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総評

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「エラーでそもそもプレイできないものは、果たしてゲームか否か」

2015年、携帯版KOTYスレにそんな根源的な問いを引き起こした異形の大賞作『機動戦士ガンダム バトルフォートレス』。
その衝撃の余波は長く議論の尾を引き、ゴールデンウィークを迎えてもなお、2015スレを揺るがし続けることとなった。
しかし、いまだ衝撃はさめやらずとも、前年は前年。我々は新たなクソゲーとの出会いを求め、常に前進せねばならない。
2015スレの紛糾を背にしつつ、2016スレは静かに、新たな門出を迎えていた。


 * * *


クソゲーの旅路で、順調な道程を期待する者はいない。だが、それにしても本年の脅威との遭遇は、あまりにも早く訪れた。
まだ春とも言えぬ、2月5日。住民の行く手には巨大なゴーストタウンが、見覚えのある姿で広がっていた。

『Wizardry 囚われし亡霊の街』(PS Vita、ダウンロード専用)

「七つの大罪」と恐れられた7作が、据置KOTY史上最長、89スレに渡る激戦を繰り広げた2011年。
大賞の『誤当地』と最後の最後まで最凶最悪の座を争い、「ゲーム性では互角」とまで称された、あの『亡霊』の移植作だ。
5年の歳月を経て再び姿を見せたこの怨霊に、スレは瞬く間に恐慌状態に陥ることとなる。

なぜなら、検証者たちが異口同音にこう言ったのだ。「まるで成長していない」と……

そう、『亡霊』は、あのおぞましい姿のまま、まるで変わっていなかった。

敵の能力はレベルに比例して上昇を続けるが、自パーティの能力は序盤で頭打ち。
ゆえに与ダメージはほぼ武器だけで決まってしまうが、その肝心の武器のダメージバランスや入手調整は非常に大味、
と言うより、タバスコを瓶ごと皿にぶちまけたに等しい惨状だ。

「アリアハン出たらさまよう鎧が立ってて、
 ラスボスはバラモスだけど、ラストダンジョンではゾーマが雑魚として集団徘徊」
「最初から王者の剣が売られているうえ、ピラミッドあたりで雑魚がボロボロ落とす感じ」

当時言われたこのような比喩からも、その野放図すぎるダメージ曲線を想像できよう。
味方の攻撃力も序盤からインフレ気味だが、敵側は特殊攻撃や範囲・複数回攻撃が豊富なこともあいまって、ハイパーインフレを起こしてゆく。
そのため彼我の戦力差はシナリオが進むにつれて飛躍的に開き、最終盤では「どうあがいても絶望」のレベルに達する。
だが、その差を埋めるはずの各種補正や補助手段はといえば、

「雑魚の攻撃で、レベルMAXでも7割で麻痺」
「気絶耐性という概念がそもそも存在しない」
「素早さMAXパーティでも敵の行動順が先」
「有効な全体バフが『高リスクのランダム魔法』のみ」

と、ごらんの有様で、まともに機能しているとはお世辞にも言い難い。
このような状況では、大半のプレイヤーの戦闘行動が、結局次のようなものにほぼ集約されてしまうのも、無理からぬことであった。

「攻撃面は最強武器を序盤で入手して、範囲攻撃職で殴る一択。
 防御面は回避盾キャラで『かばう』一択。あとは祈るだけ」

余りにずさんなバランスの前では、多様なパーティ構成を楽しむ余裕などなく、レベルを上げても強くなった実感はそうそう掴めない。
戦闘補助に技を見せたくても補助法がろくに存在せず、まだ見ぬ強力な武器を探す楽しみもない。
『Wizardry』という古典的ハック&スラッシュRPGの系譜に列なる作品でありながら、
「ユーザーの経験にキャラの成長が寄り添い、戦闘を繰り返して強くなる」というハクスラの醍醐味は、『亡霊』においては灰と化していた。
そして、ハクスラ部分が灰となったその後に、いったい何が残っていたろうか?
それは、冒険者を惑わせるリドルもギミックも見当たらぬままに、延々60フロアも続く「広大な通路」と、
ひたすらNPCのお使いに奔走するだけの「御用聞きシナリオ」でしかなかった。

聞く者全てを唖然とさせるこの惨状について、一縷の望みを託すように尋ねた者も存在した。
「で、でも……序盤ならまあ遊べるんでしょ?」

だがこの必死の問いに、選評者はただ、淡々とこう答えたのだった。
「ゲーム前半でもわりと破綻してます。ただ、シナリオ3最終ダンジョン8層以降の理不尽さに比べると無視できるぐらいの破綻です」

「無視できるぐらいの破綻」――『亡霊』の麻痺毒に冒された一戦士の、この底知れぬ闇を思わせる名言に、住民は改めて戦慄した。
そしてまた、改めて思い知らされることとなった。

「戦闘はアイテムで回避して、裏技で金を稼いで経験値を買え」……

2011年当時から各地で提唱されたこの「攻略の最適解」は、誇張ではなく文字通り「最適」であったのだ、ということを、だ。
この虚ろな地縛霊から一刻も早く解放されるためには、それらは確かに「最適」な方法に違いない。
どのような歴戦の冒険者でも、戦いを抛棄するための最適解を求めたくなるゲーム。それが『亡霊』なのだ。

かくして検証者たちの断末魔が響く中、『亡霊』は報告を聞くスレ住民の気力までもエナジードレインさながらに吸い尽くし、スレを支配下に置いた。

ふと暦を見てみれば、そら恐ろしいことに時は未だ、弥生前。
「過去の『大賞級』が、ほぼベタ移植で早春に出現」――据置・携帯を通じてKOTY史上、最悪の門番の誕生であった。


 * * *


さてここで本年の途中経過を、かいつまんで述べておこう。
本年のノミネート作品は、年の瀬が迫るまで『亡霊』ただ一作であった。
だが、これはいわゆる「不作」を意味しない。

事実、住民が動向を注視していた作品の中には、例年であれば十分に選考入りしたと思われるレベルのものも存在した。
例えば、本年据置KOTYで大賞を勝ち取った『古き良き時代の冒険譚』のVita版。
据置PS4版の欠点はそのままに、「CPUの思考時間がさらに長い」という欠点を加味した逸品だ。
しかしこの極上のクソゲーを以てしても、『亡霊』の怨念に打ち勝てると考えて推した者は皆無であった。

KOTYスレは「その年一番のクソゲーを決める決戦場」だ。「一番になりえないクソ」をこね回す場ではない。
ゆえに、今回のように強力無比の門番が既に鎮座している場合、たとえ他作がいくらスレの門を叩いたところで、容易に審議の俎上には上れない。
つまりはこの状況は「不作」などでは決してなく、いわば強大すぎる門番による「一極支配」であった。


 * * *


春が、夏が、秋がいつしか過ぎさり、そして、冬が訪れる。無為に過ぎゆく時間の中、住民は気づきはじめていた。
この呪われた状況に終焉をもたらすかもしれない、真冬の嵐が迫っていることに。
2016年の発売リストも最後尾近く、12月22日。奇しくも仏滅の日の欄に目を向ければ、そこには、ある災渦の名が記されていた。

『太平洋の嵐 ~皇国の興廃ここにあり、1942戦艦大和反攻の號砲~』(PS Vita)

2012年、据置KOTYスレに「ゲー霧」という新概念を打ち立て、満場一致で大賞に選出された超弩級の問題作『太平洋の嵐 ~戦艦大和、暁に出撃す!~』。
今回の『嵐1942』は、あの大賞作と同じくPC版『太平洋の嵐5』を元に、アレンジを加えた新規作だ。
新しいとはいえ、あの『嵐』の再来。
住民たちはおののきながら、しかし一極支配打破への微かな希望をも抱きつつ、嵐の海へ漕ぎ出す検証者たちを見送った。

――果たして、その結果は?

「作業量で舌を噛み切りたくなる……」
「整備画面の解説がどこにも無くて、訳が分からん」
「戦闘時のパラメータ、何に影響してるか全く意味不明なんだけど」

過去にも聞いたことがあるような、切れ切れの悲痛な叫びが時折、霧の彼方から響く。
住民たちは「やはり」と深く嘆息しつつ、濃霧に閉ざされた海域を見守り続けた。
しかし年を越し春が訪れても、挑戦者たちの生還の報は届かない。
新たなる『嵐』もやはり、容易にその全貌を掴ませることのない「五里霧中」ゲーだったのだ。

「全員、嵐に呑まれたのか、霧は永遠に晴れることはないのか……」

気づけばすでに時は7月1日。誰もが諦めかけていた初夏に、不意に希望の日はやって来た。
嵐の海から、ついに帰還した一人の勇者。
彼がその手に携えていたものは――「選評」という名の、「超絶ブラック勤務記録」であった。

戦略SLG『太平洋の嵐』シリーズが売りとするのは、「兵站」を中心に据えた独特のシステムだ。
兵站無くして戦線の維持無し。戦争をリアルにシミュレートするSLGを求めるなら、これは魅力的なポイントと言える。
だが、いかに重要任務とはいえど、一人の司令官が資源に弾薬、食料の手配を一手に引き受けるのは明らかにオーバーワーク。
さらに作戦立案から兵器の開発指示、戦闘機の搭乗員指名に至るまで、広汎すぎる後方作業を委ねられていれば、過労死は必至である。
しかるに『嵐』のプレイヤーたるもの、そうしたブラック軍務の一切合切を引き受ける覚悟が必要なのだ。

また、覚悟のみならず、己を『嵐』世界の労働基準に順応させる「嵐畜精神」の涵養までもが求められている。
ひとたび「嵐畜」となりきれば、一見理不尽な労働の意味も、このように理解していけるはずだ。

「輸送船の燃料が不足すれば輸送は中断し、輸送が途絶えれば戦地の将兵は死ぬ。
輸送一つが皆の生死を分けるのであるから、画面にただ機械的に表示される、日数の概算などは当てにしてはならない。
万が一のミスも無いように、メモとペンを手に、一輸送ごとに綿密な積載物資量の計算を行うのは当然だ……」

「戦況を、そして国家存亡を左右する貴重な物資は、むろん細心の注意を払って扱わねばならない。
どうして有り合わせの輸送船に、あれもこれもと乱雑に積み込むような真似ができようか。
ゆえに、各船に積載する品目は一種に限り、厳重かつ適切な管理のもとに輸送すべきだ。
であれば沈没時のリスク分散も考えたうえで、大輸送船団を編制しなくては……」

しかし、理解できたところで――なぜ部下の助けもなく、システムのろくな支援も期待できず、司令官が手作業で全てを手配しなければならないのか?
しかも仕事を進めようと種々のリストを開くたび、いちいちスクロールのための連打作業が付いてくる。
この徹底的に非効率な「手作業主義」はいったい何なのか?
結局、漂う疑念の霧は、決して払拭できはしないのだ。

ただでさえ非効率すぎる職場環境の中、さらには怪現象の数々が、疲弊したプレイヤーの神経をすり減らす。

「尽きかけていた敵軍の物資が、いつのまにか補給されていた」
「日本軍なのに、米基地で米輸送船に荷を積めるんだが」
「敵基地が、こっちの1分隊に全弾撃ち尽くして自滅したぞ」……

膨大な作業に身を粉にし続けても、「まっとうなシミュレート」を楽しむことはできないSLGが、そこにはあった。
およそ正当な喜びで報われることのない、圧倒的な労苦。
勇者の手記は、半年に及ぶブラック軍務の徒労感をこう綴っている。

「我慢して先に進んでも、出てくるのは手抜きの痕跡と更なる謎ばかり。やがて深みを知る気も失せてしまう」

UIを一新し、シナリオを追加し、チュートリアルを工夫し、さまざまな改良を施したかに見えた『嵐1942』。
しかし、やはり『嵐』は依然として吹きすさぶ『嵐』であった。
プレイヤーの意欲を目標を、飲み込み覆い隠す霧も、未だ晴れてはいなかった。

手記を読み終えたスレ住民は、勇者に深く慰労の意を込めて敬礼し――そして『嵐1942』を、『亡霊』の待つ決戦場へと、しめやかに送り出したのだった。


 * * *


わずか2作。されど、何者よりも恐るべき2作。

怪物同士の大決戦となった2016年、本年の候補2作は、いずれも過去の悪夢の再来であった。
『亡霊』の投げやりすぎるゲームバランス。『嵐1942』の不親切きわまる基本システム。
「作業」と化した戦いがひたすらに続き、その中でうめき続けることしかできない苦痛……
双方が双方とも、過去のそんな修羅道の苦悶を、そのまま我々に投げつけてきた。

そして、それを受けとめる我々の口から、つい漏れた言葉はといえば、「やっぱり」「またか」「前と同じか」……
そこにクソゲーを愛し、またクソゲーを愛する者同士の交流を楽しむ、KOTYスレ本来の心の輝きはあったろうか?
本年度の決戦は我々の「クソゲー愛」すら凍結させる、ブリザードをもたらしたのだ。

だが、そんな中でも『嵐1942』からは、チュートリアルやUIの大規模刷新、新要素追加など、
「膨大な作業に忙殺される楽しみを与えたい」という、決して万人を暖められるものではないにせよ――情熱が感じられた。
「過去の『嵐』とは違う何かがあるのでは」――冷え切った心に吹き込む、そんなぬくもりを、かろうじて感じることができたのも事実だ。

一方、『亡霊』の放つ冷気は凄まじかった。
過去の姿とほぼ変わるところなく、改善点は「出現しないアイテムを一つ削除した」だけとおぼしき、やっつけ仕事ぶり。
あまつさえ「処理落ちの悪化」「プレイヤーランキングの削除」と退化した部分すら見せたこの亡者には、
「ゲームを楽しませたい」という熱気を、どこにも感じることができなかった。
ひとつ検証事実が語られるごとに、話題に上った他作を這い上がれぬクレバスに突き落とし、審議終了に至るまで、住民のクソゲーへの情熱と希望とを氷漬けにし続けた。

ゆえに我々は、かつて無い「クソゲーの熱的死」を体現した「絶対零度」の存在として、
『Wizardry 囚われし亡霊の街』に、2016年携帯版クソゲーオブザイヤー大賞を贈る。


2016年、我々はクソゲーに屈しかけたと言ってよい。
最強の地縛霊に取り憑かれ、生気を奪われ続けた10ヶ月。
霧と嵐に翻弄され、挑戦者の生還を絶望視するしかなかった6ヶ月。
スレは凍てつき、クソゲーを語る気力すら持てぬ日々が続いた。
しかしそんな中でも、検証という名の戦果を、選評という名の勝利を、多大な犠牲を払ってもたらした勇者たちがいた。
彼らのおかげで、我々は今、長い長い凍てつく夜を、ようやく明かすことができる。彼らに、心からの感謝と敬意を捧げたい。
そして彼らの熱意から、希望の火種を受け取ろう。
そうだ。我々は、楽しみたいからこそクソゲーを求め、クソゲーをプレイし、再びスレに集うのだ。

人が死者を葬り弔うのは、生者が死者に別れを告げ、悲しみに区切りを付けて、その先の人生を再び歩むためでもあるという。
だから我々は、悲痛な今年を乗り越え、まだ見ぬクソゲーと出会う未来を迎えるために、ここに葬送の辞を述べて、2016年を締めくくる。


「ささやき ― 祈り ― 詠唱 ― 念じろ! ……過去の亡霊たち は 今度こそ 埋葬されました」

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