト崩壊とまで評され、GIMIを遊ぶと他のまともな音ゲーに支障をきたすので遊ばないほうが良いとまで評されたGIMI。
解った。確かにGIMIは音ゲー失格だ。ならせめてGUMIのファンアイテムとして楽しませて欲しい。
このように音ゲーとして楽しむのを諦めたGUMIファンはGIMIをキャラゲーとして楽しもうとした。
だが、KOTYに名乗りを上げるソフトがそんな救いを残してあるはずがない。

説明していこう。

まずステージ数がたった7つしかない。
しかもそのステージも背景がオレンジ一色、真っ暗な背景に屋台が二つ並んでいるだけ等の手抜き感溢れるものになっている。

次に曲も原曲は流石に人気が出ているだけの事はあり素晴らしいものであるがどれも90秒に調整されていて台無しになっている。
いや台無しならまだいい。
調整は盛り上がる場面で突然に打ち切る、間奏に入るタイミングや曲の切り貼りが不自然等、適当極まりないものであり、
あげくに編集ポイントで若干であるがノイズを発生という事までやらかしており原曲をレイプどころか殺害している。
公式サイトから元サイトへ飛び調整されていないフルVerとGIMIを聞き比べたり見比べればどれだけ酷いかわかる。
ちなみに元サイトは全て無料で視聴できるのでキャラグッズとしてGIMIを買う意味は殆どない。

またMegpoidにも謎のカッパ押し及び元の楽曲に関係ない衣装ばかり用意するというキャラの魅力を改悪・殺害しようとしている。

止めにGUMIと様々なコミュニケーションがとれるGUMIルームも、
大して広くもなくGUMIの動きのパターンも少ない為にする事が殆どなく、
プレゼントも箱を送るだけで中身を確認せず反応パターンも少ないのでただ好感度を上げる作業でしかなく、
日記もプレイ画像に音楽が大好き程度の内容の数行のコメントが書かれているだけで読み応え皆無。
GUMIとの会話も、反応パターンが恐ろしいほど少ない上に「うん」「うー」「うんうん」など園児か痴呆症を相手にしているのかと錯覚するかのような反応もあり、
止めに音声の調整がされていないに等しい為、何を言っているのか聞き取れない台詞すらあるという、
まともなコミュニケーションを取る事が厳しい仕様になっている。

以上の要素から、キャラゲーとしても酷い事になっていた。

音ゲーとしてもクソ。キャラゲーとしてもクソ。
一切の救いのないGIMIの暴虐の力はGIMIの本スレが住人達の話し合いで次スレを立てる事をやめて消滅するほどであった。
クソゲーとなってしまったキャラゲーの本スレが葬式になるのは良くある事だが、葬式を通り越して安楽死するのは大変珍しいのではないだろうか?
ここまで酷い出来だと公式がGIMIと間違えたのも愛や情熱など欠片も持っておらずただ金儲けの道具として見ていないのではなく、
逆にこんなに酷い作品をGUMIと認めたくなかったのであえて間違えたのではないかと勘繰ってしまう。

もしかしたらGUMIが発売前、発売後に行われた生放送で登場早々に消えたり、巨大化や突然の暴走したのは初主役のゲームをこんなクソゲーにされた怒りと、
ファンにこれはクソゲーだから買うのは止めてと呼びかける精一杯のアピールだったのかもしれない。



こうして3月に現れたオートとGIMIは圧倒的な門番として君臨した。
風神と雷神、あるいはカサンドラを守るライガとフウガのように訪れたクソゲー候補達を次々と血祭りに上げるオートとGIMIに、
住人達は「今年はもうクソゲーはこない」「門番強過ぎ」と、門番のクソさにただ泣く事しかできなかった。
だが12月、遂に門番を突破しKOTYに名乗りを上げる年末の魔物が現れた。



12月12日に発売された3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー』(発売:トイボックス)通称:ホームである。
かの有名な牧場物語の生みの親である和田康弘氏が手掛けたお店の経営を行いつつ村の住人達と交流しイベントをこなしていくHurtfulな箱庭ゲームである。
注意して欲しいのはホームはプレイヤーの心を暖かくするHeartfulではなく、プレイヤーの気力を蝕んでいくHurtfulなゲームである。
勘違いして買うと後悔する事になるので注意である。

では、なぜHurtfulなのか説明しよう。

まず移動面がHurtfulである。
3Dのフィールドを移動するのだがカメラが寄っていたり入り口が見づらかったりとアングルが悪く更にアングルが頻繁に切り替わるので人によっては3D酔いする。
それを補う為か下画面には上空視点のフィールド全体の簡易マップがあるのだが上マップにあるものが下マップにないので役にたたず、
更にアングルが切り替わるたびにスティックを倒した方向と移動する方向が切り替わる事があるので下画面だけ見て移動するのは難しい。
そのせいで、住民に話しかける事すら住民がこちらより僅かに劣る速さで移動する事も加わってHurtfulである。


次にお店の経営が作業でHurtfulである。
いなくなった祖母の代わりに店を何もわからない主人公が経営するのだが、
主人公に助言をする役割のキャラであるポチカルが殆ど何も教えてくれないのだ。
プレイヤーは主人公と同じ様に途方にくれる事になろう。
また、商品を売るにはまず棚を設置しその上に商品を置き価格を設定する必要があるが、
商品は一つの棚に一つしか置けないのと、売れた商品を自動で補充してくれないのと、設定した価格を記憶してくれない事から、
プレイヤーはひたすら売れる度に商品を棚に置いて価格を設定するという作業を繰り返す事になる。
このクソ面倒臭いHurtfulな仕様の救済要素なのかコンボというHurtfulなシステムがある。
コンボとは会計客を待たせて行列を作り、連続で商品売る事で価格の数倍の値段で商品売りつけるというHurtfulなシステムである。
普通ならレジで数時間待たされた上にぼったくられたらふざけるなと怒るところであるが、このゲームでは普通である。疑問点は忘れよう。
なお客にとってHurtfulなコンボだがコンボをするとフリーズする事があるのでプレイヤーにとってもHurtfulである。
ちなみにゲームの進行に必須なのでコンボをしないという選択肢はない。


最後にイベントが実にHurtfulである。
9割のイベントがキーアイテムという特定のアイテムを所持している事で発生するのであるが、
キーアイテムの入手は和田氏が古き良きゲームの手探り感を味わって欲しいとの意向でノーヒントかつ運である。
依頼者は主人公に欲しいキーアイテムの名前しか告げず、どこにあるかや手に入れる方法を教えない。
それどころか一度依頼したらキーアイテムの名前さえ教えないのである。
「依頼リスト」や「ヘルプ」なんてものは無い。覚えておくかメモれという事であろう。
今の感覚なら不便で仕方ないが古いゲームを目指しているのだから当然である。
なので依頼を記憶するかメモったら後は入手箇所も出現時期も不明なアイテムを求めてひたすら彷徨う事になる。
そして運よくキーアイテムを見つけてもイベントの発生もランダムであるので待たされる。
筋金入りのゲーマーなら子供の頃を思い出し懐かしく感じるかもしれないが、殆どのプレイヤーにとってはクソなだけである。
氏には古い=良いではない事を知って頂きたい。

またモブがキーアイテムを買っていく、バグでキーアイテムが次の日の朝にはなくなっているといった事で詰む事があるが救済はない。
昔のゲームには詰みポイントがあったので当然古いゲームを目指す今作でもあえて用意しなかったのであろう。
だがそんなところまで再現されてもウザイだけである。
氏にはいくら古いゲームを目指すのだとしても、再現してもいいところと悪いところがある事をして頂きたい。

そして昔のように依頼を記憶かメモを取り、
ノーヒントの運ゲーを昔のように強運か時間をかけて突破したプレイヤーを待ち受けるイベントは、
当然のように昔のように古臭く理不尽なものである。
「いつも竹馬に乗っている住民に天体望遠鏡を売ると夜中に竹馬に乗って登山して死んでしまう」
「祖母がいなくなってしまったから村に来てほしいという手紙を受け取ったので村にきたら1000年前にタイムスリップしていた」
等のポルナレフもビックリな意味不明なイベントが淡々と進んでいく。
今の感覚なら超展開の不条理のクソストーリーだが、昔のクソゲーでは超展開は当たり前であった。むしろストーリーがあるだけ感謝するべきであろう。
・・・・・・ここまでくると、氏のやった古き良きゲームがどんなクソゲーだったのか逆に興味が沸いて来てしまう。

それとホームにはゲーム内にパスワードを入力すると何かもらえる要素があるのだが実装されていない。
これも昔のクソゲーは売り逃げ上等だったのでそれを再現する為であろう。


こうして、昔の古き悪いHurtfulクソゲーを完璧に再現したホームもKOTYに名乗りを上げた。




こうして2013のKOTYにオート、GIMI、ホームの3作が名乗りを上げた。
それでは2013年携帯ゲーム版KOTYの結果発表を行おう。

栄光ある2013年のKOTYに輝いたのは『Megpoid the music♯』である!

理由を説明しよう。
オート、GIMI、ホームの3作は全てがプレイしてみると、
「KOTYの為にこんなクソゲーを作ってくれてありがとう」という感謝の思いを拳に込めて、
開発者と販売会社を全力で殴り飛ばしたくなる衝動を抑えるのに苦労する超一級のクソゲー達である。

3作は、クソさのベクトルは違うもののそれぞれの頂点を極めておりクソの総量としては互角であり、
比較しようにもどれも自分の土俵なら必ず勝つが、相手の土俵では必ず負けるという優劣つけ難いものである。
例えるなら空手の世界チャンピオンと、ボクシングの世界チャンピオンと、相撲の世界チャンピオンの誰が一番強いのかを決めるようなものである。
空手のルールなら空手の、ボクシングのルールならボクシングの、相撲のルールなら相撲のチャンピオンが勝つ。
故に優劣を決める為には各ジャンルに完全に平等で公正な新しい統一ルールを決めなければいけないがそんなことは不可能である。
つまりクソ度の比べあいでは決められないし、また決めるべきではないのである。

ジャンルが違うがゲームとしてのクソさは互角。
この混戦を制したのは例年のKOTYでは無視されるような僅かな差であった。
それはGIMIはキャラーゲーというジャンルであった事である。

何度も繰り返してすまないがGIMIのゲームとしてのクソ度はオートやホームと変わらない。
だが変わらないが故にゲームとしてのクソに加えてファンアイテムとしてもクソという加点要素をもったGIMIが混戦を抜け僅かな差で勝利したのである。
普段は添え物やドラや符扱いされるゲームジャンルが決定的な要因となった2013年は、クソゲーとしての完成度が決め手となった2010年以来の大接戦であった。
その大接戦を見事制したGIMIの製作者達には惜しみない侮蔑と憎悪を送り讃えたい。
繰り返すが僅かに届かなかったとはいえオートとホームも十分なクソゲーであるので、製作者は胸を張って購入者に土下座していただきたい。

では最後にオート、GIMI、ホームの3つのクソを掴まされたスレ住人達に今の心境を語って頂き本総評及び2013年を終わりにしたいと思う。
「(♯^ω^)ビキビキ」

総評案6 (みんなでオートレース3D)    

(2014年06月29日)改稿版

その年に発売した携帯機用ゲームで一番のクソゲーを決める、携帯ゲーム版"クソゲーオブザイヤー"。
不幸にもクソゲーを掴んだ者や、自ら進んでクソゲーの検証をする物好きが集う、ゲーム界の影の祭典である。
昨年度、2012年の携ゲ版KOTYでは四作の候補が大賞を争った。
クソ要素のもぐら叩き、ゲームが三つしかないミニゲーム集、誰も得しない良移植のシナリオ破綻ADV……
そして、これら強豪と互角以上の正統派クソ要素に、現地価格から約10倍の値上げなど奇策も併せ持つ『HEAVY FIRE The Chosen Few』。
このクソゲー界のリアル黒船は、KOTYの名に恥じない(恥しかない)クソの塊だと評価され、2012年の大賞として名を残すこととなった。
一方、その大賞決定から遡ること10日ほど。
激論の裏では早くも2013年の大本命クソゲーが現れ、新たなる戦いの幕開けを告げていた。


それでは、今年の候補を順を追って紹介していこう。
まず不名誉な先行争いを制したのは、3月7日にインターグローから発売された『みんなでオートレース3D』(以下"オート")。
各地のオートレース場とオートレースモールの通販のみで販売される(ただし後に全国のゲオで取扱い)という、異色な販路を持ったソフトだ。
約2年もの間延期を繰り返すなど、発売前からきな臭い雰囲気を纏ってはいたが、その実態は想像を遥かに超えるものだった。

まずレースゲームとしての基本仕様を見ていこう。
このゲームにはハンドル操作がなく、アクセルもない。
……いきなり思考が周回遅れにされた読者もいるかと思われるが、実際にやるべきことは実にシンプルだ。
ただ勝手に走るレーサーを見ながら、コーナーでの「突っ込み」と「立ち直り」をコントロールするだけ。
より具体的に言えば、表示されるゲージに合わせてタイミング良くLとAボタンを押すだけだ。
様々なゲームジャンルが複雑化した昨今、ここまで極限に記号化された作業のみでレースが成立する様は、ある意味感動的とさえ言える。
その一方で変な所ではリアル指向で、大会前にオートセーブを行うことで、現実と同じくやり直しをさせない仕様となっている。
もし大会中にリセットや電源断などしようものなら、強制的に敗北扱いとなる。
また、ゲームの最終的な目標は上位レースの"王座決定戦"での勝利だが、その過程では連勝が求められる。
上で述べた強制セーブとの合わせ技で、一度の失敗が一年分の作業を台無しにしてしまうことすらある。
ゲームとして単調単純ではあるが、決して簡単ではない、悪い意味で絶妙なバランスと言える。
現行機種のゲームとは思えない、ローポリの変わり映えのしない路面とレーサーを凝視し、クリアの為に神経をすり減らす単純作業の反復を強いられる。
これは一種の拷問と言っても過言ではないだろう。

いくら土台がそんな有様でも、他に何か楽しい要素があれば多少は盛り上がりもするのだが、オートは他のあらゆる要素も救いようがない。
例えばマシンのカスタマイズは、高いパーツほど全面的に強く、逆に使用可能回数は少ないという、思考停止したような法則に縛られている。
もちろん見た目が変わるワケでもなく、拘りを挟む余地はない。
このクソなカスタマイズの他に、出走前に作戦を選ぶこともできる。
だがこれもベストアンサーが表示されるため自分で考える余地はなく、こんな所もAUTOなのかと呆れさせてくれる。
そして大会で優勝しても特殊なイベントや得るものは殆どなく、賞金額と「おめでとう」というしょっぱい表示が出るだけだ。
最終目標であるところの"王座決定戦"もほぼ同様で、賞金表示の後に貧相なスタッフロールが流れるだけで何事もなく終了する。

なお、レースとは別に予想師モードというものもあるが、こちらはどちらかというとアプリの類で、ゲームの領分からは外れている。
レーサーを集めて架空のレースを設定し勝負を眺めることが出来るが、肝心の実名レーサーの数は少なくファンほど物足りない出来。
また現実のレースデータを使って仮想ギャンブルを楽しむこともできるが、この楽しさも現実のオートレースそのものの楽しさでしかないだろう。
ゲームとは言えないためクソゲーの要素として数えるべきかは微妙だが、敢えて評価するならツールとしての存在意義も薄いと言わざるを得ない。

以上のように、全てがひたすらに薄く、ただ苦行だけを押し付ける、レースゲームの形をしたそれ以外の何か。
それがこのオートだ。


オートに続けとばかりに間髪入れず現れたのが、3月28日、ParaPhrayから発売の『Megpoid the music♯』。
これは右から流れてくる指示譜に従ってボタンを押すという、システム的にはオーソドックスな音ゲーだ。
収録楽曲が音声合成ソフト"VOCALOID"の一つ"Megpoid"(GUMI)に焦点を絞っていることは、これがタイトルの一部になっていることからも伺えるだろう。
なお、公式サイトの誤植からKOTYスレでは主に"GIMI"と呼ばれている。
本作はオートと違い発売前のファン層からの注目度は高く、言わば「待望の一作」だった。
しかしいざ蓋を開けてみると、その完成度は惨憺たるものだった。

基本的なシステム周りの問題点を検証していこう。
まず、事ある毎に長時間のロードが挟まる点が挙げられる。
一分半ほどのプレー時間の楽曲に対して、数十秒待たされることもしばしば。
他にも突発的なフリーズの報告が多数あり、オートセーブがないことと相まり被害を大きくしている。
本来ならば人気曲を採用していることは評価点と言えるが、やっつけ編集で一分半のぶつ切りになってしまえば、これもクソを引き立てる要素に成り果てる。
また、キャラゲーとしての問題点も存在する。
元キャラがVOCALOIDであるという性質により、本来のキャラ付けは薄いのだが、「ルーム」などでは妙なカッパ推しなどで独自の味付けがなされている。
逆に「会話」では変に遠慮しすぎたのか、反応パターンが恐ろしいほど少なく、園児を相手にしているような錯覚に陥ることも。

とまあ、これまで挙げた問題点だけではせいぜいガッカリゲー程度なのだが、まだ説明していない音ゲーとしての問題点がある。
むしろ次の問題点こそ、GIMIに於いて最も致命的な欠陥だろう。
それは、BGMと譜面がズレることだ。
音ゲーにおける楽しさは、リズムに乗るという、本能に訴えかける部分に大きく依存している。
これがズレによって阻害されると逆にストレスになり、例えるならは刺身にタンポポを乗せる仕事のような、単調かつつまらないものに変質するのだ。
せめてこのズレが一定ならば慣れで吸収することも出来たが、曲や難易度などの状況によりズレかたが千差万別では、慣れようはずもない。
この音ゲーを根本から台無しにする仕様に対して、さすがにメーカーも対策を提示した。
それは回収やパッチではなく「プレイしづらい場合は音を消してプレイしてほしい」というもの……

かくしてGIMIは、前代未聞の公認ミュート推奨音ゲーとして、KOTYの舞台へと躍り出ることになった。


上記の二作が門番として立ち塞がったまま、いくつかの作品が話題に上がっては消えを繰り返す。
例年であれば大賞争いに参加するクラスの2大クソゲーが、相補するようにスクラムを組んでしまい、半端なクソゲーでは太刀打ちできなかったのだ。
そのままいよいよ年末を迎え、KOTYスレ住人達も「今年はこの二作の争いで終わりか」と油断していた。
しかしここに来て、最近の数年間眠り続けていたクリスマス商戦の"年末の魔物"が新たな姿で現れ、スレ住人やいたいけな子供たちに牙を剥く。
12月12日発売、『ホームタウンストーリー』(発売元:トイボックス)、通称"ホーム"だ。
本作のジャンルはハートフルアドベンチャー、店舗の経営を軸にしたスローライフ系のゲームである。
著名な開発スタッフを鳴り物として発売した本作だが、クリスマス商戦という時期的な事情もあってか、様々な問題を含んだまま世に送り出された。

まず代表的なクソ要素として、イベント進行のランダム性が挙げられる。
本作のイベント発生のきっかけは、多くがキーアイテムの入手となっているが、その入手法がいずれもランダムでヒントもない。
ランダム性と合わせて前提条件なども複雑に絡み合っているため、霧の中を進むような古き悪き手探り感を味わえる。
他には、住人からアイテムの入手を依頼されるパターンのイベントもある。
しかし、住人達は揃いも揃って何が欲しいかを依頼時のみしか言わず、その時以外に確認する手段も用意されていない
メモなどをしておかないと、要求されたアイテムはおろか依頼を受けたかどうかも分からなくなってしまうとは、不便を通り越して理不尽ですらある。
他にも、カメラワークやあいさつ回り時の住民の移動など、システムの基本部分の不快さはストレスに拍車をかける。
もちろん生活の軸となる店舗経営についても、価格設定や在庫の配置などあらゆる点が不便で、作業感が凄まじい。
また、客を敢えて待たせて、待ち列を長く形成するほどコンボボーナスで儲けが増えるなど、よく考えるまでもなく不条理なシステムも存在する。
さらにプレー中の時間の多くを割く店内で、本作の雰囲気から浮いているBGMが延々と流れることも、ジワジワとプレーヤーのやる気を削いでいく。

このような様々な問題を乗り越えてようやく見ることが出来るストーリーも、淡白だったり平時と雰囲気が乖離していたり、あまり出来がよろしいとは言えない。
例えば「ある住人が夜中に一人で登山して死亡する」という超展開に対し「殆どの住人は死亡したキャラを悼む様子もなくいつも通り過ごす」。
これのどこがどうハートフルだというのか。
最後に極めつけは、複数イベントにまたがるキーアイテムの、入手フラグ管理ミスにより発生する、進行不能バグだ。
一度発生すればリカバリーの方法はなく、もしセーブ後に気付いた場合はこれまでに挙げたような苦行を最初からやり直すことを強いられる。
(なお補足として、年明け後のため当総評では評価外だが、進行不能バグについては既にパッチによる対応がなされている。)

これら数多の問題点から、ホームは「ハートフルボッコ」「Hurtful」など散々な評価を受け、一躍して話題作へと伸し上がった。


以上三候補が出揃った所で、大賞の決定に入ろうと思う。
それに先立ち、本年の審議はかつてなく難航したことを先に述べておく。
ゲー無でありながら苦痛には事欠かないオート。
無音推奨にファンも絶望するGIMI。
ランダムと不条理という霧の中で存在しない出口を探すホーム。
今年の三作はいずれもトップクラスのクソゲーでありながら、それぞれに共通する「クソの物差し」に欠け、直接比較することが困難だったのだ。
そこで今回は、格候補がほぼ同等のクソの山という前提の下、クソそのものの質や量以外の部分にも着目することとする。

まず「クソゲーとしての安定感」を「どれだけ広く多くクソとして受け入れられるか」と定義する。
今年一番のクソゲーというからには、より広くクソとして認められるゲームでなければならない、ということには特に異論もないだろう。
そこで、いかにクソとして強大であるかとは逆に、クソという評価軸の最大の弱みである個人差について、先に挙げた三候補を比較していく。
世に存在する多くのクソゲーには、クソさの核とでも言うべき、プレー感に大きな悪影響を与えているクソ要素がいくつか考えられる。
もしもこのようなクソの核が、個人差によってクソ要素として感じられない場合、その人にとってのクソゲー度は大きく落ちることになる。
このことから、このクソゲーの核は「クソゲーとしての弱点」と言い換えることもできる。
これがないか、少なくとも致命的でないことは、先に述べた「クソゲーとしての安定感」につながるだろう。
今年の候補で言うならGIMIは特に顕著で、音ズレやキャラゲーとしての描写が明確に弱点として数えられる。
一方ホームについてはGIMIより焦点が散り、個々で減るクソ感は小さいものの、ランダム性の強さ、イベント条件の不可視や進行不能バグなどが弱点として考えられる。
では残ったオートの場合を考えると、個別紹介で説明した通り、レース中の操作法やグラフィックからシステムなど細部に至るまで、広範囲にクソが散らばっている。
これら個々のクソは相関も小さく、どれか一つや二つが欠けたとしてもクソゲーとして大きく揺らぐ事はない。
そのため、オートにはクソゲーとして弱点らしい弱点は存在せず、クソゲーとしての安定感が優れていると推測できる。
また、オートは客観的評価が比較的容易な物量に関する「フルプライスに対して薄すぎる」というクソ要素も持っている。
一方で、GIMIやホームは物量に関しては特に大きな問題は見当たらない。
どうあがいても主観がちな「クソさ」という評価軸において、個人差が小さく客観的評価も可能な要素は重要で、これの有無も安定感に大きく寄与するだろう。
以上の弱点のなさと物量のなさから、オートは三作の中でクソゲーとして最も安定していることが分かる。
しかしこれだけでは、クソゲーとしての優劣を決める決定的な差と言うには少々弱いかもしれない。

そこで次にクソ以外の部分、美点の少なさを比較の助けにすることとしよう。
高度なクソゲーを評価する上で、クソから最も遠く数も少ない「良い所」というのは、今ひとつ軽視されがちだ。
しかし、当然これが少ないほど、クソが弱まったり場合によっては楽しめてしまうという救いの機会も減る。
そのため、クソ部分が同等であるなら美点は少ない方が、合算ではクソゲーとして上回っていると言えるだろう。
まずGIMIであれば、多くがブツ切りながらも人気曲が収録されていることや、背景で踊るGUMIのモデリングやモーション。
ホームにも一部を除いた良BGMや、上滑りしつつも一応続きが気になり、一部は出来も良いストーリー。
それぞれクソではない部分に、見るべき点が存在すると言える。
一方でオートは、先の安定感に関する評価とも重なるが、レースゲームとしてもファンアイテムとしても、ほぼ全面がクソに塗り潰されている。
辛うじて予想師モードの存在や、オートレースを題材とした希少性という見方もあるが、先に述べた通りこれらもゲームとして評価できる部分とは言い難い。
そのため、オートはクソゲーとして安定しているだけでなく、三者の中で救いが最も少ないクソゲーとも言えるだろう。

さて、以上2つの論点から、大勢はオートに決したと言っても良いだろう。
しかし大賞決定の前に、一見すると同程度に感じられるクソゲー三者の中で、なぜオートだけが特にズタボロなのかを、先に考察しておこう。
この構図から思い起こされるのは、かつて激戦の2010年において、大賞決定の根拠となった「クソゲーとしての完成度の高さ」だ。
世のクソゲーは数多くあれど、その殆どは制作過程における様々な障害を理由に、不本意な結末として世に出てくる。
そのため不完全さとは表裏一体であり、どれほど酷いクソゲーでも大抵は本来目標としていた美点が多少は残っているものだ。
だが、目指すべきものがクソであった場合のみこの前提は覆り、クソゲーは完成と共存しうる。
恐らくオートは制作を前に、本来プレイヤーを楽しませる手段であるはずの「オートレースのゲーム化」が、目的に摩り替わってしまったのだろう。
そのため、多くのプレイヤーを苛立たせるクソな仕様に満ち溢れても、美点が微塵も感じられなくても、その問題を発売までは誰も指摘することがなかった。
「いくつかのクソ要素は、むしろオートレースの再現としては妥当なのでは」という意見が散見されることも、この推測を裏打ちする。
つまりオートレースでさえあれば、プレイヤーの楽しさは二の次なのだ。
また、クソに満ち溢れながら、仕様を満たしていないと思しきバグなどの問題点が見られないことも、完成度という観点からは重要と言える。
これについても、GIMIにおける音ズレやホームの進行不能バグに相当する「足りなさ」はオートには見られず、最も完成度が高いという評価は揺らがない。
度重なる延期により伸びた工期を使い、プレイヤーが楽しめない方向に緻密なチューンアップを施されたクソ、それがオートなのだ。

以上から、オートは目標とすべき「仕様」の段階から全てがクソに飲み込まれ、そのまま完成まで突っ走ったということが分かる。
その結果として、三者の中で最も普通のゲームから遠く、逆にクソゲーとしては最も完成度が高いものとなってしまったのだ。
この「クソゲーとしての完成度の高さ」を以ってして、『みんなでオートレース3D』を本年の大賞と決定する。


思えばここ数年の携帯版クソゲーオブザイヤーは、安牌や安価や国外など見えない所からの刺客に蹂躙され、疑心暗鬼になってきていた。
しかし今年は「見えてる地雷」が大賞となり、その信管も伝説となった2010年と同じ「完成度の高さ」と、基本に立ち返ることができただろう。
では、今後も前途多難な道を往くクソゲーハンターたちに、大賞作品から以下の言葉を送り、2013年のクソゲーオブザイヤーを締めくくろうと思う。

「たのしいこともくるしいこともあるけど、まけないでね」