このページは、2014年度KOTY総評の案を集めるページです。総評の審議に役立てば幸いです。
書き方テンプレートは編集ページにコメントアウトで掲載します。
携帯機版クソゲーオブザイヤー2013は恐ろしい年であった。方向性の違う3つのクソゲーがぶつかり合い、そもそもクソゲーとはなにかという次元の争いにまで発展した。
見事大賞を勝ち取った「ホームタウンストーリー」はスレ住民をして「禁忌の邪神」と言わしめる古き悪しきHurtfulなゲームであり、その苦痛さは確かに大賞の器であると言えよう。
しかし、どれだけ金をドブに投げ捨てようとも、時間を無駄遣いしようとも、そして拷問のような苦痛を味わおうとも、スレ住民は学ばない。
こうしてまた、愚かな人間たちの1年が始まる。クソゲーオブザイヤー2014の幕開けである。
1989年、カルチャーブレーンは「超人ウルトラベースボール」をファミコンで発売した。
「秘打」と「魔球」のぶつかり合い。常識では考えられない人間離れした「ウルトラ技」を使って戦う「超人野球」が売りであり、シリーズ化もした(一部に)人気の作品である。
そして2014年3月13日。カルチャーブレーンは20年ぶりにこのシリーズの続編を発売した。
それがKOTY2014のトップバッター『超人ウルトラベースボール アクションカードバトル』(通称「超人」)である。
まずは今作の新要素「カードバトル」について触れよう。
投手には投法カード、打者は打法カードがそれぞれ5枚ずつ配られ、お互いはそれぞれ1枚を選択。5つの投球コースから1つを選んで勝負する。これを9回まで繰り返す。
投手は直球を選べばそのままの投球コース、変化球を選べば何マスかズレたコースとなる。打者は投手の持っているカードが分かるため、どのコースに飛んでくるかを予測する。
良いカードが無ければカードを選び「見送り」することで不要なカードを消費する、という戦術も可能だ。
このように一応戦略性はあるものの、結局は運ゲーである。
まずこのゲームにデッキ構築やカード収集といったTCG要素は一切ない。どんなカードが来るかは完全に運次第であり、それは本作の最大の売りである「ウルトラ技」も例外ではない。ウルトラ技は非常に強力で使えばほぼ勝ててしまうのだが、そのカードが来るかどうかもランダムであり、全く来ない時もあれば3連続で使える時もある。
またすべてのカードにレベルの概念が存在し、相手よりレベルが低いとヒットが凡打になったりする。選手の体調管理や成長、といった要素もほとんどないため、結局配られるカードの強さで全てが決まってしまうのだ。
その上カードを選んで、相手の行動を予測し、適切なコースを選んで結果を見て、またカードを選んで〜を9回まで繰り返すため、テンポが非常に悪い。守備が全自動でありBボタンでスキップすることすら出来るのは少しでもテンポを良くしようという開発者の温かい心配りであろう。
グラフィックは酷い、の一言である。PS初期か、あるいはDS初期の作品と比べても見劣りするほどだ。
選手はユニフォームが違うだけで全員同じ顔・同じ体格であり、売りであるウルトラ技もこのせいで全く迫力がない。例えば秘打「タイガー・ファング」は飛んで行ったボールをキャッチしたはずの野手がそのまま吹っ飛ばされ、フェンスに激突しボールを落としてしまう、というものなのだが、キャッチした野手がそのままの姿勢で真顔のままフェンスまで平行移動していく様子は迫力というよりシュールだ。
ストーリーもまた突っ込みどころ満載だ。主人公が通う「アルカトラズ野球スクール」が何故か絶海の孤島にあったり、途中の試合をすっ飛ばすダイジェスト展開がストーリー中に2回もあったり、そのダイジェスト展開にキャラ自身が突っ込んでみたりといったお寒いコントが終始展開される。
そして極めつけは主人公の新技習得の流れだ。前述した通りキャラクターの成長という要素はほとんどないのだが、実は主人公のみ一回だけ新しい技を覚える。が、それも監督に「使い古された魔球では他のゲームに勝てない」と指摘された主人公が「理屈は全く分からないけどなんか」新魔球を完成させる、というもので、ここまで寒いともう突っ込む気すら起こらない。
他にも紙説明書に書かれている操作が実際には出来なかったり、最高で基本6球団+エディット6球団の計12球団登場するのに球場は3つしかなかったりなどと細かい突っ込みどころには事欠かないが実に些細な問題である。
公式サイトには「野球の常識も物理法則の常識も、このゲームには通用“しなしな”い!」と書かれているが、どうやら2014年発売のゲームという常識も通用しなしないようだ。
「超人」発売から1週間後である3月20日、負けじとKOTYに乗り込んできたのは『ゲームセンターCX3丁目の有野』(通称「有野」)である。
「ゲームセンターCX」といえばよゐこの有野晋哉がレトロゲームで遊ぶCSの人気番組であり、今作は番組を元にしたゲームシリーズの第三作である。しかし番組10周年に発売を間に合わせようと開発元を変更してまで発売を強行した結果、出来あがったのは突出したクソ要素こそ少ないもののやればやるほどクソさが滲み出るスルメクソゲーであった。
本作のストーリーは、過去に飛ばされた上に記憶まで失ってしまった有野少年をレトロゲームをクリアして未来に返そう!というものである。メインとなるゲームにはそれぞれノルマが課せられており、ゲームのノルマを全て達成すれば章クリア、全8章をクリアすればエンディングだ。しかし、エンディングに至る道には無数のクソ要素が敷き詰められている。
例えば最初に登場する「マリオブラザーズ」風ゲーム「ルーミーと魔法のホウキ」は、敵の動きが複雑でしかも強いため、良いアイテムが出ることを祈りながら逃げ回って一匹ずつ倒していくという運ゲー。
3番目の「ドルアーガの塔」風ゲーム「ソーマの秘宝」は、主人公があまりに貧弱なため「ハイドモード」という強化状態を使わなければまともに進めないのに持続時間は短く回復時間は長いなど、とにかく時間がかかるストレスフルなゲーム。
ワープを使う事で一気に進めるのだが、クリアに必須なアイテムがあるフロアまで飛ばしてしまうため、ラスボスを倒したと思ったらアイテムがないので下階に強制送還される、という罠も存在。ワープなどという無粋な手段は使わずダンジョンを骨の髄まで遊びつくしてほしい、というスタッフの粋な計らいだろう。
7番目の「FF」風ゲーム「ブラッドオブドラゴン」はエンカウント率がやたら高いのに、「DQ」でいうところの「ルーラ」も「リレミト」も「トヘロス」も無く、攻撃は5回に1回は外れ、単調なストーリーに劣悪なUI、などなどと本作随一の出来栄え。昔のゲームの不便さや理不尽さまで見事に再現した名作である。
5番目の「ロックマン」風ゲーム「ザウルスボーイ」のようにそれなりに面白いゲームも存在するが、ほとんどはプレイしていると少しづつストレスがたまっていく駄ゲーかクソゲーである。
そして、「有野」のほうのストーリーを進めるためには前述した通りノルマを達成する必要があるのだが、ノルマ達成もこれまた面倒くさいものが多い。さらに前作ではごく普通に可能であったゲーム内ゲームプレイ中のリセットや攻略法・ノルマの確認などが出来なくなるなど、細かいUIも劣化。などと満遍なく細かいクソ要素が敷き詰められており、ゲームのつまらなさを助長している。
さて、ここまではゲーム性のクソさについて言及したが、それ以外のクソさについても述べよう。
一番の問題点は、「懐かしさ」が売りのゲームのはずなのに懐かしさの再現がまるで出来ていない、ということだ。
80年代のゲームのはずなのにやたら色鮮やかであったり、ゲーム&ウォッチのようなLCDゲームにも関らずキャラがその場で倒れこむというありえない描写があったり、などと製作者のレゲー知識の深さがうかがえる。
また「友達の家でゲームをやってる当時の感覚」ということで有野少年が隣から口出ししてくるが、記憶喪失による語彙力の低下を再現したのだろう、台詞の種類が少なく何度も同じことを喋る。
他にも番組ネタを前後の脈絡を無視して強引にねじ込んでみたり、などとクソ要素を挙げればキリがない。
一つ一つはさほどではないが、やればやるほどクソの味がにじみ出てくるスルメクソゲーっぷりに嘔吐者が続出。
こうして「超人」と「有野」という二つの「門番」が誕生したのであった。
4月22日、無限の彼方より『インフィニタ・ストラーダ』(通称「タダ」)が襲来した。
今作はソーシャルゲーム「無限のストラーダ」をコンシューマー版にしたものであり、KOTY初となる「基本プレイ無料」のソフトである。
数字の大小のみで勝負が決まる典型的なソーシャルゲームである原作とは違い、戦略性のある「デッキ構築型カードゲーム」を謳う本作であるが、ソーシャルゲームの理屈に強引に戦略性をねじ込んだ結果融合召喚されたのは「コイントス以下の何か」であった。
「タダ」をダウンロードしストーリーを始めたプレイヤーはおそろしく劣悪なゲームバランスの洗礼を受けることとなる。
本作ではカードの強さごとに☆1から☆5のレアリティが与えられ、☆5が最も強い。
だが☆4以上のカードはオンライン対戦の報酬か課金によってしか入手できず、無課金ではオンライン対戦をしない限り☆3以下のカードしか入手できないため、貧弱なカードのみでCPUの強力なカードたちと戦うことになる。
普通のTCGでは弱いカードだからといって強いカードに全く勝てないということは少ない。さまざまな戦術を駆使し弱いカードで強いカードを打ち破り勝利する、というのもTCGの醍醐味の一つである。しかしタダにはそのような一般常識は通用しない。
まずこのゲームは先攻が極端に有利だ。「カードは場に出したターン攻撃することもスキルを発動することもできない」といういわゆる「召喚酔い」の制度があり、どれだけ強力なスキルを持っていたとしても次の自分のターンまで生き残れなければ何も出来ずに退場となる。このゲームでは☆が1つ違うだけで強さが倍ぐらい変わるため、先攻を取られてCPUに☆4、☆5のカードを並べられた瞬間、こちらもカードを並べたところで次のターンには相手の総攻撃やスキルによって全滅するというスタイリッシュもぐら叩きが展開される。
追い打ちをかけるかの如くストーリー後半には「☆3以下の攻撃を半減・無効化」といった露骨な無課金者殺しのカードが当たり前のように登場するため、意地でも課金させようという意図がよく伝わってくる。
所詮は元ソシャゲ、勝利の資格を持つものは課金者とCPUのみなのか…?それはどうかな!
まずこのゲームには、デッキ枚数の上限はあれど下限はない。つまり、デッキ枚数を初期手札の枚数である6枚以下にすることによって望むカードを100%初手に揃えることができるのだ。遊戯王で言うならエクゾディア5種のみのデッキが組めるようなものである。
これを利用し、「自分を墓地に送り相手の場のカードを全て除去するカード」と「墓地のカードを回収するカード」の2枚のみで構築した「除去デッキ」を組む。除去耐性を持つカードは存在しないため、毎ターン除去&回収を繰り返すことで先攻を取りさえすれば確実に勝利できるのだ!この2枚は無課金でも入手できるため、除去デッキさえ組めば課金せずともオフラインモードを完全攻略できる。『インフィニタ・ストラーダ』とはイタリア語で「無限の道」と言う意味であるが、無限の道の行きつく先は「2」であった…。
対人戦ではバランスがさらに悪化する。前述したとおり本来カードは場に出たターンに何もできないのだが、なぜか対人戦においては「手札からスキルを即座に使用可能」という特別ルールが適用される。
これを利用し、「召喚酔いせず場に出て即攻撃可能だが弱い」カードとそれを全力で強化するカード5枚のみでデッキを組む。すると一切の抵抗を許さない1ターンキルが可能となり、先攻さえ取れば100%勝利できるという究極のデッキ「速攻デッキ」が完成するのである。なおこのデッキには課金限定カードが含まれるため無課金者が組むことは出来ない。課金者が無課金者より優位に立つのは当然であるが、このデッキを手にした課金者は一体誰と戦うのであろうか…。
またこれらと比べれば些細なことではあるが、カードのイラストもあまり褒められたものではない。エロティックなイラストが多く事実CERO:Dであるが、それ目当てにプレイする価値があるとは到底言い難い代物である。
このような世紀末どころかコイントスでもしたほうがまだマシなバランスによって、発売直後から過疎であったオンラインはスレで有志を募り、対戦報酬のカード目当てに即ギブアップを繰り返す「談合」の場になるという異様な事態に。
現在はそれすらも無く、カードの追加もわずか1ヶ月半で終了、短い生涯を終えた。
7月31日、ファミ通クロスレビュー4/6/4/4の計18点という低評価を引っ提げて『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』(通称「プリヤ」)がやってきた。
本作はTVアニメ 「Fate/kaleid linerプリズマ☆イリヤ」1期の後日譚を描いた作品であり、1期放送開始前に発表され1期終了後に発売する予定…だったのだがそれから延期を繰り返し、予定から10ヶ月遅れの2期放送中にようやく発売。
延期を繰り返すゲームはクソゲー率が高いという法則もあり一部から期待が集まっていた本作であったが、見事ゲー無という形でこれに応えた。
このゲームはイリヤをはじめとする魔法少女や英霊たちを操作して他の魔法少女や英霊と戦う対戦型3Dアクションゲームだ。火の玉やバリア、回復といった多様な効果を持つカードから10枚のカードを選んでデッキを組み、それらを駆使して戦う事が重要である。
制限時間内に相手のライフを0にすると勝利となり、制限時間が切れるか自分のライフが0となったりすると敗北となる。
しかしその制限時間はストーリーモードでは一律60秒とやたら短く、またバトルフィールドがやたら広いため敵を発見するだけで一苦労。その上戦闘開始の合図が無いためぼんやりしているといつの間にか始まってしまい、貴重な時間を浪費した上敵に先制されるという事態も起こってしまう。
敵を素早く見つけて始末できなければあっと言う間に時間切れになるため、速攻で敵を発見し、一気に火力を叩きこむ、ということが重要となる。そのためデッキはどうしても攻撃一辺倒のものになってしまい、折角のデッキ構築の楽しみも大幅減。
だがこの苛烈な時間制限よりもさらに恐ろしい敵がいる。それは味方だ。
英霊との戦いの際、味方の魔法少女がランダムで参戦し共闘してくれるのだが、なんと味方が英霊にトドメを刺すと敗北扱いになってしまうのである。
敵を素早く発見できて持てる最大限の火力を叩きこみ…という圧倒的優勢な展開の試合でも味方に最後の一撃をかすめ取られるだけですべて台無しになってしまうという理不尽さに思わずゲームをゴミ箱に叩きこみたくなる。
ところで本作は元がエロゲーであった「Fate/stay night」の派生作品であるためか、なんとCERO:Bにも関わらずイリヤその他魔法少女たちの裸が拝める。
カードの一種「クラスカード」は英霊の武器を使用できるという効果なのだが、HP30%以下で使用すると「夢幻召喚」となり姿までもが変化する。女性英霊の夢幻召喚の場合特に違和感なく変身できるのだが、問題は男性英霊の場合。
本作の夢幻召喚は首から下をすげかえる、という仕様だ。これだけならあくまでポリゴン作成の手間を省く工夫に過ぎず、「FE覚醒」など他作品でも見られる手法である。
しかし「プリヤ」のそれは敵キャラとして出てきた敵の首から下をそのまますげかえる、という手抜きっぷりであり、例えば獣化ランサーの場合は筋肉質な下半身の上に少女の首が乗っかる、という違和感満載仕様。
極めつけはバーサーカーであり、筋肉ムキムキで腰布一枚な半裸魔法少女たちの雄姿には腹筋崩壊すること間違いなしである。
ボリュームの薄さも見逃せない。本作は通常版で定価が税別6,000円と決して安いソフトではないが、選評主によるとなんと初見1周目が1時間弱でクリアできるという驚愕のボリューム。
マルチエンディングなので周回を行う必要があるが、カードが揃い環境が整う2周目以降は一周に30分もかからず、エンディングを回収してカードを収集し、4人全てのキャラをハードモードでクリアしても5時間程度で終わるというゲー無っぷりである。
他にもタッチパネルには完全非対応であり、カメラワークも劣悪と作りこみの甘さが目立つ。開発元のKADOKAWAには10ヶ月もの延期の間一体何をしていたのか是非教えていただきたいものだ。
では、今年度の大賞作品を発表しよう。携帯機版クソゲーオブザイヤー2014大賞の座に輝いたのは『インフィニタ・ストラーダ』である。
「超人」は2014年のフルプライス作品とは到底思えない低クオリティのゲームではあるが、別に遊べないわけでもない。事実本作からストーリー部分を削除し500円に値下げしたライト版は値段相応の出来であると評されている。
「有野」も同様に別に遊べないわけではない。確かにほとんどのミニゲームの質は悪いし、「ゲームセンターCX」の看板に泥を塗ったのは動かし難い事実であるが、中には「ザウルスボーイ」のようにそれなりによく出来たゲームもあり、これは立派なプラスの評価点である。
「プリヤ」はゲームとしては大変ストレスフルな代物で手抜き夢幻召喚の件といいとても原作愛があるとも思えないが、それでもキャラクターボイスや一枚絵などファングッズとして評価できる点も存在する。
そう、この3作品は一応褒められる点もあるのである。
しかし「タダ」は褒められる点が皆無だと言っても過言でもない。TCGとしても、ソーシャルゲームとしても、イラスト集としても落第である。
「時は金なり」という諺がある。時間はお金と同様貴重なものであり、無駄にしてはいけない、という戒めだ。
本作の評価点を挙げるとすれば、それはこの言葉の意味が身に沁みてわかる、という点だ。課金もせず自分の財布は全く痛んでいないのに、何故か損をしている気がする。その理由を考えることで「時は金なり」という諺を思い出し、その意味を実感できるのだ。
子供が夏休みを無駄に過ごしている、と思う事があったならば「タダ」をプレイさせると良い。時間の大切さをよく理解してくれることだろう。「タダ」は道徳教育に役立つゲームなのである。
クソゲーオブザイヤーの住人は実に愚かである。時間とお金を無駄にすることが分かっているクソゲーを喜々として購入し、プレイして虚無感を味わう。そしてスレで笑い飛ばし、中古屋に売り飛ばし、学習せずまた地雷を踏み抜きに行く。
世の中に「金をドブに捨てた」とか「金を返せ」と酷評されるクソゲーは数多く存在する。「超人」「有野」「プリヤ」もこの類だ。しかしこれらは金を払う価値は無いにせよ「無料なら少しやってみたい」と思わせる最低限の面白さは持っている。
しかし、「無料でもやりたくない」とまで言われるクソゲーは珍しい。「タダ」のゲーム性は「CPUにお前が先攻だ、と言われるよう祈る」程度のものでしかなく、これは最早ゲームとは呼べない。
2011年王者「対戦チンチロリン」は「このゲー無を買うぐらいなら100円ショップでサイコロと茶碗を買ったほうがマシ」と酷評されたが、「タダ」は何かを買う必要すらない。なにしろ「適当なコインを放り投げてキャッチし、表か裏かを確かめる」というただそれだけで「タダ」の奥深いゲーム性を体験できるのだ!、
しかしコイントスは表が出るか裏が出るかを決めるだけのゲームだが、コインを投げるのもそれをキャッチするのも自分である。しかし「タダ」は自分が先攻決めに介在することすらできず、全ては乱数のきまぐれに過ぎない。
地球上でもっとも単純なゲームであるコイントスにゲーム性で劣る、ある意味究極のゲー無である『インフィニタ・ストラーダ』こそ、大賞の器に相応しいと言えよう。
最後に見事王冠を勝ち取った開発元AMGエンタテイメントと発売元おふぃす5656の偉業を祝し、某TCGアニメ主人公の言葉を借りて次回作『インフィニタ・ストラーダ 華』へのエールを送り、総評の締めとしよう。
「おい、ゲーム売れよ」
2013年度・三つ巴の戦いは、クソゲーとしての方向性の違いと実力の拮抗、各人の思惑から混迷を極めた。
各々が大賞を主張し競い合い、やがてゲームの本質・存在意義を問う議論は年明け7月まで続き、
『ホームタウンストーリー』が大賞を飾ると同時に、住人たちにも「ハートフル(Hurtful)」な思い出を植え付けた。
しかし、彼らを休ませることなく、次なるクソゲーは門を叩き続けていた。
憎しみは何も生まないが、クソゲーは生まれ続ける……。
携帯ゲーム版クソゲーオブザイヤー(KOTY)、2014年度の開幕である。
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プロ野球が開幕戦を控える3月13日、KOTYの開幕投手は一足早くマウンドに立っていた。
3DS・カルチャーブレーン『超人ウルトラベースボール アクションカードバトル』(超人)。
魔球、秘打といった「ウルトラ技」をはじめとする人間離れの「超人野球」ができることで(一部に)人気のシリーズで、SFC以来20年ぶりの復活だ。
本作がタイトルに冠する「カードバトル」とは何か解説しよう。
打者のカードは打法、投手のカードは投法で分けられており、互いにカードを5枚持ち、
5つの投球コースを選んで投打を行うか、「見送り」(捨て札)する。
打者は投手の手札と投球コースを見ることができるが、どのカード(ボール)を使うかは分からない。
対して投手は変化球のカードを選ぶことで、打たれるコースから投球をズラし、凡打や空振りを狙うことができる。
しかし、駆け引きが生じるのはわずかである。
カードにはデッキ構築・カード収集の要素が一切無くランダムで配られるため、運の要素が圧倒的に強い。
勝負に出られずに見送りを繰り返すこともあれば、使えばほぼ勝てるウルトラ技が3連続で配られることもある。
そもそも「投げたボールを打ち返す」という単純なゲームにも関わらず、
一球一球いちいちカードとコースを選択する作業を9回まで繰り返させるのは、テンポが悪く飽きる。
それでいて、バットがボールに当たった後の守備は全自動、かつBボタンでスキップも可能。
カードバトルに専念させようとする、野球らしさを投げ捨てた心づかいが身に沁みる。
続いて、超人的なグラフィック・演出面について触れよう。
球場内に広がるのは、初代DSでも珍しいカックカクのローポリゴン、胴から足が生えたようなデフォルメ、選手は皆揃って同じ顔・体型、という奇妙な光景だ。
野球モノ定番の「消える魔球」、七色の分身を作り出す「レインボール」、打ち返した球が着地すると爆発する「ビッグバン打法」など、
ウルトラ技も発想だけは悪くないのだが、選手同様に前時代感溢れるグラフィックのエフェクトが迫力を感じさせない。
球を取った野手をフェンスまで吹き飛ばす打法「タイガー・ファング」に至っては、野手が体を「く」の字に折り曲げたまま、スーッと平行移動していく有様。
6球団+エディット6球団が登場するのに3球場しか無いというのが、もはや瑣末な問題に思えてしまう。
目標は三冠王と言わんばかりに、ストーリーも見逃せない。
主人公が所属しているのは、絶海の孤島にそのまま球場を建てた「アルカトラズ野球スクール」。
典型的な野球モノ風のあらすじとキャラクターデザインにも関わらず、何故物騒にも「監獄島」の名前を付けているのか…と突っ込みたくなるのは序の口。
予選一回戦を突破したが、まだまだ強豪が控えている!といった引きをしつつ、次のシナリオでは予選突破後、チームメイトが対戦相手について回想するダイジェスト。
新魔球習得のイベントでも、「使い古された魔球で他のゲームに勝てると思うか!」「理屈は全く分からないけどなんか完成した俺の新魔球」といった台詞が飛び出す。
この他にも、「ダイジェストの予感」「今回台詞のなかったチームメイトに台詞はあるのか」など、
熱血スポ根とは一線を画す、薄ら寒いメタフィクション・毒電波系のネタが目白押しだ。
おまけに1年も経たない11月5日には、ストーリーモードのみを廃止した「ライトバージョン」を約1/10である500円のダウンロード版として発売。
公式HPでも「ストーリーモードはパッケージ版でお楽しみください」と紹介しつつ、パッケージ版の価格などの情報を一切掲載しないあたり、何か思うところがあったのか。
「ゆめのすけプロジェクト」の名に反して変化球のように繰り出される「夢も希望もない」クソゲーは、これで「アウト」にしてほしいところだ。
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1週間後の3月20日、次なる挑戦状を叩きつけてきたのは、3DS・バンダイナムコゲームス『ゲームセンターCX 3丁目の有野』(有野)。
『ゲームセンターCX』と言えば、よゐこの有野晋哉が「有野課長」に扮してレトロゲームに挑戦する様子などが受けて、10周年を迎えた長寿番組。
番組をモチーフにしたゲームも2作発売されており、10周年プロジェクトの一環として、本作がシリーズ3作目として発売された。
しかし、10周年に間に合わせようとしたためか、開発元がグレフに変わっただけでなく、有野課長が開発陣に無茶ぶりをする番組コーナーも無くなり、
2ヶ月の延期を経て迎えた発売日、ファンは不安と予想を下回る現実を見せ付けられていた。
まず「タッチオンリー」と「ボタンオンリー」の操作が混在しており、頻繁に持ち替えなければならない。
タイトル画面の「スタートボタンをおしてください」でボタンを押した直後、ストーリー、オプションなどのメニュー選択で、早速タッチ操作に切り替わる。
ストーリーモードでも、アドベンチャーパートの会話はボタン操作、マップの移動や屋内でのゲーム選択はタッチ操作、本作のメインの「ゲームinゲーム」はボタン操作。
レトロゲームを題材にした作品で、操作性の悪さという現代的な問題に真っ先に直面するのは、既に何かがおかしいことを予感させる。
改めて本作について解説すると、何故か80年代にタイムスリップして記憶喪失になっている「有野少年」と出会い、
記憶を取り戻すきっかけになるゲーム…「ゲームinゲーム」をクリアしていく、というストーリーになっている。
ゲームは80年代のそれのパロディ風で、アクション、シューティング、RPGなど、ジャンルも多種多様。
更にストーリー進行とは無関係に「10円飛ばしゲーム」なども遊ぶことができ、収録内容は非常に充実している。
しかし、それらはことごとく出来が悪い。
最初に遊ぶ「ルーミーと魔法のホウキ」一つを取っても、
ブロックを下からジャンプで崩して落とし穴を作り、敵を落とし穴へ誘い出し、
落っこちた敵の上をボタンを押したまま通過すると、ホウキで元に戻ったブロックに敵が埋まって倒せる……
要するに敵の倒し方が面倒になった「マリオブラザーズ」であり、見ての通り行動は隙だらけで、敵1匹を仕留めるだけでも一苦労。
ステージが進むと、敵の種類が増える、敵の動きが複雑になる、硬いブロックが出てくる、
敵が「操作を逆にする妨害攻撃」を仕掛けてくる、滑る床が登場するなど、プレイヤー殺しには余念が無い。
番組さながらの「ノルマ」も、この滑る床などを含んだ「特定のステージをクリアしろ」という難易度の高いもの、
「RPGでレベル上げろ」のような「やらされている」ものばかりで、モチベーションを下げる。
ゲームプレイ中に「ゲーム攻略法」「ノルマ」が確認できない不自由な仕様も拍車をかける。
ゲームバランスの悪さに続いて目に付くのは、レトロ感の再現度の低さだ。
メダルを賭けてCPUとジャンケンするジャンケンマンもとい「ジャンケンダーEX」は、
本来LEDランプであるはずの部分が、ジャンケンの手によってズレるという、信じられない表示をしている。
SFCのFF・ドラクエ風RPG「Blood of Dragon」も、ドット絵ではない鮮やかにスキャンされた立ち絵が会話に挿入され、
「抜擢(ばってき)」などの漢字もふんだんに盛り込んだ、当時のスペックを超越したオーバーテクノロジーを見せ付ける。
80年代にも関わらず、街中には現代的な美少女・萌えキャラクターの看板が並んでいるあたり、時間改変モノにでもしたかったのだろうか。
『ゲームセンターCX』のキャラゲーとしても、ファンであればあるほど喜べない。
街中に登場する一般人は、子供から大人までほぼ全員がCXスタッフと同名だが、グラフィックは言われてみれば似ている・言われても分からないもののどちらか。
番組内での持ちネタ・名言も、前後の流れを無視して「とりあえず言わせている」感が否めない。
エンディングに至っては、プレイヤーは前作『挑戦状2』内のゲーム「課長は名探偵」の主人公であり、
ゲーム内の有野課長と一緒に昼寝をしていたら、ゲームをしている夢を見ていた、という記憶喪失などの設定を捨てた夢オチ。
かと思いきや、スタッフロールが終わると今度は「実写の」有野課長が目覚める、という意味不明なムービーが流れる。
本作で聞ける「3が2を超える事ってあるんかなー?」という台詞も、自信の表れか、自虐ネタか。
「これ以上やったらゲーム嫌いになるよ」とは、まさに名言である。
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2本の「門番」が擁立されたのも束の間。1ヶ月後の4月22日、更なる新風が舞い込む。
PSVita・おふぃす5656『インフィニタ・ストラーダ』。
ゲーム本体を無料で配信し、ゲームを有利に進めるアイテムなどを有料販売する、コンシューマではまだまだ珍しい「基本無料ゲーム」の1つ。
本作は対戦型カードゲーム、『遊戯王』『マジック:ザ・ギャザリング』などに代表される「トレーディングカードゲーム」であるが、
粗製乱造で恐れられる基本無料の本場、携帯電話ゲーム・ソーシャルゲーム業界から生み出された本作は、
携帯ゲームソフト市場……もとい、KOTY史上でも十分に通用するものであった。
ターン開始時には「MP」が補充され、カードの配置(召喚)、配置後の追加効果「スキル」発動のために消費する。
カードゲームであるからには当然レアリティが存在し、本作では☆1〜5で表される。
ソーシャルゲームではよくあることだが、☆4・5のレアカードは課金・対戦報酬での入手に限定されており、
いわゆる「モンスター」「クリーチャー」のカードしか無いため、レアカードは一層強力な能力を持ち、性能には天と地の差がある。
その最高レアでもコスト8〜10・スキルコスト2〜3程度の消費に対し、ストーリーを進めるとMPが毎ターン10以上補充され、
コスト増加のデメリット・コスト管理のストレスの無い、自由度の高いプレイが楽しめる。
「スキル発動から1〜2ターン、敵の攻撃・スキル発動を禁止する」といったスキルを駆使すれば、序盤は低レアカードでも活躍できるが、
高レアカードは「攻撃禁止無効」「スキル発動禁止無効」という小学生のケンカのような耐性、
更には「☆3以下からの攻撃を無効・減衰する」という能力を持ったものが多く、低レアカードは存在意義を殺されている。
ストーリー中盤からはこのようなレアカードが文字通り「壁」として立ちはだかり、是が非でも課金させようとする意地を見せる。
そして、配置されたターンは攻撃もスキル発動もできない「召喚酔い」がある一方、相手ターン中に自分は何の行動もできない。
同程度の強さ同士の対戦では、後攻の召喚酔い中のカードが、先攻に為す術無く破壊される「もぐら叩き」が繰り広げられる。
本作最大の特徴は、上限20枚・初手6枚だけが設定された「デッキ下限なし」のルールだ。
デッキ切れによる敗北やペナルティは無く、6枚以下のデッキであれば初手が100%揃い、「積み込み」がテクニックとして通用する。
「プレイヤーが直接攻撃されてライフを失う」「デッキの全てのカードを墓地に送られる」
2つの敗北条件が設定されているからといって、デッキ枚数を減らすことにデメリットはほとんど無い。
「自分を墓地に送る代わりに、相手の場を全て墓地に送る」という強力な除去スキルには「耐性」が存在せず、戦闘は不要になる。
「墓地のカードを手札に戻す」回収スキルと組み合わせれば、除去を回収し続ける2枚だけのデッキで、一切の展開を許さず勝利できる。
どちらのカードも対戦報酬に含まれていて、一応は無課金でも入手でき、これを頼ってストーリーも最後までクリアできるのは、開発者の数少ない良心だろうか。
その対戦報酬を得るための、そしてカードゲームの醍醐味でもある対人戦だが、このようなゲームバランスで遊びたいと思う者は当然少ない。
対戦報酬やPSVitaの「トロフィー」だけを目当てに、デッキ1枚で即決着or即降参を繰り返す「談合」がたまに行われている程度だ。
しかし、本作の対人戦の本領はそんなものではない。「配置せずにスキルを手札から発動可能」という追加ルールによる、世紀末の到来だ。
召喚酔いしない「急速展開(速攻)」カードは、攻撃力が高くなく、本来は戦力になりにくい。
ところが、課金専用カードも含めた「攻撃力アップ」「MP補充」などのスキルを手札から発動することで、
「速攻」の強化による「初手6枚で100%先攻1ターンキル」が可能であることが判明。
「除去スキル」も手札から発動できるので、1ターンキルを自粛したところで「カードを先に出した方が除去されて負ける我慢比べ」にしかならないし、
手札除去スキルと先攻1ターンキルの応用で「100%後攻1ターンキル」が可能であることも同時に判明した。
選評者・住人たちは、「山札5枚のエクゾディア」「即死コンボVS待ちガイル」、果ては「コイントス」に例え、恐怖した。
あくまで本作は「オンラインでも対戦できる1〜2人用カードゲーム」であり、断じて「オンライン/ソーシャルゲーム」ではない。
フレンドを作って得をする要素も、日々のログインボーナスも、「飴と鞭」的なレアカードの配布も、
ソーシャルゲームやカードゲームならあって当たり前の「ガチャ/パック別のおすすめカード紹介」「収録カードリスト」なども、何もかも無い。
ストーリーとカードも最初から完成済みのものをわざわざロックしており、「追加」と称したアンロックも1ヶ月半で全て完了。
大半をソーシャルゲーム版から流用されたイラストも、体感の個人差はあれど、おおよそ前時代的で低クオリティ。
インフィニ「タ」・ストラー「ダ」の後ろ2文字で『タダ』(ターダ)となり、「タダでもやりたくない」と思わせる本作の通称になったのは、まさに運命だろう。
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2013年度の大賞が決定し、2014年度もまた三つ巴の戦いかと思われていた、夏の日。
7月31日、久しき夏の怪物、「狂戦士(バーサーカー)」が召喚された。
3DS・角川ゲームス『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』(プリヤ/イリヤ)。
アダルトPCゲーム原作ながら、10周年を経てなおアニメ放送などで根強い人気を誇る『Fate/stay night』シリーズ。
スピンオフ作品として漫画連載開始、アニメ化・ゲーム化へと至った本作であるが、予定から10ヶ月遅れのアニメ「2期」放送中にようやく発売され、
低得点ほど信頼できると揶揄されるファミ通クロスレビューでも、角川グループの身内への情けも感じさせない「4/6/4/4の合計18点」を記録していたのだ。
暴走して「黒化英霊」を生み出す「クラスカード」を回収するため、主人公・イリヤをはじめとする魔法少女たちが、時に共闘し、時に乱戦を繰り広げる。
『Fate』の要素を取り込みつつもオーソドックスな魔法少女モノである原作プリヤを、強制ハイスピード3Dアクションとしてゲーム化したのが本作だ。
ロードからノーウェイトで一律60秒の戦闘が始まり、自機はパッド・カメラは十字キーで独立しているにも関わらず、カメラは完全手動で操作は忙しない。
カメラの上下移動もできないのに「コンテナが迷路のように積みあがったマップ」では、時間内に敵を探すこともままならない。
しかし、マップごと初期位置固定、障害無く視認できればどこまでもロックオン可能というカメラ性能で、数回プレイすれば記憶できる。
攻撃・防御・補助・クラスカードの4種類に大分されるカードを、10枚まで持ち込んで特殊行動を追加できるが、
攻撃系カードを数発打ち込めば20秒ほどで決着が付き、戦略など立てる必要はほとんど無い。
お陰で初見1周目でも1時間弱、引継ぎのできる2周目以降は30分弱でもクリア可能。
分岐条件は「クラスカードを全種集めたか、集められなかったか」の2種類だけ、エンディングは描き下ろしとはいえイラスト1枚のみ。
4キャラクターで2枚の計8枚、そのうち半分は背景も無い…このペラペラのボリュームには、ファンでなくとも落涙必至だろう。
「味方」の存在も忘れてはならない。
原作同様、他魔法少女は英霊戦で共闘することもあるのだが、味方がトドメを刺した場合は「敗北」する。
自分が何割削ろうが、コンボを叩き込んでいる最中だろうが、最後に一発掠められただけでダメ。
おまけに味方もカードを容赦なく使用し、強化された火力で敵を溶かしていく。
参戦してくるかどうかもランダムである「奴ら」は、魔法少女的な意味での「ライバル」ではなく「厄介者」でしかない。
原作プリヤのオリジナル要素として、魔法少女がクラスカードの英霊の力を使い、
武装を再現する「限定展開」、武装にとどまらず外見や身体能力なども再現する「夢幻召喚」というものがある。
同じクラスカードでも、黒化英霊や夢幻召喚の使用者によって、
黒セイバー(オルタ)、白セイバー(リリィ)、青セイバー(いつもの)など、多種多様に変化するのも見所だ。
本作でもクラスカードは限定展開で、HP低下時に夢幻召喚が使えるように区別されているのだが、本作の夢幻召喚は敵の体に自キャラの首を挿げ替えるだけである。
敵には男性型のものもいるが、原作のように衣装がアレンジされることは無い。
腰布一枚で巌のような筋肉質の肉体を晒す巨人・バーサーカーでさえ例外ではなく、その体の首だけが少女のものになる。
本作アクションパートの3頭身にデフォルメされたキャラクターで行われるソレは、決してグロテスクなものではない。
むしろ、ある種の笑い・可愛らしさを感じることもあるかもしれないが、歪な手抜きであることは疑いようも無い。
「バーサーカーは、強いね」という原作Fateのイリヤの名台詞も台無しだ。
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以上、本年度の候補4作の中から大賞を受賞したのは――『インフィニタ・ストラーダ』である。
基本無料ゲームのノミネート、ましてや大賞受賞を疑問視する声は少なくなかった。
「時間の無駄」というのは全てのクソゲーに言えるし、価格差が考慮されにくいとは言っても「無料」には大きな隔たりがある。
しかし、その本作がいかにして大賞に足り得たのか。
取るべき戦術は一つ、積み込んで先攻を取って除去or1ターンキル。バランスと呼べるものが存在しないゲーム性は、間違いなくいずれにも劣る。
『超人』には無いカード収集とデッキ構築の要素があっても、その存在意義は無く、
あちらにはカードゲームとしての「何を引くか分からない」楽しみと駆け引きがあり、引きさえマトモなら、まだ楽しめる。
『有野』は、難易度の高さをレトロゲームらしいと捉えれば間違いとも言い切れず、
「先攻を取ったら勝ち」ほどやり応えが浅いわけでもなく、手ごたえを感じることができる。
レトロゲームとしての演出の不一致、元ネタからの劣化や独自性の無さに目を瞑れば面白いものもあり、ゲーム集としては成立している。
『プリヤ』は、時間制限と火力偏重のバランスは確かに厳しいが、回復・蘇生・バリアなど、カードの能力・戦略性を時には生かすこともできる。
イラストについても高クオリティとは言い難いが、作画崩壊することもなくアニメに準拠している分、落第点を与えるほどではない。
カードゲームのコレクション性を念頭に置けば、数百あるイラストのうち評価できるものは片手で数え足りてしまい、収集意欲を削がれる・満たせない方が問題だ。
「基本無料」でありながら、課金によって真にクソゲーであることが分かる、「クソ基本無料ゲー」ならぬ「基本無料クソゲー」として完成された本作。
かつて2011年度大賞『対戦チンチロリン』は「100円ショップでサイコロと茶碗を買った方が安くて面白い」と言われたが、
何かを買う必要すら無い「コイントス」にも劣る『タダ』もまた、本年度の大賞に相応しいと言えよう。
『インフィニタ・ストラーダ』がその名の通りに切り開いた「無限の道」は、どんな未来へ続いていくのか。
2015年夏に予定されている『インフィニタ・ストラーダ 華』へのバージョンアップで、どんな「華」を咲かせるのか。
カードゲームを題材にしたアニメ『遊戯王ファイブディーズ』主人公・不動遊星の言葉を借りて、
開発元の「AMGエンタテイメント」改め「AMGゲームス」へのエールを送り、本年度KOTYを締めくくろう。
「おい、ゲームさせろよ」
2013年は辛く長い戦いであった。
3つの方向性の異なるクソゲーは住民達の精神をすり減らしていった。
それぞれが一番のクソゲーと主張し互いに競い合う、しかし会議は踊るされど進まず……前に進むことも後ろに下がることもない膠着状態へと陥る。
その結果住民は1人、また1人とスレを離れ、気が付けば冬も明け、それどころか春も過ぎ、初夏にまで縺れ込んだ。
これは歴代はもちろん全クソゲーオブザイヤー最長記録である。
戦いの結果残ったのは3つのゲームの中で一番住民の心を抉った「ホームタウンストーリー」(ホーム)であった。
議論を終えたスレ住民達に残っていたのは「Hurtfulな思い」とクソゲーだけであった。
しかし弱り切ったスレ住民達をクソゲーは見逃してはくれない、2014年のクソゲーは既に門を叩いていたのだった。
スレ住民達はクソゲーから目を逸らすことは出来ない。クソゲーを真っ向から見つめられるのは自分達しかいないのだ……。
議論が続いていた裏で2014年の戦いが幕を開ける。
―――
先陣を切ったのは過去とは大きく姿を変えて蘇ったカルチャーブレーン販売開発・3DS専用ソフト『超人ウルトラベースボール アクションカードバトル』(超人)であった。
『超人』は1989年にカルチャーブレーンがファミコンで発売したアクションゲームである。
その名の通り常識はずれなウルトラ技を駆使して勝利を勝ち取る野球ゲームで熱狂的なファンも存在し、スーパーファミコンで一度途切れてからはずっと続編が望まれているゲームだ。
カルチャーブレーンは全力でこれを蘇らせようと取り組んでいた。
その一報を聞いたファンは超人ウルトラベースボールの復活に盛り上がっていた……しかし一方では発売前のPVから漂っていた只ならぬ気配により不安の声があがる。
期待と不安の中、3月13日3DSに解き放たれた常識はずれの『超人』は見事全員を裏切り、議論を終えていないスレ住民達へと投げられた。
ではそんな常識はずれな内容を紹介しよう。
試合はカードゲームらしくお互いそれぞれ5枚のカードから1枚を選択し、その後5マスあるポイントから1つを選択、そして結果を見る。
投手側のカードにはレベルや球種があり球種によっては選んだポイントから1マスずれる。
打者側のカードにもレベルや打ち方があり、たとえ球を打ててもレベルが相手よりも低かったり狙いがずれれば凡打となってしまう。
更に打者側は投手側のカードをある程度見ることが可能でそこからどう打つか戦略を立て実行する。
そしてその中にはカードを1枚捨てて見送るという選択肢、ウルトラ技のカードを使用すると言う選択肢、盗塁をするという選択肢がある。
こう見れば面白いように見えるが実際は強いカードが出揃うまで見送りを連発するただの運ゲーである。
更にウルトラ技がカードさえあれば出せるのでウルトラ技3連射という事態も発生し運ゲーを加速させた。
また、それらを演出するグラフィックも常識はずれであった。
そのグラフィックはまるでPS時代に迷い込んだかのようなものであり、選手の顔と体型は全員同じである。例えストーリーモードでどんな顔だろうが体型であろうが試合になれば皆同じになる。
更に6球団+6オリジナル球団なのに球場の数が半分所か4分の1である3つしかないという有様である。
そして肝心のウルトラ技も表現しきれていない有様であった。
例えばビックバン打法、明らかに表現しきれておらずエフェクトの範囲外なのに選手が吹き飛ぶ事態が発生している。
例えばタイガー・ファング、最初に選手が光り球を打つ。それを取ろうとした選手の身体は「く」の字に曲がりスィー……と吹き飛ばされる、いや平行移動する。
そしてそれに触れた選手は吹き飛ばされる、いや尻餅をつく。
更にグラフィック的な問題でバットに当たってもないのにヒットになる事態も発生している。
そんなウルトラ技もエディット画面でなければ効果がまったく分からないという未知の代物であった。
そのせいでただでさえ辛い試合は余りにも退屈なものとなっていた。9回まで淡々とカードをだして見送りをしてまったくウルトラでもないウルトラ技を見て滑っていく選手を見て……。
野球としてならばまだテンポは良いが、このゲームはカードゲームである。そしてカードゲームとしてならばこのテンポは最悪である。
そして余りにも常識はずれである『超人』はストーリーモードも例に漏れず常識外れであった。
デッキ構築は打順変更しか出来ず、更に育成要素すらない。唯一主人公が途中でウルトラ技を1つ覚えるだけである。
肝心のストーリーも電波ではあるが本当に常識はずれなのはここではない。
それは『超人』が発売されて半年ほど経ったころに起きた。
11月5日に公式からこのストーリー部分を削除した「ライトバージョン」が配信されたのだ。
値段は約10分の1である500円であるが、その内容は超人からストーリーモードを消しただけである。
つまり公式でストーリーの存在は抹消されたということだ。
更にそれを裏付けるかのように公式サイトにはライトバージョンはあるのにパッケージバージョンは存在しない。
どうやら公式は消える魔球の如くパッケージ版を消したつもりなのだろう。しかし一度スレ住民達にクソを投げつけたという事実はどんな超人でも消すことはできないのだ。
―――
『超人』がスレに現れたが、スレ住民達は未だ議論を続けていた。しかしそれに追い打ちを掛けるかのようにまた新たなクソゲーが姿を現す。
超人が現れてから約1週間後レトロな音を鳴らしながら1つのゲームが出現した、バンダイナムコゲームス販売・グレフ開発・3DS専用ソフト『ゲームセンターCX 3丁目の有野』(有野)である。
これはよゐこの有野がレトロゲームに挑む番組を基にゲーム化した物で、『ゲームセンターCX』として3作目のゲームであり番組10周年を記念して製作されたシリーズの最新作だ。
発売元は一貫してあのバンナムで、発売元が元なのでやや不安ではあるものの歴代作は普通のゲームであった。
しかし開発会社がグレフに変更、更に番組内の様子も変わり、挙句の果てに発売も2か月延期され、発売前から危険信号が発せられていた。
そして発売された有野はまごうことなきクソゲーに変貌を遂げていた。
このシリーズはゲームinゲームと言うジャンルでゲーム内のゲームをプレイするゲームである。
そのゲームはシンプルに良質なレトロゲームを昔の雰囲気の中で遊べるというコンセプトで造られており、昔のゲームを参考に作られたものだ。
そしてそれを主役である「ありの少年」と共にプレイし、ノルマを達成するという物となっている。
だが実際の内容には昔懐かしい雰囲気はなく、寂しいものとなっている。
主役である、ありの少年は今までと比べると殆ど喋らなくなってしまった上に、喋ったとしても同じことしか喋らない、番組ネタを強引に入れる等、違和感の塊となっている。
更にこういうゲームでは感情移入も重要なのだが、視点がテレビの前でゲームをプレイするありの少年と主人公を見るという図では感情移入も糞もない。
ゲームをプレイしたり集めるためのアドベンチャーパートも酷く単調であり前半もほぼ作業ゲーなのに後半になると完全に作業ゲーと化す、そこにはレトロ感なんてものはない。
そして恐ろしいことにこのゲームの最大の特徴であるゲームパートはほぼクソゲーであり、再現できているのはレトロゲームの鬼畜難易度のみであった。
グラフィックは時代背景に合っていない、ドットも合っていない、サウンドも合っていない、文字には漢字を使用、名作が元ネタなのにそれを全て全力で劣化させ台無しにした上に詰み要素まで詰まっている。
更に一番おすすめされていたゲームは内容も周辺のストーリーもただの嫌がらせと言われる程のクソゲーであった。
メインゲームを全て羅列すると、高難易度、劣化、超集中力必須、超難易度、超集中力必須、クソノルマ、RPG(笑)、アクションRPG(笑)という物であり、
サブゲームも全てとは言わないがメインゲームの流用やただの運ゲーなどのクソが詰まっている。
それはまさにシンプル(単調)で良質(の真逆)な(難易度だけ)レトロゲームであり、やればやるほどクソが染み出てくるクソスルメゲーム集であった。
最後にストーリー面だが、
「過去に来た上に記憶喪失してしまった、ありの少年(有野課長)を現代に帰すため、主人公がゲームプレイを頑張る」程度の物で、
最後はどこからともなく、天から有野課長を呼ぶ声がして。ありの少年は全てを思い出し、主人公の事を忘れないと言って現代に帰る。
そしてエンディング後セリフが現れ、挑戦状2の「課長は名探偵」のBGMが流れ出す。
実は主人公は前作「課長は名探偵」の主人公であり、ゲーム内の有野課長(グラは「課長は名探偵」に出たのをを元に描き直したもの)と昼休みに昼寝し、ゲームをしている(本作の事)夢を二人して見ていた。
スタッフロールが流れ終えると、実在の有野課長が目覚める実写ムービーが流れる。おしまい。
……という急に前作要素をだした夢落ちと言う前作ファンですら訳の分からない謎エンドだ。
それを見て前作要素はゲームのクオリティで出してほしかったとファン全員が思っただろう。
その他にも細かい所ではUIがボタンとタッチが入り乱れ使いづらい、地味に不親切な攻略情報、まったく再現しきれていない番組の人物、更にそのボイスも微妙等がある。
まとめると有野はゲームセンターCXのようなゲーム集の続編ではなく同じくバンナムが出したクソゲー「縁日」の続編なのではないのかと疑う程酷いクソゲー集であった。
ファンや住民たちは夢落ちであってくれと願うが、現実は非情でそこに有野というクソゲーは確かに存在していた。
こうして『超人』と『有野』と言う過去作の偉業を完全に崩壊させたクソゲーが出揃い、今年の門番となった。
―――
門番が出揃ってから一か月後の4月22日、新しいゲームの形を表す新人が姿を現した。
おふぃす5656販売・AMGエンタテイメント開発・PSVITAダウンロード専用『インフィニタ・ストラーダ』(タダ)である。
先ずこのゲームはPSVITAのダウンロードソフトであり本体のダウンロード自体は無料である。
しかしゲームを有利に進めるための手段の一部は有料であり、ユーザーはそれを買うことが出来るため「基本」無料ゲームなのである。
本作はいわゆる「遊戯王」や「ヴァンガード」などが属する正統派カードゲームであり、更に基本無料ゲームであるため、余程の事がなければここには来ないはずのゲームである。
しかし本作品ではその余程の事が起きてしまったのだ。
先ずルールだが、ターン初めにMPが補充され、MPを使い場にキャラクターカードを配置したり特技を使用するなどを行い、AP(攻撃力)分相手のキャラクターカードにダメージを与える。
キャラクターカードのいないところに攻撃するとダイレクトアタックとして敵司令官へダメージを与えることが可能で(それをキャラクターで防御することもできる)、
相手のキャラクターカードを全滅させるか、敵司令官のHPを0にすることで勝利する。
バトルに勝利すると経験値とお金、カードパックが貰える。
経験値はLVが上がるごとに司令官のHPが増える(最大99999)
という単純なものである。
しかしMPは大量に補充されるため不足する事態が起こらない。
召喚されたターンは攻撃できない所謂召喚酔いがあるのだが、後攻が完全に不利なのに救済策を用意していないというカードゲームとしては既に致命的な状態に陥っている。
次にカード本体の説明をしよう。
各カードにはAP(攻撃力)、HP(体力)、COST(場に出すためのコスト)、レアリティ(☆の数で表記され最大5つ)、特技、スキル、種族、属性、勢力が存在する。
勢力は3つあり3すくみの強弱がある、これはフィールドに勢力強化のパネルが配置されておりこれを組み合わせることでステータスを上下させるが、その上下の差が激しい。
種族属性は余りに多すぎる上に内容も微妙に被っていたり、違いが判らないものまで存在する。
そして特技はこれらの種族属性に対して有利不利を定めた者であるが、レアリティが上がるごとに無茶苦茶な内容となっていく。
スキルは場に出たカードが必要コストを支払えば任意で使うことができるがMPの都合上あまり気にする必要はない。
そして各カードには進化というものがあり、通常→進化→超進化の3段階でカードが強化される。
こう見れば普通のカードゲームである、むしろフィールドや種族などの要素が加えられており面白そうに見える、しかしそれらを葬る致命的な問題がある。
一つはレアリティが高ければ高いほどステータスが高いと言う事だ。
別にレアリティが高い=強いという式はカードゲームでは珍しくない、しかしタダの場合は性質が悪かった。
なんとタダでは無課金、オフラインだと☆3までが限界なのだ、それなのに敵は後半になると☆5は当たり前になる。
更に性質が悪いのはその特技である、例をあげるならば「☆が3以下なら攻撃無効」、つまりほぼ対処不可能である。
それを解決するにはオンラインや課金するしかないのだ、所謂課金者に対するアドバンテージであった。
しかし、製作者は無課金者にも優しかった。製作者は無課金者にある程度の救済処置を用意していた……が、それが余りにもバランスブレイカーだったのだ。
それが『除去』というスキルである。
この除去というのはいわゆる3つの勢力等に対するメタスキルであり、このスキルを使うことによりどれだけステータスが高くとも問答無用で墓地に叩き込む。
このスキルの前にはいくら課金しようが何をしようが無力である。つまり課金することで生じるアドバンテージを全て壊したということだ。
更に恐ろしいことに他のスキルには大抵それを無効化するメタスキルが存在しているのに対してこの除去のみメタスキルが存在しない。
その除去はオフラインでは2種類までしか手に入らず、残りの1種類はオンライン対戦でのみ入手可能であり、更にそもそもプレイ人口が少ないことも相まって入手難易度が高かった。
因みにオンラインではこれらの上位互換である敵を全て葬るカードまで手に入る。
その為オンライン対戦では対戦を行わず話し合いで決着をつける説得フェイズが発生した。「おい、デュエルしろよ」と言いたくなる環境である。
無課金者にとってはこのスキルは救済策なのかもしれないがそれで課金者を葬ってしまうのは本末転倒としか言いようがない。
しかしここで疑問が生じる、「そんな簡単に除去カードが引ける訳がない」。
確かにそうだ、普通のカードゲームならばそうだろう。
例えば遊戯王なら最低40枚最大60枚でキーカードを探り当てるカードで補う。
しかしタダのデッキは最大20枚という制限しかなく、最低は実質1枚であった。
これが更に除去カード1強に拍車をかけた。
なにせデッキを除去と除去カードを再利用できるカードにして先攻で戦えば敵は必ず葬れる。
更にオンラインでは何故かスキルを手札から発動できるので 後攻は何もできずに敗北する。
これがオンラインで説得フェイズが発生し、課金者が葬られた最大の要因である。
前述したメタスキルがないというのも除去ゲーを確立させた。
しかし、プレイヤー達は諦めなかった。
こうしてオンラインにおける「先手必勝」の除去デッキに対して生まれたメタデッキが「見敵必殺」である、ついにメタデッキどころかどんなデッキにも勝てる凶悪デッキが完成したのだ。
内容は召喚酔いしないカードを全力で強化し敵司令官のHPを削り取るという物であり、相手のターンは回ってこないため除去も何もできない。
除去ですら一応ターン自体はまわってきたが、このデッキはそれすら許さず敵を葬り去る。
しかしこのデッキを作るには課金が必要でありこれによって一応課金者の面目は守られた。しかし肝心のゲームバランスを守ることは出来なかった。
こうしてどうあがいても先攻ゲーと化したタダは「コイントスした方が早い」とまで言われるクソゲーと言われた。
更にUIはタッチのみで劣悪、文字は統一されない、時々ゲームが落ちる、碌でもないチュートリアル、オンラインに鍵がないなどの地味な要素により先攻ゲーに強化を施していき、
タダでもやりたくないタダ以下のクソゲーと評された。
新時代からのクソゲーはその基本無料という住民達に突撃させやすい特徴でスレを燃やし尽くした。
そのあまりのクソさに今年の大賞は決まりだなという声まで上がる。
しかし、未だ4月である。1年の半分も行っていないのに大賞がそう簡単に決まるものではなかった。
―――
『超人』『有野』『タダ』による三つ巴の戦いが始まってから約3か月後の7月31日、本来の発売から10か月遅れでその英霊(サーヴァント)は現れた。
角川ゲームス・3DS専用ソフト『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』(プリヤ/イリヤ)である。
『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』は今や有名となったFateシリーズの番外編をアニメ化したものである。
あらすじは冬木市に住む女の子イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、ある夜飛来してきたカレイドステッキのマジカルルビーによって強制的に契約を結ばれ、魔法少女プリズマイリヤになる。
そして本来のカレイドステッキの持ち主の魔術師、遠坂凛に命令され、冬木に存在する危険な英霊の力を持つクラスカードの回収の手伝いをすることになるというもの。
それをゲーム化したのが本作である。
しかし発売前から10か月の発売延期、公式のスルーっぷり、身内には甘いはずのファミ通クロスレビューですら「4/6/4/4の合計18点」という恐ろしい地雷臭に期待なんてものは微塵もなく不安しかなかった。
案の定召喚された本作品は最狂の狂戦士(バーサーカ―)であった。
では何処がバーサーカ―なのか? その狂戦士は『無』で出来ていたのだ。
まずOPのないタイトルがプレイヤーを襲う。
次に7人の英霊のクラスカードをとある私情で紛失したので、それを4人で7日以内に全て集めるという
適当すぎるストーリーと明らかに手を抜いたとわかる説明不足なチュートリアルを見た後ゲームを進めていく。
その後基本ゴリ押しでやりがいも全くない3Dアクションバトルを進めていき適当に会話イベントを見て、GOODエンド又はBADエンドをむかえる。
以上である。
フルボイスを全力で楽しんでなんと40分から50分で終わる。という余りの薄い内容だ。
その上、2週目に入れば40分どころか半分の20分、下手すれば10分あれば終わるというペラペラ度を誇り、全てのEDを見るのに3時間程度というゲームは勿論、キャラゲーとしてもそれはどうなのかと言う出来である。
そしてそのEDの一枚絵もあまり良いとは言えないモノばかりで一枚絵だけを観覧するギャラリーはない。
仮に有ったとしても一枚絵はEDの合計8枚でこれは多いとは言えない所か明らかに少ない。
それなのにマップのギャラリーはあるというよくわからない仕様となっている。
更に会話中の立ち絵の扱いは適当でせっかくゲーム専用に書いてもらったキャラも全く生かせていない。
一応ランダムで存在する会話は充実してはいるものの、本当に全てランダムな上、他のランダムイベントに吸収される等のシステムの迷宮化で全て台無しになってしまっている。
そしてやりがいのないバトルは10枚からなるデッキを用いて行う3Dアクションで60秒間の制限時間の中相手を倒すというものだ。
バトルには2種類あって1つはクラスカードを回収するために英霊と戦闘するもの、もう1つは仲間の魔法少女と戦う模擬戦がある。
しかし、前者は仲間の魔法少女と協力して戦うのだが、味方がとどめを刺すと強制敗北になりクラスカード回収も出来ない。
ただでさえ適当なストーリーを矛盾させるのは如何なものであろうか。
後者は勝てば手を抜いた、訓練だからと言われ、負ければギリギリだったという見事に噛み合わない会話が行われる。
更にバトルは敵味方にナニカされる前にボコボコにしなければならず、ボコボコに出来なければ時間制限か味方にトドメを刺されてしまうため強制ハイスピードバトルを強いられることとなる。
そこには苦痛と言う感覚すらなく、ただ虚しいだけである。
デッキ構築もとりあえず火力が高いものを入れればいいためレア度で嵩増しした109種類もあるカードは全く生かせていない。
操作性も手抜きを行っておりバトル中のカメラは手動、ポーズもない。
更になんと3DSなのにタッチパネルは使用しないというゲーム機の性能すら碌に生かせていない。
極めつけはポリゴンの手抜きである。
英霊が込められたクラスカードを使用する「夢幻召喚」によってそれに合わせた武器を使用したり、英霊の姿に変わることが出来るが、それも排除されている。
その結果、顔は美少女なのに体は上半身裸のマッチョマンが誕生した。
もちろん原作やアニメではそんなことはなくキャラに合わせた専用の衣装がある。しかしこのゲームだけは違った。
つまり、専用のポリゴンを作れず流用したということである。
そのためせっかく専用で書いてもらったキャラも(顔は)美女と(からだは)野獣というシュールな絵図と化した。
この余りの手抜きにスレ住民達は速攻でクソコラを作成。
「バーサーカーは、強いね」という原作のイリヤの名セリフを全力で台無しにし、全力で再現した。
唯一良い点とも言われていたフルボイスは前述した通り迷宮と化していて、その内容も毒にも薬にもならないようなどうでもいいことが多く台無しである。
こんな出来ではあるが、これでも10か月延期して出されたゲームである。
更にボイスも充実、きちんと新キャラも書き下ろしてもらっているのだ。
それなのにポリゴンは使い回し大量の怪物が誕生し、ボイスは迷宮の触媒にされ、新キャラは既存キャラと平等に適当に使われた。
何故か開発途中画像にあった背景は統合され、マップはなくなり、レーダーはなかったことにされた。
本気で10か月の間何をしていたのか気になるところである。
結論を言えば全力で手を抜いた結果召喚されてしまった恐ろしい狂気の「無」であり、久しぶりに招かれた「夏の怪物」であった。
―――
以下4つのクソゲーが出揃ったところで携帯機版クソゲーオブザイヤー2014の大賞を発表させていただこう。
携帯機版クソゲーオブザイヤー2014大賞の座に輝いたのは「Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ」である。
「超人」は確かに値段の割に低品質なクソではあったものの肝心の対戦ができないわけではなく、ストーリーは電波ではあるものの面白かったという意見があった。
かと言ってライトバージョンではストーリーが無いもののそれ以外は変わらないので「値段相応」であった。
「有野」もほとんどのゲームが劣化してはいるもの基本としたゲームが優秀だったことも有ったのか下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言わんばかりに
中にはサブゲームで単調ではあるが面白いゲームが幾つか残っていた。
「タダ」はバランスこそ完全崩壊していたもののそれ以外のストーリーや課金要素でもあるキャラクターイラストについてはそのままの意味で「値段相応」であり、
特にストーリーはフルボイスで、キャラクターについてはボイスが付いていたりアニメーションが付いている点は「値段」を見れば評価できる。
一番の論題でもあった課金者が無課金者に劣るという点はバランスを犠牲に解決し、無課金者に救済処置も施されている。
では「イリヤ」はどうか?
確かに良い所は有っただろう、しかしそれは全てクソと手抜きで全て台無しとなっている。
新規立ち絵や描き下ろしイラストは全く生かされず、ギャラリーすらない。
描き下ろしイラストを見るにはEDごと見なければならず、それはたまに落ちる。
折角作ったポリゴンもバトルはもちろん、首の下だけを入れ替えるだけの逆アンパンマン状態。
フルボイスはそのランダム性のおかげで数を把握できず、かと言ってそのフルボイス自体の価値も良いとも悪いとも言えずクソと微妙の間をひたすら彷徨い続ける事となる。
良い所をことごとくクソで潰した結果生じたのは『無』であった。
更にそこに良い所すらないクソ要素が加わる。
ストーリーは殆ど何もないのに何故か矛盾が生じクソとなっている。
全クリアするのに5時間どころか3時間も掛からない。
バトルではタッチパネルも使えず、カメラもロックオンもクソで内容もただゴリ押すだけ。
原作再現という点では全くされてないどころかポリゴンを流用したおかげで顔だけ可憐なムキムキマッチョマンが空を飛ぶという異常事態が発生している。
更に流用したおかげで本来ならば空を「跳ぶ」はずのキャラが空を「飛び」、武器の再現も流用したせいで再現しきれていない。
キャラゲーとしてもゲームとしても最悪の出来であり、正しく『クソゲー』である。
イリヤは全てを『手抜き』した結果生まれてしまった楽しめるところが何もない『無』なのだ。
全ての良い点を0かマイナスで掛けてクソだけは足してしまった、何もないようでクソだけが見える『クソ 』。
それはどんなモノにも例える事も出来ない不動の性質(クソ)であった。
そしてプレイした結果残るのは存在するのに何もないクソゲーと財布、それを買ってしまった「怒り」と何故こんなクソゲーが生まれてしまったのかという「悲しみ」である。
では、そんな時クソゲーを掴んでしまったプレイヤーはどうしたのだろうか?
こうして生まれたのがこの「クソゲーオブザイヤー」である。
確かにクソゲーオブザイヤーはその年一番のクソゲーを決めるところである。
しかし、クソゲーオブザイヤーはクソゲーを手にしてしまったプレイヤーが「怒り」や「悲しみ」を「笑い」に変えるためのスレでもあった。
そういう意味では「イリヤ」は優秀であった。
本来ならばポリゴンの流用によって生じた現象はファンにとっては許される事態ではなく「怒り」や「悲しみ」で包まれた。
しかしクソゲーオブザイヤーはそれを見事「笑い」に変える事が出来た。
そのような「怒り」や「悲しみ」を「笑い」に変えつつ、クソゲーとしても一流の「Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ」こそ大賞に相応しいだろう。
今年のクソゲーオブザイヤーは去年と一昨年の影響からか検証も選評も多いとは言えなかった。
しかし、それでも確かに今年もクソゲーオブザイヤー大賞を決めることが出来たのだ。
最後に大賞となったイリヤの兄であり、作品によっては義弟である衛宮士郎の言葉を借りて総評の〆とさせていただく。
「確かに無駄かもしれないけどさ、でもそれは、クソゲーをやめる理由にはならない。」
2013年は、携帯版KOTYスレにとっては長い年であった。
少数精鋭の一点突破であった前年と異なり、三者三様の個性あふれるクソゲーたちは方向性が全く異なる各界の実力者揃いであり、審議は難航を極めた。
彼らは爆撃により全域を焦土にした後もその焦土で踊り狂っており、彼らが立ち去るまで我々は指を加えて見ているしか無かった。
ユーザーにもスレ住民にも"Hurtful"だった『ホームタウンストーリー』がKOTYの栄冠に輝くまで、実に7月まで続く終わらない冬の始まりであった。
しかしそんな長い冬の間にも、2014年スレではKOTYの栄冠を手にするため、次なるクソゲーたちの萌芽が見られはじめていた。
まずはじめにその息吹を見せたのは、カルチャーブレーンから発売された『超人ウルトラベースボール アクションカードバトル』(以下「超人」)だった。
本作は1989年から続く「ウルトラベースボール」シリーズのSFC以来となる最新作である。
普通の野球ゲームではみられない秘打、魔球といった「ウルトラ技」を中心に人間離れした「超人野球」を楽しめる本シリーズだが、何を思ったかカードバトルとなって帰ってきた。
まずはこのカードバトルについて説明していこう。
打者と投手がそれぞれランダムに配られるカードを五枚持ち、手札からそれぞれ一枚、互いに5マスから1つコースを選んでセット、対決。打者はヒットを、投手はアウトを狙っていく。
打者は投手の手札と選んだマスを見ることが出来るので、そこからどのカードを使うかを読んでカードを選ぶ。
投手は選んだマスに行く直球でいくか、そこからずれる変化球でいくか、それともウルトラ技かを、読まれていることを逆手に取ったりしつつ選ぶ。
また、どちらも敢えて見送りを選んで相手のカードを消費させる事もできる。
これらの駆け引きがこのゲームの醍醐味というわけである。
しかし実際は駆け引き以前の問題が多く、駆け引きがほとんど成立しない。
まず、配布されるカードがランダムで、デッキ構築やカード収集などのTCG要素は存在しない。どんなカードが来るのかは運次第である。
更にカードにはレベルによる絶対的な格差が存在し、それなのに選手の体調管理やレベル、成長といった要素もないため、純粋にカードの強さで勝敗が決まってしまう。
しかし配られるカードはランダムなので運次第である。
肝心のウルトラ技までもランダムで配布されるため、これまでのシリーズであった「いつウルトラ技を出すか」という駆け引きは無く、ウルトラ技が出せるか出せないかも運次第である。
このように運によって試合のすべてが支配されており、プレイヤーは早々に考える事の無意味さに気づき、うんざりしてくることとなる。
そもそもこの「試合」というのも一球ごとにカードとコースを選択する作業を9回まで延々と繰り返すだけなので、やることはずっと同じで飽きやすい。
体験版の範囲(3回戦まで)でも既に飽きが来るというのに、この試合に製品としての価値を見出すのは難しいだろう。
グラフィックや演出も、PS初期レベルのグラフィックに加え、3Dモデルも酷いものである。
選手は全員同じ顔・同じ体格で、ユニフォームが違うだけ。
肝心のゲームの売りであるウルトラ技もやっつけ仕事で全く迫力がない。
前作に比べればまさに雲泥の差であるが前作はSFCであるわけで、せめて平行移動でふっとばされるといったやる気のない動きはやめてほしいものである。
ストーリーモードはエディットのキャラもつかえず超人技を集めることも出来ず、ただひたすらに一本道な試合を繰り返す苦痛の作業である。
辛うじて会話部分だけはそこそこ面白いものの、ぶっ飛んだ設定やメタネタは、試合を繰り返させるに足る出来ではない。
ミッションモードはその目標設定は悪くないものの肝心の試合が退屈なため苦痛へと変化しており、また報酬も味気ない。
面白く出来る要素がないことはないのだろうが、その根幹部分である「試合」が冗長な運ゲーであるがゆえに、全てがそこへ巻き込まれ、「トルネード打法」のウルトラ技として全が一のクソゲーとしてまとめられている。
そして良くも悪くも超人を語るのに欠かせないのがライトバージョンの存在である。上記ストーリーモードのみを廃止し、ダウンロード専用で500円で発売。
いくらパッケージ版の市場価格が値下がりしているとはいえ、ストーリーモード以外の価値を500円と断じるのはそれほどまでにストーリーに自信があるのか、それとも自分たちの開発したゲームはその程度の価値しか無いという自虐だろうか。
パッケージ版の公式ホームページはこのライト版へと更新され、パッケージ版の発売日、価格等の情報は開発元のホームページからは消し去られている。
しかしこのゲームを発売したという汚点は消えることがない。
消える魔球は地を這うだけで、発売したボールを無かったことには出来ないのだ。
クソゲーの芽吹きは止まらない。その1週後に、シリーズ作の養分を吸い尽くし、超人の傍らから芽を出したのが『ゲームセンターCX 3丁目の有野』(以下「有野」)である。
本作のもととなった「ゲームセンターCX」はお笑いコンビよゐこの有野晋哉がレトロゲームに挑戦するというCSで人気のテレビ番組で、その要素を活かした本シリーズはDSにてこれまで2作発売されている。
いずれもシンプルながら良質なレトロゲームを、昔の雰囲気のまま今の快適性で楽しめる作品であり、開発したインディーズゼロの調理の絶妙さでニッチながらも評価の高いシリーズであった。
だが、本作は10周年の一環として急いで作る必要があったのか、開発元をグレフに変更しての発売、恒例の番組コーナーもなくなり、ファンからは不安の声が寄せられていた。
2ヶ月の延期を経て発売されることになった本作は、残念ながら予想通りのクソゲーへと生まれ変わって登場した。
本作のストーリーは、80年代にタイムスリップして記憶喪失の有野少年の記憶を取り戻すために、レトロゲームをクリアしていくというものである。
メインとなるゲームinゲームは80年代を再現したものでジャンルは多彩。それ以外にもストーリー進行とは無関係のゲームも幾つか遊ぶことが出来る。
しかしこのゲームinゲーム、とにかく出来が悪い。
ファイナルファンタジーやゼルダの伝説、ドルアーガの塔などを元ネタとしているのだが、ガワは似ているが中身は満遍なくクソの玉手箱である。
例えば体験版でも遊べる「ルーミーと魔法のホウキ」。
これは敵を倒すのに3手かかる、面倒になったマリオブラザーズなのだが、ステージが進むに連れ敵の種類は増え、動きは複雑、固いブロックの登場など敵とマップがどんどん凶悪になっていく。
それなのにこちらの攻撃手段は乏しいため、無限コンティニューで押し切るか、ランダムで出るアイテムを使うのが定石となってしまうのだ。
立ち絵や漢字など現代的な要素を追加してバトルバランスを放棄、ストーリーも雑なFF的RPG、試合制なのにこちらだけ謎の前哨戦で消耗させられ不利な戦いを強いられるフライングパワーディスクなど、他の作品もことごとくが元ネタの要素を大胆に削るなどしてゲームバランスを悪い方に調整、新しい要素を付け加えるのだが、技術不足か人手不足か、まともなものがほとんどないという惨状になっている。
またストーリーを進行させるためのノルマや攻略法のゲームプレイ中の確認、ゲームinゲームのリセットなど前作ではできていた部分がことごとくできなくなっているのも問題だ。
これらが組み合わさり、プレイヤーはクソゲーinクソゲーを楽しむという主目的のもと、苦行を続けていくことになる。
ゲームinゲームの出来に無理して目をつぶったとしても、残るのはレトロさを微塵も感じさせない要素だけだ。
ゲーム内説明書の遊び心やユーザーインターフェースのこだわり、サウンドやグラフィックなど、レトロさを再現するのに大切な要素が尽く書けており、懐かしい時代へのノスタルジーや没入感を得ることは出来ない。
それどころかドット絵なのに音源が現代風だったり、ファミコンっぽいのにカラフルでアニメーションする、SFCっぽいのに難しい漢字が書かれる、特定のパターンしか表示できないLCD(液晶画面)ゲームなのにパターンの変化する、果てには街なかの背景にある萌えイラストなど、再現すべきところを再現しないどころか時代考証や再現を放棄している部分が随所に見られ、レトロさに愛があればあるほど違和感を感じさせる仕様となっている。
ゲームセンターCXのファン向け要素にしても、限定版の特典DVDは兎も角として、ゲーム内にある番組要素は無理にねじ込んだものが多く、入れられたものもどこかずれているものばかりである。
ゲーム中に茶々を入れてくる有野少年のボイスは内容が乏しく、同じ面で何度もやられると同じボイスを繰り返し聞く羽目になったり、喋るタイミングがおかしかったりする。
AD等の登場人物は多いものの、ただ出しただけという人物も多く、ひとりひとりの内容やボイスは少なく、登場頻度などに依らず薄い内容となっている。
更に番組のネタを浅くしか理解していないと思えるネタの誤用も散見され、「ヘビーな番組ファンが担当した(開発ブログより)」とは思えないこのズレた出来は、ファンを失望させるのに十分以上であろう。
更にタッチとボタン操作の混在した操作性の悪さ、前述のようにゲームinゲーム中にノルマや攻略法の確認方法ができないなど、ゲームの快適性は低い。
レスポンスも悪く、目的地が表示されない割に場所移動をするたびに面倒なモーションが繰り返され、時間を削らされていく。
ボイスのボリュームも低く、音声の最後にぶつっと切れるような音があるなど、プレイヤーへの配慮など全く行き届いていない。
「良質なレトロゲーム」「80年代のレトロな世界への没入感」「ゲームセンターCXのファン向け要素」「それらを今の時代の快適さで楽しむための操作性」といった、
前作にあった魅力は尽く消し去られ、レトロゲーム集としての魅力も全くない。
こうして有野はレトロゲーム集ではなく、冒涜的で名状しがたい何かへと成長を遂げたのだった。
そうしてファンや住人を養分としてすくすくと育った2つの大樹の前に、本年度最大の問題作が、ゲームジャンルの彼岸から現れる。
『インフィニタ・ストラーダ』(以下「タダ」)だ。
本作は今流行の「基本無料」であり、プレイするのは無料で強いカードパックに課金するシステムを導入したよくある形態のゲームである。
そもそも粗製乱造が続くFree to Playジャンルの作品であることから、そのポテンシャルははじめ疑問視されていたが、検証が進みその巨大で醜悪な実像が顕になるにつれ、我々の誰もがそのおぞましさに沈黙せざるを得なくなっていった。
本作は対戦型カードゲームを称しており、デッキを構築して敵と戦い、敵に勝って得られたり、課金することによって得られたりするカードパックを開封、新しいカードを組み込んでデッキを構築しなおしていくという流れ自体は一般的なTCGのそれである。
その流れを繰り返し、数々の敵との対戦によってストーリーを進めていくわけだが、この作品にはその一見かろうじてまともにみえる外面からは想像もつかない味付けが施されている
本作を始めるとすぐ、劣悪なUIやお世辞にも出来が良いとはいえないキャラグラ、質の悪い音などわかりやすいクソ要素が程よくトッピングされた料理が我々の前に現れる。まあ前菜だ。
基本無料ということもあり、クソゲーによくあるその程度の壁は大したことはない。
しかしそれを乗り越えた我々が目にしたのは、先攻必勝、特定カード必須など、バランスが徹底的に破壊された闇のみのカードバトルであった。
本作のカードにはレアリティが存在し、数多の基本無料ゲームの例に漏れず、5段階のうち上位3段階のレアリティのカードは課金かオンライン対戦の報酬以外にはほとんど手に入らない。勿論相手は普通に使ってくる。
圧倒的格上に対し、技術や戦略によって勝ち星を掴むというのは、カードゲームでなくとも対戦ゲームのひとつの醍醐味であろう。
しかしこのゲームでそれは不可能に近い。課金カードの強さが圧倒的を通り越して悪質なのである。
レアリティがひとつ違うだけでこちらは一撃で倒され、相手は何度も攻撃しないと倒せない。
相手にレアリティ最高のカードを一枚でも出されたら、次のターンには全滅必至だ。
それでもストーリー序盤は一定ターンスキル発動禁止などのスキルを駆使することで、低レアカードでも相手と渡り合うことが出来る。
しかし後半に入ると、レアリティ3以下のカードの効果半減・無効化といった、無課金者殺しを徹底したスキルを使う弱い者いじめのような高レアカードが当たり前のように登場し、意地でも課金させようとしてくる。
それだけなら良いのだが、たとえ課金しても、同程度の強さ同士の対戦だと完全な「先攻有利」のゲームバランスが立ちふさがる。
配置したターンには攻撃もスキルも使用できないという「召喚酔い」が存在するため、後攻はなすすべもなく先攻に虐殺されるのだ。
まさにバランス調整を投げ捨てたクソゲーだが、ここまでなら「課金させたいから」という理由でまあ許せるだろう。
ここからが本題である。
このゲームのデッキ構築には下限がない。
また、デッキ切れのペナルティがなにもないため、初期手札以下の枚数のデッキにしてしまえば望み通りのカードを初期手札にすることが出来てしまう。
これを利用して「自分を犠牲にして特定属性の相手カードを全て墓地に送る」カードと「墓地からカードを回収する」カードを組み合わせると、相手に一切の攻撃をさせず勝利することが出来る。
所謂「除去デッキ」である。
このゲームの全てのカードは除去耐性が無いため、対CPU戦においてこの組み合わせは文句なしに最強となる。
また、この除去デッキの作成には基本的に課金を要しないため、ストーリーで登場するような高レアデッキはこれを使って粉砕することが出来る。
その結果課金の意味が全くなくなり、カードゲームとしてのストーリーモードの存在意味もなくなってしまった。
特にオンライン対戦の報酬パックから入手できる「自分を犠牲にして場に出ている相手のカードを全て墓地に送る」カードを使えばそのカードと回収カードの2枚だけで完成してしまう究極さは、多彩な戦略・戦術や構築・読み合いというカードゲームの醍醐味を完全に除去していったといえよう。
この除去デッキ、オンライン対戦でも強さを発揮する。
オンライン対戦では、手札からもスキルを発動できるという限定ルールが存在する。
その結果先攻後攻関係なしにカードを先に出したほうが負けの除去ゲームとなってしまうのだ。
そもそもオンライン対戦はプレイヤーがおらず、トロフィーや対戦報酬目当てに談合が行われる程度であり、これらのデッキが意味を成すことは殆ど無い。
とはいえもし意味を成したとしても除去を持つものが勝利するだけの不毛な戦いには誰も対戦に価値を見いだせず、談合へと帰ってしまう。
除去デッキ全盛の時代、このゲームはゆるやかに終焉を迎えた。
はずだった。
その無意味な天下はある朝発見された「先攻必勝デッキ」によって終わりを迎えることになる。
カードを場に出してすぐ攻撃ができる「速攻」を活用したこのデッキは、先攻を取った瞬間勝利が確定する究極のデッキである。
本来カード自体の能力は弱い「速攻」だが、これに「手札からスキルを発動できる」ルールを活用して最大限強化をかけることで、相手に一切の行動を許さないままダイレクトアタックで倒すことが可能なのである。
前述の除去カードを組み込むことで後攻でも必勝出来る応用性もあり、相手のターン中に攻撃することが出来ないこのゲームでは、対人戦でこのデッキに勝利することは不可能である。
ここに意味なき最強の座の争いは幕を下ろし、先攻を取れるか取れないかのコイントスレベルの戦いしか存在しないゲーム以下の何かとして、このゲームはユーザーの手によって終止符を打たれた。
現在、これらの問題点は何一つ修正されること無く、カードの追加も発売後1ヶ月半で終了、更に『インフィニタ・ストラーダ華』なるバージョンアップ版まで発表され、本作の存在価値は完全に無に帰したといえるだろう。
そして時は7月、2013年の長い冬も終わり、雪解け水を得て3つの大樹はすくすくと育っていた。
さて、実は2013年にはもともと夏の怪物が一匹存在していた。彼の者は2013年夏、アニメの放映とともに発売されることが約束されながらも延期を繰り返し、2013年末(の魔物)として期待されながらも今冬発売のまま年を超え、無限と思われる延期の中、アニメ二期の放送にあわせて見事「7/31」発売という聖杯となって姿を表した。それが夏の怪物『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』(以下「プリヤ」)である。
本作は漫画『Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ』を原作としたゲームである。もともと『Fate/stay night』のスピンアウトコミックとして連載されている作品であり、2013年、2014年とアニメ化され、更に3期の放送も決定している人気作品である。
そんな人気作のゲーム化作品である本作は、発売前にはファミ通で「4/6/4/4」の18点を記録、そのしょんぼりとしたグラフィックに多くの住民を期待に沸かせ、ファンを脱力させた本作は、その想像をはるかに上回る怪作であった。
本作の特徴は「欠けすぎたゲーム」である。
キャラゲーとしてもアクションゲームとしても、あるべき要素は存在するものの、必要最低限すら欠けている事が多いのだ。
本作にはプレイ時間が欠けている。
基本的に4人のキャラクターごとに7日間の期限まで、一日3回の行動制限で場所を選択して2分もかからないイベントやバトルをこなすだけなので、1キャラクリアに1時間もかからない。
更に手に入る技のカードは引き継ぐため2周目からは30分もあればクリアできる様になる。
全てのエンディングを見ても3時間程度という、フルプライスのゲームとしては破格の短さである。
本作にはストーリーが欠けている。
原作1期後として設定された本作は、原作で苦労して集めた7人の英霊の「クラスカード」を紛失したので7日以内に集めようという物語なのだが、チュートリアル以降そのストーリーは背景と化し、集められればGoodエンド、集められなければBadエンドである。
ストーリーに意外性やヤマ、オチ、意味は全くなく、キャラゲーとしての舞台を整えるだけの存在である。
本作にはバトルの楽しさが欠けている。
微妙に長いロードの後、レディゴーの掛け声もなく始まる60秒の対戦型3Dアクションである本作は短い制限内に敵を倒すだけのシンプルなゲームである。
しかし技を発動する「エレメントカード」が非常に強く、発動動作中は無敵であり、またカードを数発当てれば殆どの敵が倒せてしまう。
カードを集めるまでは少し大変だが、集めてしまえば負けることはなくなるし、集めるだけなら戦わなくても入手方法がある。
また、初期位置が常に同じなので2度戦えば敵の出現位置は把握でき、またロックオンの機能が優秀なのでジャンプしてロックオンすれば敵の位置はいつでも見つけられる。
そのためマップごとの差異はバトルにはほとんど反映されず、カードでの殴り合いのみの単純なゲームとなっている。
本作には味方が欠けている
英霊戦でランダムで乱入してくる他の魔法少女は、ストーリー上は味方であるが味方ではない。
彼女たちが敵にとどめを刺すと、自動的にプレイヤーは「敗北」となる。
高難易度では英霊を倒すより彼女たちに倒されないことのほうが難易度が高くなる。
本作には再現度が欠けている。
原作漫画において特徴的な、クラスカードの英霊の宝具(武器)を呼び出す「限定展開」と自身に英霊の力を上書きする「夢幻召喚」を本作でも取り入れている。
しかし本作の夢幻召喚は頭は自分、身体は英霊になるという手抜きである。
原作ではキャラに合わせた衣装があるのだが、その手間を省くためか、既存の敵のポリゴンを流用し、首だけすげ替えて仕様通りと言い張っている。
結果筋骨隆々な小学生が誕生し、スレを暴れまわることとなった。
本作には確実性が欠けている。
敵の出現場所も、出現順序も、イベントの発生場所も、発生するイベントも、手に入るエレメントカードもランダムであり、どのキャラに遭遇できるかはランダムである。
また、公式HPの情報はすべて開発中のもので、実際には存在しないマップもあり、ゲームを手に取る前から内容に確実性がない。
他にもカメラ操作に上下が欠け、タッチパネルにタッチが欠け、一枚絵はエンディングのみの8種類で収集要素も欠け、バトルの大事な要素の説明も欠け、開発スタッフのやる気が欠けていることを感じさせる。
何もかもが欠けたゲームだが、最低限だが遊ぶことは出来りようになっており、仕様書通りに最低レベルを作り上げたことが伺える。
まさにゲー無としてお手本のようによく出来た作品である。
だが、それでもいいところが一つだけ存在する。
原作ファン向けの「会話劇」である。
本作の会話イベントはかなり多彩で、敵との対戦ひとつとっても、対戦前・対戦後についてイベントが各キャラクターごとに存在している。
また、各キャラクターごとに他キャラクターとの会話イベントが複数存在し、対戦しないイベントでも選択肢が存在し、また数回の連動イベントなので奥行きある会話が一応は楽しめる。
原作での戦いを踏まえた会話や訓練、ただ単にギャグだったりとその種類も多彩でほどほどに面白い。
そもそものキャラの関係性が説明されないなど、普通のゲームとしては前提部分が欠けているものの、キャラゲーとしてはフルボイス・まあまあの内容・原作を前提としたネタなど最低限ではなく程々に作られており、会話イベントの内容「のみ」であれば、及第点だろう。
本来ならクソゲーとしては欠点となるはずの「会話イベントが普通にあること」だが、その良さを破壊するのが、前述の「欠けすぎた」要素である。
イベントは1つ1分もあれば見ることの出来る短いものだが、行動制限があるため、1周では会話イベントは一部しか見ることが出来ず、また特に意味のないストーリー上の会話なのでこのゲームの物語だからこその会話イベントはない。
楽しくないバトルを繰り返して、時に味方に倒されながら、イベントを見る単調な時間が続いていく。
特に「確実性が欠けている」のが致命的である。
イベントはランダム発生であり、どこに行けば見られるのかは運次第である。
また連動イベントのため1周で見ることが出来なければまたはじめから見なければならない。
イベントの量は少ないながら行動回数も少ないので1周で全貌を把握することは出来ず、運が悪ければ何周しても遭遇できないイベントがある。
大して量がないはずなのにそれを手に入れるのに大量の苦行を要求され、浅いのに手の届かないもどかしさは、霧の中を手探りで歩く感覚にも似ている。
原作ファンであればあるほど泥沼に引きずり込まれていくさまは、ブラックホールのような様相を呈しており、その虚無はキャラゲーとしての自らすら亡き者としてしまった。
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それぞれが多彩な個性を発揮し、自らの磨き上げられた武器を持ち、牽制しあう彼らの前に、前年猛威を振るった年末の魔物は姿を表すことなく2014年は終わりを迎えた。
長い冬の後、筍のようににょきにょきと現れてしのぎを削った彼らの戦いは、スレ住民達に熱狂を与えてくれた、つかのまの春のように優しくも恐ろしいものであった。
その戦いを制し、本年度の大賞に輝いたのは『インフィニタ・ストラーダ』である。
タダは基本無料である。故にゲームとしては「大抵の破綻は目に止められない」。
タダが大賞となった最大の理由は、ただクソゲーであるということではない。課金によってクソゲーとしての真価がみえるというその構造の、クソゲーとしての完璧さである。
一般的な基本無料のクソゲーでは、「ポチポチしてても面白く無い」「サーバーに接続できない」「ランキングが過疎で参加するだけで上位カードが手に入る」「生首が浮いている」「すぐ飽きる」など、いくら根底がクソゲーであったとしても、課金することによって「絵はまあまあなカードを手に入れられる」「ランキングで上位に入れる」「アクティブユーザー100人のうちトップに立てた」「運営に修正費を寄付した」、さらにただ「金をドブに捨てるという快感」など、課金者にインセンティブを与えるという基本無料ゲームとしての最低限の前提は守っている。
所詮は「クソ基本無料ゲーム」であり、クソゲーとしては弱い部分があるのは確かである。
しかしタダは課金しても何も得ることがない。
それどころか、逆にそのクソゲーとしての全貌が見えてくる仕掛けになっている。
課金すれば、多くのカードを手にすることで、強いカードの強さがわかり、除去の強さがわかり、除去禁止が存在しないことがわかり、先攻必勝を防ぐことが出来なく、コイントス以下であることがわかる。
課金すれば、課金する意味などないことがわかるのだ。
基本無料の部分で遊ぶだけなら、そこそこのクソゲーで終わるだろう。
基本無料のゲームを知るものであれば、こんなものかで終わるかもしれない。
しかし課金することによって基本無料の部分のクソゲーとしての質の高さが理解でき、洗練されていく。
この構造は、基本無料ゲームの枠組み「無料でゲームが出来る、課金すればもっとゲームを味わい尽くせる、本当のゲームを満喫できる」をそのままに、「無料でクソゲーが出来る、課金すればもっとクソを味わえる、本当のクソゲーを満喫させられる」というクソゲーとして完成された「基本無料クソゲー」なのである。
思えば2014年のクソゲーたちは複数のジャンルを組み合わせたものばかりであり、ゲームの根幹部分のジャンルを腐らせて、そこから枝葉のジャンルの面白さを腐らせるという二段構えで攻めてきた印象がある。
「超人」はカードゲームとしての運ゲーと飽きの早さによって、野球ゲームとしての9回までという試合の長さを「面白さ」から「退屈さ」へと変貌させた。
「有野」はゲームinゲームの多種多様なクソゲーさによって、レトロゲーム集としての価値を破壊し、ファンアイテムとしても腐らせた。
「プリヤ」は体裁しか整えようとしないアクションゲームの底辺をさまよいながらも、「会話」という小さく弱々しい花を咲かせて誘い込むことで、丁寧にキャラゲーとしての評価も潰しきった。
彼らは根幹部分のジャンルとしては褒めるところもなく腐りきっているが、
「超人」はゲームとしての面白さは運ゲーで潰しているが、野球という「体裁」があるだけで野球ゲームの面白さを潰しているわけではない
「有野」はゲームinゲームの中の幾つかは遊ぶに耐えるゲームもあり、ゲーム集としてはいくつも遊べるという点で評価はできる
「プリヤ」はキャラゲーとしての評価は潰れているがキャラは捉えており、会話だけとってみればそこそこ評価できる
など、そのゲームジャンルとしての素材本来の旨味自体は消しきれておらず、どちらかというとジャンルという枠組みを壊す、ジャンルへの梯子を外すことでクソゲーとして深化している。
それらに対してタダは、始めた瞬間からそのクソゲー臭を隠そうともせず、基本無料ゲームとして低レベルの実力を見せつけた上で、カードゲームとしても致命的に破綻している。
コイントス以下のバランスのカードゲームはカードゲーム自体の意味を否定し、ゲームの根幹部分の価値は無に帰した。
それにより課金すれば得るものがある基本無料ゲームの枠組みを否定した上で、否定したその枠組みを壊さないままに改装し、課金すればクソを得られる「基本無料クソゲー」というクソゲーと基本無料ゲームの悪魔合体を成し遂げた。
基本無料で「クソゲー」を感じさせ、課金すれば更に「クソゲー」を楽しめるという、「基本無料ゲーム」という枠組みを壊さず完璧なまでにクソゲーを体現するタダは、ジャンルが複合的なゲームの多かった本年度のクソゲーたちの中でも完成度で頭ひとつ抜けており、2014年の大賞にふさわしい作品といえるだろう。
なお、タダでは死なぬ、死んで華実が咲くものか、と言わんばかりにタダのバージョンアップ版『インフィニタ・ストラーダ華』が2015年夏に発売を控えているのは前述のとおりである。
思えば『鬼帝』も『戦極姫』も、一度KOTY携帯版から旅立った者達、そしてその子孫たちが元の住処へ帰ってくることはなかったものだが、果たして2015年はどうなってしまうのか。
タダに対するクソゲーとしての賛辞と、バージョンアップ版での改善への期待を込めて、AMGの教育理念にちなんでこの言葉を贈ろう。
「悪夢は、夢だけで終わらせてください」