嵐1942の選評が届いたため没になった2016年総評案たち。1-1と1-2は同一人物。
全て囚われし亡霊の街が大賞なのは嵐1942の選評がでていなかったため。

総評案1-1 Wizardry 囚われし亡霊の街

2016年携帯総評案1-1

2015年のKOTYはさまざまな方向からの暴力の年であった。全方位から押し寄せるクソゲーの中、住民は必死に生き残び、そしてその戦いを最後まで見届けた。
最後に残ったのはバンダイナムコからの殺人兵器「機動戦士ガンダム バトルフォートレス」だった。
エラーでプレイできない。という新たな、そして哲学的な境地を持ったガンダムの前に誰もがひれ伏すしかなかった。

クソゲーたちの戦いで荒廃と化した大地の上で、2015年のクソゲー同士の戦いを最後まで見届けた住民の誰もが思ったであろう疑問。「クソゲーとは何なのであろうか。」そんな哲学的な疑問に対し直球に答えるかのように2016年"やつら"はやってきたのだった。
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結論から言おう。2016年はある意味「過去の最強クラスのクソゲーの頂上決戦の年」であった。"やつら"の攻撃によりスレは草が1本も生えない焦土と化した。
だが、選評は1つしか来ず それはこれまでの据え置き部門で惜しくも大賞を逃した作品の移植だった...
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2月5日。それは音も立てず静かにやってきた。時空を越えた亡者。アクワイア プレゼンツ『Wizardry 囚われし亡霊の街』(以下、完全亡霊)である。
完全亡霊は2011年KOTY据え置き機部門大賞を『誤当地』と
最後まで争ったPS3の同名作(以下、亡霊)をPSVITAに移植した作品である。

据え置きの亡霊は古典RPGの金字塔である「ウィザードリィ(Wiz)」シリーズの再興を掲げて制作された作品だった。が、「ゲームバランスが腐り切っている」など多数の問題点で据え置き2011年度大賞の謝当地に対して最後まで戦い続けた逸材である。

「移植により良くなるのではないのか。」そんな声希望を持ったが聞かれたが残念ながらそんな事はなく、クソさそのままに移植されている。

それでは気を新たに、完全亡霊の問題点を見ていこう。
本作はダンジョンに潜りひたすら敵を倒しアイテムを集める「ハック・アンド・スラッシュ」というジャンルのゲームである。しかし、セーブバグ以外敵を倒せず結果アイテムも集められないという本末転倒な出来になっている。

・処理落ちしまくり最終的にはフリーズする。
・説明書が仕事をしていない。
・ストレスの溜まる仕様が多い
・ゲームバランスがかなり悪い

最後まで付きまとってくるこれだけの仕様でも十分な問題だが、これは完全亡霊の最初に見せる一面に過ぎない。完全亡霊の最大は最終盤にあったのだ。
それは最終ダンジョン「グラハム迷宮8層」からのバランスの完全崩壊である。一つ前のダンジョンでも「魔法無効エリアで前衛でも2発で倒される睡眠状態異常つき通常攻撃をしてくる雑魚敵が5匹+その他3匹」を倒さないと先に進めないという腐ったバランズだったが、擬似的なボスと見なせることもあり8層に比べれば余り大きな問題にはならない。8層はそれに目をつぶれるほど問題なのだ。
一体どの様な物なのか。

8層ではこちらが作成できる最速のキャラを用意しても先手を取られ、状態異常魔法でパーティ全員が行動不能にされ、一人ずつ順に殺されるのはもはや当たり前の光景となる。全体即死魔法1回でパーティが全滅することも珍しくない。というプレイヤー側に対して世紀末なゲームバランスとなっている。

対抗する方法はないのか。実は対抗する方法は2つある。
1つ目はレベル上げである。
実はレベルを上げることでほんの僅かだが耐性が上がることが判明している。LV150程度では目に見える違いはないが、LV200程度になると効果を感じられる様になってくるだろう。副産物として申し訳ない程度にHPも上がる。

だが状態異常、気絶は耐性という概念がないのかレベルを上げても確率は変化しない。

結局、レベル上げの意味はないのか。意味はある。
レベルを上げれば敵の逃走率が上がるため、万が一敵に不意打ちをかけられても敵が逃げて生き残りやすくなる。また、こちらの逃走成功確率も上がるため、逃げ続ければクリア自体は出来る。そう、レベルを上げれば戦闘を回避しやすくなるのだ。ちなみにDLCとしてエンカウント無効アイテムも存在するため購入すれば出来アイテム運のない人も安心である。
ラスボスは弱く少し育成すれば倒せるためこのアイテムの入手はほぼクリアと同義である。

課金したくない場合やアイテム運のないどうすればいいのか。その答えが2つ目の対抗する方法、「祈り、耐える」である。
祈るは簡単である。相手の攻撃がミスしたり逃走できる様に祈るのだ。
上記のレベル上げはバグめいた裏技っても1人約8時間、正攻法なら数十~数百時間掛かる。クリアし救われる事を信じて祈り耐えるしかないのだ。

移植前の様々な問題もほとんどそのまま放置されている様だ。


完全亡霊の圧倒的霊圧の力により我々はなす術も倒れていった...
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完全亡霊の霊圧の前に焦土と化すするスレ。
ほぼそのままの移植作品ということもあり、スレからそっと避難する人、叫び死んでゆく人、勇敢に突撃し散る人...
亡霊の選評者も 「選評をもっとよくするため、アイテムの検証をしてくる 」という様な事を言い残し不完全な選評のまま亡霊の霊圧の中消えていった。

スレはこれまでにない壊滅状態に陥っていた。

だが、この時KOTYの住民にトドメを刺し全滅させるため "あの会社"から"やつ"が霧を発生させながらやってきていることを住民たちは薄々気がついていた...
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そしていよいよ12月22日。今日のその時がやってきたのだった...

"やつ"の上陸である
やってきたのは今年も終わるという12月22日。
何度も発売延期を繰り返した中の上陸である。
なんだあの霧は。

ゆっくりと迫る霧...すでに完全亡霊によりダメージを受けた住民たちは なすすべもなくまた一人、また一人と霧の中に消えていった。

霧で全容が全く見えない...なんだこれは。
その正体はクソゲーを送り出し続けるあのクソゲーメーカーと称するべき、システム・ソフト・アルファー(通称SSα)がVITAに送るゲー霧シリーズ、太平洋の嵐の最新作「太平洋の嵐~皇国の興廃ここにあり、1942 戦艦大和反攻の號砲~」(以下 嵐1942)である。

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と、ここまで書いたが 嵐1942についてわかっていることはあまりにも少ない。

答えは簡単。亡霊によって傷付いた住民たちほぼ全員が嵐1942によって発生された霧の中に消えてしまったからだ。

数人が断片的な情報を持って戻ってきたがあまりにも断片的な情報であった。

「SSαトップページでの扱いから、おそらく(2012年度据え置きの大賞を受賞した)PS3版の「リメイク」に近い扱いと思われる。」、「「攻撃」について知りたいならチュートリアルを最初から
「輸送」について復習したいならこれまた最初からという糞仕様 」、「初期の戦況が全く把握できない、数回やり直して投げました」、「苦痛」、「VITAを起動するのが億劫になった。」

改善要素として
「一応、チュートリアルが実装されていた」というのが挙げられていたがこの濃霧の中では全く意味がなさないだろう。

そして彼らは消えていった。
プレイメモを1枚残して、誰も嵐からは生還し選評を書く者はいなかった...
強風と濃霧による最強の護身の完成である。
通常は選評の無いものは総評で扱わないが、大量の霧による住民全滅。と、特筆すべき作品だったため選評が出なかったため"KOTY失格"として特例でここに記録する。

こうして完全亡霊・嵐1942の2つの最強の攻撃により携帯は草も生えない、壊滅状態となってしまった。

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それではほぼ壊滅状態の2016年度携帯KOTYの大賞を発表しよう「Wizardry 囚われし亡霊の街」である。
理由は2つある。

1つは完全亡霊の持つ単純なパワー力である。
「特に終盤のゲームバランスの崩壊具合がおかしい...」
「数十時間にも及ぶレベルを上げるだけの作業...」
「祈りゲー...」等
そのパワー力は大きく苦痛でありこれまでの大賞たちにも匹敵するだろう。

2つ目はとてもシンプルで、選評が1つしかでなかったからだ。嵐1942 は選評が1つもでず、KOTY史上初の"KOTY失格"判定をもらってしまった。
結果から言えば嵐1942の不戦敗である。プレイヤーから無限に気力と労力を奪い取る魔物は、もう霧の中へと消えてしまった。数多くのスレ住人を道連れにして。

これらの理由によりここに完全亡霊をKOTYにふさわしいと判断する。
完全亡霊は移植をしてまで据え置き2011年度の復讐劇を果たすこととなった。

思えば2016年度KOTYは移植作品による「過去の最強クラスのクソゲーの頂上決戦の年」であった。霊と霧。2つの巨大なクソゲーによってスレの誰もが大きなダメージを負った。

長く苦しい戦いだった。
その打撃は計り知れなかった。

2つのクソゲーによって携帯スレは壊滅してしまった。...この総評が出るまで実に7ヶ月もかかった。2017年度スレが4ヶ月も立たない。という異常事態もあった。なんとか立っても過疎る。などその影響は今も色濃くのこっている。

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不完全な選評が1つ。霧に包まれたソフトが1つ。
その惨状のなかで誰もが、思った。

我々の敗北だ。

と。我々はクソゲーに負けたのだ。
我々は残された敗者として紡いでいかなければならない。歴史は繰り返してはならないのだから...。

最後に未だに霧の中を漂っているハンターの亡霊たちにこの言葉を捧げる。

「次こそは負けない。我々も行く。突撃!来世でまた。」

総評案1-2 Wizardry 囚われし亡霊の街

2016年携帯総評案1-2

2016年携帯総評案1-2

2015年のKOTYはさまざまな方向からの暴力の年であった。全方位から押し寄せるクソゲーの中、住民は必死に生き残び、そしてその戦いを最後まで見届けた。
最後に残ったのはバンダイナムコからの殺人兵器「機動戦士ガンダム バトルフォートレス」だった。
エラーでプレイできない。という新たな、そして哲学的な境地を持ったガンダムの前に誰もがひれ伏すしかなかった

クソゲーたちの戦いで荒廃と化した大地の上で、2015年のクソゲー同士の戦いを最後まで見届けた住民の誰もが思ったであろう疑問。「クソゲーとは何なのであろうか。」そんな哲学的な疑問に対し直球に答えるかのように2016年"やつら"はやってきたのだった。
※※※
2016年は"試練と消耗の年"であった。
過去に据え置き機部門にノミネートされた2作の移植頂上決戦。
それは、発売予定日から来ると分かっていても避けられない斬撃である。
強さもタイミングも分かっているのに、喰らえば確実に倒れ、呻き、苦しむのだ。

2月5日。それは静かにやってきた。時空を越えた亡者。アクワイア 開発『Wizardry 囚われし亡霊の街』(以下、完全亡霊)である。
完全亡霊は2011年KOTY据え置き機部門大賞を『誤当地』と
最後まで争ったPS3の同名作(以下、亡霊)をPSVITAに移植した作品である。

Wizardlyブランド再興を掲げた「ルネサンス」プロジェクトの4作目なのだが、PS3版の失地を回復するべくもないそのままの移植にスレ住人の心は痛打された。
PS3のストレスフルで理不尽なゲームバランスに、PSVITAになってから新たに追加された不快な処理落ちなどの操作性が上乗せされた時、それはさらなるの凶暴性を見せて我々に襲いかかったのだ。
完全亡霊の選評者は選評も不完全なまま
「選評をもっとよくするため、アイテムの検証をしてくる」
という様な事を言い残し、漆黒のダンジョンの中にに消えていった。
その後、彼の姿をみたものはいない。

この痛打に打ちのめされたスレからはいつの間にか人影がまばらになり、スレが過疎り始めていた...
ほぼそのままの移植作品ということもあり、スレからそっと避難する人、叫び死んでゆく人、勇敢に突撃し散る人...
完全亡霊からのダメージは夏が過ぎ、秋が過ぎても癒える事はなかった。
次はいよいよ全滅か。誰もが覚悟をした年末の魔物の現れるクリスマス商戦、"やつ"が来た。それはどこかでみたことのある あの霧だった。
12月22日。その時にはもう我々は霧に囲まれていたのだ。

全容が見えない。なんなんだこれは。

その正体は『太平洋の嵐~皇国の興廃ここにあり、1942 戦艦大和反撃の號砲』(以下、嵐1942)。
開発はいまやクソゲーの名門と言っても差し支えない常連メーカー、システム・ソフト・アルファー(通称SSα)である。
2012年の据え置き機大賞を受賞したPS3版同名作の移植であるが、元はといえばPCゲーム『太平洋の嵐5』からの転戦を重ねたマイナーチェンジである。
戦争ゲームのはずなのにいつまでも戦闘が始まらない上に、兵站輸送に特化した複雑なシステムはプレイヤーに疲労感を蓄積させ、心をへし折り、電源を入れたくない、ゲームを始めたくないという深刻なPTSDを引き起こす本物の戦争実感ゲームシリーズになってしまった。
システム上の自由度が増すにつれ「何をしたらいいのか分からない」「何をやっているのか分からない」という徒労感が増していく事から、KOTYにゲー霧というパワーワードを生み出してしまったPS3版のマイナーチェンジ...。
完全亡霊で疲労していた住民は断片的な情報を残し。一人、また一人と霧の中に飲み込まれていった。
全体を全く掴めないまま...
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それでは2016年度携帯KOTYの大賞を発表しよう。
大賞は『Wizardry 囚われし亡霊の街』である。
理由は二つ。
1つは完全亡霊の純粋なクソゲーとしてのポテンシャルの高さである。
後で詳細は解説するが
「特に終盤のゲームバランスの崩壊具合がおかしい...」
「数十時間にも及ぶレベルを上げるだけの作業...」
「運ゲー...」等
そのパワー力は大きく苦痛でありこれまでの大賞たちにも匹敵するだろう。

そして2つ目は不本意ながら嵐1942の選評無しによる「KOTY失格」である。
嵐1942は紛れもなくKOTYで扱うべきクソゲーである。さらに前作からの不評、メーカーのマイナスな信頼性、繰り返される発売時期延期というプレイする前から見えている反物質地雷である。
これらの事もあり、来ると分かっている攻撃でありながら、それを選評を書けるまで遊び切る猛者が、一人残らずいなくなってしまい、突撃者も選評が一つも寄せられなくなってしまったのだ。
数人が断片的な情報を持って戻ってきたがあまりにも断片的な情報であった。

「SSαトップページでの扱いから、おそらく(2012年度据え置きの大賞を受賞した)PS3版の「リメイク」に近い扱いと思われる。」、「初期の戦況が全く把握できない、数回やり直して投げました」、「苦痛」、「VITAを起動するのが億劫になった。」

改善要素として
「一応、チュートリアルが実装されていた」というのが挙げられていたがこの霧の中では全く意味がなさないだろう。

そして突撃者たちは霧の彼方に消えていき、ついに嵐1942そのものも我々には手の届かない霧の彼方へと旅立ってしまったのだ。
結果から言えば嵐1942の不戦敗である。プレイヤーから無限に気力と労力を奪い取る魔物は、霧の中へと消えてしまった。数多くのスレ住人を道連れにして。
そのため今回「KOTY失格」として特例としてここに嵐1942を記録する。

では、今回の大賞の完全亡霊。今作を大賞まで押し上げたクソ要素を今少し詳しく紹介しよう。
まず序盤から溢れ出る
・VITAに新しく追加させたひどい処理落ち(最終的にはフリーズ)
・役割を果たそうとしない説明書
・不快な操作感
これらのフルストレスな仕様。序盤から終盤まで常に接しなければならない。
という事を前提に、PS3版亡霊から繰り越された理不尽なゲームバランスが調整されずにそのまま上乗せされる。
特にひどいのは最終ダンジョン「グラハム迷宮8層」からのゲームバランスの完全崩壊である。
ゲームバランス調整の元となっているエクス2や同じアクワイア開発の『剣と魔法の冒険モノ。』ではLv.99であったレベルキャップが外れ、本作ではLv.299にレベル上限が設定されているのだが、ここが調整されないままプレイヤーのレベル上昇と共に敵の能力値が無制限に上がってしまうのだ。
プレイヤーの方には「種族基本値+10」で特性値の限界を迎えるという制約が付いているにもかかわらず、敵の方には能力の限界が設定されていないため、特に敏捷度の面で大きな不利が発生する。まず戦闘が始まった時点で先制攻撃を取られ、全体攻撃の気絶や即死を浴びせられ、パーティーが壊滅しかかった状態で戦闘スタート。
麻痺や気絶、即死と言った状態異常は基本的に乱数で助かる事を前提に祈るしかなく、互角の戦闘には遠く及ばないレベルカンストまでの必要経験値も果てしなく遠い。
結果として本作は同シリーズの名作とはほど遠い運ゲーになってしまった。このプレイヤーにはどうする事もできない理不尽なゲームバランスは充分に大賞の名に値するであろう。

2016年度の携帯KOTY総評は以上である。
冒頭に述べた通り、本年度は"試練と消耗の年"であった。総評の発表に7ヶ月もかかる異例の事態からもこの苦悩を察していただければ幸いである。もちろんクソゲーを選ぶスレでクソゲーである事を理由にプレイを躊躇するのは論外である。その論理は重々に承知していながら、やはり来ると分かっている重い斬撃は我々の心をえぐるのだ。分かっていても、痛いものは痛い。ましてや来るのが分かっていれば避けたくなるのも人情だろう。

不完全な選評が1つと選評なしが1つ。

我々は負けた。

この事実は我々の心に重くのしかかる。だからこそ、この雑草1つも生えなくなった戦場で生き残ってしまった私たちは残された敗者として、歴史を紡ぎつつけなければならない。あやまちは繰り返してはならないのだから…。

最後に未だに霧の中を漂っているハンターの亡霊たちにこの言葉を捧げる。
「次こそは負けない。我々も行く。突撃!来世でまた。」

総評案3 Wizardry 囚われし亡霊の街

2016年携帯総評案3

 2015年携帯版KOTYのどす黒き栄冠は、頻発するエラーにより「プレイできずにクソ。プレイできてもクソ」という新たな哲学・唯糞論を見せつけた『機動戦士ガンダム バトルフォートレス』のもとに輝いた。
 変容しつづけるゲーム業界に呼応するかのように進化を遂げるクソゲーたちを前に、スレ民たちはクソゲーに喰らいついていく決意を胸に、新たなKOTYは幕を開けた。

 だが、我々は愚かであった。
 前を見ることばかりに腐心し、恐怖が背後から――過去からも訪れる可能性を見逃していたのだ。
 西暦2016年。
 この年、携帯版KOTYスレは過去から蘇った亡霊に翻弄されることになる。

 2月5日。
 ――その日、スレ民は思い出した。
 膨大な時間をドブに捨てる恐怖を。コンプ不可という仕様の屈辱を……。

 PSvita「Wizardry 囚われし亡霊の街」(アクワイア)通称「亡霊」発売。
 7つの怪作によって猖獗を極めた2011年の据置版KOTYにおいて、最後まで大賞を争いながら惜しくも敗れた次点作の移植作品である。
 その移植度は、ほぼ完全移植といってもよい仕上がりとなっている。本来は喜ばしい言葉である「完全移植」が、かくも哀切をともなって響くのは「めざせ!甲子園」が大賞となった2008年以来であろう。
 タイトルの通り、奴は亡霊となって我々を囚えにあらわれたのだ。

 一見では、今作にはさして問題がないように見える。
 グラフィックにはwizらしい重厚さがあり、世界観に合ったBGMや深い迷宮の雰囲気を醸し出す効果音も上質だ。3つからなる連作シナリオがすべて入って3300円という価格も(五年も経っているのにPS3版からお値段据え置きという点に目を潰れば)良心的と言えるものである。
 古色蒼然としたシステムも、RPGの元祖ともいわれる歴史の長いシリーズにおいては、批判ではなく好意的な視線でもって迎えられる

 だが本作の真の姿は「古典名作の形式を残したまま如何に楽しさを奪うか」という難題を完璧と言っても良い形で成し遂げた異形の怪物である。

 Wizシリーズの楽しみはいくつかある。
 複雑な構造のダンジョンを踏破する探索。
 バランスのとれた戦闘のスリルを楽しむハック&スラッシュ。
 様々な種族と職を組み合わせパーティーを組むキャラメイク。
 レアアイテム収集にいそしむトレジャーハンティング。
 シンプルでありながらもディープなwizはゲームの根源的な面白さに満ちていると言えよう。

 だが今作はそれらをすべて台無しにしている。
 単調でひたすら長く退屈なうえに歩いているだけで処理落ちが発生、果てはフリーズするダンジョン探索。
 スリルを越えて理不尽なだけの崩壊しきった戦闘バランス。
 強い職と弱い職の差が極端で選択の幅が狭いキャラメイク。
 最初から最強武器が店売りされている上に、製作側のミスでアイテムコンプが不可能という仕様のトレハン要素。
 まさにwizの全否定である。

 ことに深刻なのが戦闘バランスの崩壊ぶりだ。
 今作は連作シナリオとなっているが、はじめから壊れ気味だったバランスは先に進めば進むほど崩壊の度を進め、最終シナリオの終盤にさしかかると雑魚敵にエンカウントするたび「こちらが行動する前に全滅する」という事態が高確率で発生する。

 それを防ぐ主な手段は「わりと簡単に手に入るエンカウント無効アイテムを使う」である。
 戦闘を楽しむゲームから戦闘を抜き「単調なダンジョンを延々とあるき続けるゲーム」へと変わる瞬間である。なおラスボスは弱いため、たどりつければ問題なくエンディングを迎えられるだろう。
 多少のバランス崩壊には動じない歴戦の古強者たちも、この理不尽さには閉口するしかなかった。

 そんな問題作の、完全移植である。
 厳密にはハード性能差によりロード時間が変わっていたり処理落ちがよりひどくなっていたりするがゲーム部分に関してはほぼ変わっていない。ちょっと数値をいじればまともになりそうな部分まで放置しているのだ。
 もはや手抜きというより悪意すら感じられる所業である。
(厳密に言うと、膨大なプレイ時間と精神力を要する本作の検証を完璧に行えたとは言い難く、我々の認識以上の差異が存在する可能性はある)

 年明けて間もない2月にこのような忌むべき悪霊に襲われたスレは、閑散としたゴーストタウンのごとき様相を見せた。なにせ多少のクソゲーがあらわれても「やつに勝てると思うか?」と問われては蒼ざめて姿を消すしかなかったのだ。
 スレそのものを「亡霊の街」と化さしめた暴威は春夏秋と吹き荒れ続け、ついにそのまま2016年を終わらせるかに思えた。

 だが、一年も終わりを迎えようとしていた12月22日、霧の彼方より時空を越えて、もう一つの伝説が蘇った。
 VITA『太平洋の嵐~皇国の興廃ここにあり、1942 戦艦大和反攻の號砲~』(システムソフト・アルファー)通称「嵐」の出陣である。

 今作は太平洋戦争を題材とした戦略SLGだ。補給や資源の確保などの、いわゆる兵站を重視した、軍事SLGの中でもいぶし銀の魅力を持つ古参シリーズである。
 だが、我々には彼の持つ肩書の方がより強い畏怖をもって響く。
 すなわち――2012据置KOTY大賞。

 厳密に言えば、今作は2012年据置覇者「太平洋の嵐~戦艦大和、暁に出撃す」そのものの移植ではなく、双方ともに「太平洋の嵐5」をベースに改修を加えた別バージョン作品と思われる。
 ――そう、推測に過ぎないのだ。
 なぜ推測に過ぎないのか。
 以下に、年末より半年以上も続いたスレの惨状をダイジェストでお伝えする。


 これは、とても恐ろしい集団幻霧である……

「検証!!検証者はまだかーー!!!」
「なぜ来ないー!!!一体どうなってるんだーー!!!」
「選評が!!おそすぎるぞォォーーー!!!」
「早く……来てくれ……今年の大賞が……」
 なぜなら!!!もうお分かりだろう!!!
 誰も……検証していないのである!!!
「早く!!検証してくれーー!!選評をー!誰かーー!!」
 誰も!!プレイしている人がいないのである!!
「おかしい……これは何かがおかしいぞ……」
「えっ??」
「KOTYのスレ民は大変に奇特で、本来はクソゲー候補発見から5日以内には選評が到着すると言われている」
「え??そんなに早く?」
「うむ。スレでの発見報告から一日以内には、もう検証者は尼でポチッていると言われる。
そしてその尼ポチから四日以内には報告できるよう
スレ民というものは、本当に堂々と!時間を無駄にしているのだ!!
なのにいまだに選評が届かないとは……これは絶対におかしい……
何かが、あったに……違いない……」
「一体何が……」
 そう、もうお分かりだろう……
 誰も!!検証していないのである!!!
「どーーして!!総評作成立候補者のほうが早いなんて!!!」
 そう!!!まだ選評は来ないのだ!!!なぜなら!!!
 誰も!!!検証をしていないからである!!!
「どうしてーーー!!!検証者は一体なにをしてるの!!!
 こう、泣きながら叫んでいる総評作成者でさえ!!
「早く来てーーーー!!!おねがいーーー!!!
 検証をしていないのである!!!

 なぜこのような悲惨なことになってしまったのか。
 それは前作から引き続きもつ今作の特異性――「ゲー霧性」によるためである。
 前述した通り、このシリーズは史実をベースにした軍事SLGの、しかも兵站に焦点を合わせた作品である。ただでさえ人を激しく選ぶ題材に加え、一通りのプレイにも膨大な時間が必要となる。
 前作では、そこに圧倒的な説明不足に、不親切を極めたUIと操作性、不明瞭なバグが多数加わり、「そもそもなにが仕様かすらわからないためクソゲーかどうかすら判定できない」という由々しき事態を発生させていた。
 事態を究明しようと検証におもむいた勇者たちが次々と失踪するそのさまは深い霧に包まれいくつもの飛行機や船舶を消失させた魔の海域、バミューダトライアングルを彷彿とさせ、いつしかついた異名が「ゲー霧」――霧の彼方にスレ民を飲みこむ暗黒の領域である。

 2012年に据置KOTYスレ民を戦慄させた魔の霧は、しかし果敢な検証者たちの数十日にもわたる苦闘の末、ついに全貌が明かされ、見事大賞に輝いた。その栄冠のもとには検証者たちの屍が累々と積み重なり、触れることのできない禁忌として長く語り継がれることになった。

 その禁忌が、帰ってきてしまったのだ。挑んだものの正気を蝕む魔の領域に飛び込み、ふたたび幾十日にもわたる苦難を乗り越え全貌を明かせと、誰に強要できるだろう。
 無論、突入者がいなかったわけではない。幾人かの勇者――あるいは勇気と無謀を履き違えた愚者――があらわれ、果敢に挑んでいった。だがある者は苦痛を訴え逃げ帰り、ある者は突撃ののちに消息を絶った。
 完全移植であるならば、前作の評をそのまま適用すれば良いだろう。完全新作であるならば、新たな楽しみを見出す可能性もあるだろう。だが、そのどちらともつかない本作は、壮絶な苦痛ばかりを予感させ、検証する気力を起こさせなかった。
 伝説の霧は、より深くなって帰ってきたのだ。

 結論から言うと、本作の選評はついに提出されなかった。よって、KOTYでは大賞候補と見做されず、本来ならばこの総評で語ることも許されない作品である。しかしその特異性から、無視することのできない作品としても、例外として今作を記すことにした。

 かくして、年明けより半年を経て、検証は打ち切られた。
 選評の提出された作品はただ一作。
 そしてその作品は、大賞にふさわしいクソゲーである。
 よって、2016年度携帯版KOTY大賞は「Wizardry 囚われし亡霊の街」であるとここに宣言する。

 あまりにも呆気ない幕切れに、霊にでくわしたような、あるいは深い霧に迷い込んだような、気味の悪い感触が、いまもなおつきまとう。
 確かに、スレのルールに則った裁定であり、「亡霊」は大賞の器に相応しいクソゲーである。だが、果たして真の勝者がどちらなのか、筆者にはいまだにわからない。

 かつて据置で「亡霊」をくだした「人生ゲーム ハッピーファミリー ご当地ネタ増量仕上げ」は、前年次点にとどまった作品のマイナーチェンジ版であり、いわばリベンジによる再評価を成し遂げたタイトルであった。
 本年度における「亡霊」もまた、かつて自分をくだしたライバルに倣い、舞台を携帯に変えて再評価を求め、見事に捲土重来を果たしたと言えるだろう。

 一方で、「嵐」もまた幾度かの失地回復を遂げたタイトルである。見事2012年据置大賞となった「太平洋の嵐~戦艦大和、暁に出撃す」は、そもそも2008年にPS2とPSPで発売され、翌2009年にはDSに移植された作品だった。
 だがKOTYでは据置でも携帯でも2008年、2009年ともにスレ民に見出されず、次点にすら名を連ねることがなかった。
 それが2012年に据置で大賞に成り上がり、新たな姿で携帯機へと凱旋したのだ。
 クソゲーであることを確信させながら最後まで手出しを拒んだその姿は、さらなる進化を遂げた勝者のものにほかならない。

 年始にあらわれ、一年間思うさまにスレを蹂躙した「亡霊」。
 年末にあらわれ、我々の前を悠然と通り過ぎていった「嵐」。
 この戦いに敗者がいるとするならば、それはこの2タイトルのどちらでもなく、我々kotyスレ民であろう。

 だがその敗北は、苦さだけではなく奇妙な切なさを含んでいる。
 我々は前を、未来を見すぎていた。だが、ふりかえったそこにも、クソゲーは待っていたのだ。
 このゲーム業界の片隅で、私を見つけてくれてありがとう、と。
 来年、再来年、あるいは何年後かにもまた、もしかしたら、我々はなにかの予感にとらわれ足を止め、わけもなく流れる冷や汗にふりかえり、そこにそびえ立つクソを発見するかもしれない。
 そのとき我々は「あの、オレ、君をどこかで……」と震える声で、どこか甘やかなノスタルジーに身を浸しながら、きっとこう尋ねるだろう。

  

「 ク ソ の 名 は 。」