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***リンク [#i60a6d0a]
-[[2013年 大賞]]
-[[2013年 次点]]
-[[2013年 総評案]]

*総評(仮) 確定は未定 [#m084de77]
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2012年は2011年度の平和から一変、
度重なるクソゲー続出による情報の交差によりプレイヤーやスレ住民を谷底へと突き落としていった。
その中で海外から糞フルプライスで颯爽と登場し、
劣悪な操作でありながら理不尽な難易度を見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー(重火)』は
2012年度KOTY大賞の名に恥じないクソゲーであったといえよう。
*2013年 総評 [#u87ed03d]
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そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、
春に訪れた2作品によるクソゲーの竜巻であった…
2012年、携帯機版KOTYスレは次々と交錯するクソゲー情報に混沌の渦へと叩き落とされた。
中でも劣悪な操作性と理不尽な難易度とともに、来日にあたって約十倍の値上げというクソの絨毯爆撃を我々に見せつけた『ヘビーファイア・ザ・チョーズン・フュー』は、大賞の称号に相応しいクソゲーであった。
そんな混沌から解放されたスレ住民達に襲いかかったのは、春一番とともに訪れた二本のクソゲー竜巻だった。
 
一年半に渡る五回の延期の末、激しいエンジン音を響かせながら風を切って登場したのは、3月7日発売、『みんなでオートレース3D』(発売:インターグロー、通称:オート)。
競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」の監修のもと、史上初のオートレースゲームとして登場した本作は、“アクションレースシミュレーション”という欲張りすぎてなにがいいたいのかわからないジャンルを公称している。
全国六ヶ所のオートレース場とオートレースモール通販のみという異色の販売方式からは「オートレース素人お断り」という男らしさが感じられるだろう。
 
今作のメインとなるのはレースを重ね“スーパースター王座決定戦”の優勝を目指すレーサーモードである。
なお、レースはハンドル操作もアクセル操作もない自動操縦で行われ、プレイヤーはコーナーごとにタイミングよくLボタンとAボタンを交互に押すだけとなっている。
「レースゲーではなく音ゲーではないのか?」と根本を否定したくなるだけではなく、灰色のアスファルトが大半を占める画面を眺め、レース状況を間違える実況を聞きながら淡々とLとAボタンを交互に押すだけの作業は虚無の一言に尽きる。
カスタマイズ機能も、パーツを替えても見た目が変わることはなく「価格が高いほど強いが使用回数が少ない」という単純さで、出走前に立てる作戦のベストアンサーが表示されることも虚無感を加速させる。
 
そうした虚無に緊張感を与えるためか、本作は強制オートセーブとなっており、レース中にリセットや電源切断をするとリタイア扱いとなってしまう。
最終目標を達成するには重要レースでの連勝が求められるが、もちろんこの間にもオートセーブ仕様は健在だ。
単調さに屈して一度でも負けてしまえばその年の成果すべてが無に帰し「もう一年遊べるドン!」という、賽の河原にいるような気分が味わえるわけである。
虚無感あふれる作業を一瞬の油断もなく続けなくてはいけない、最悪の意味で絶妙なバランスといえるだろう。
 
こうした虚無と困難を乗り越えて辿り着くエンディングは、賞金額の下に「優勝おめでとう」の文字がショボンと表示されたのちスタッフロールが流れるだけという、プレイヤー各自の想像する余地を十二分に残した、ある種心に刻み込まれる演出となっている。
 
また、現実世界のレースを予想をしてくれたり、仮想通貨を賭けたりすることのできる予想師モードというものもある。
同じ会社の競馬予想ソフトのノウハウが反映されており無難な出来ではあるが、その競馬予想ソフトは1000円で販売されている。言ってしまえば高く見積もっても1000円分の価値しかない。
予想の後はレース模様が再現されるわけではなく、ただレース後にネットにつないで当たり外れを見るだけ。レース開催日以外には使用することすらできない。
実在レーサーを自由に組み合わせて架空のレースを観戦することもできるが、登録されているレーサーの数は少なく、オートレースファンが満足するにはほど遠い出来となっている。
 
単純作業で交通事故レベルの苦痛を味わう今作こそ「ゲー無の究極かもしれない」と噂される中、ゲオが全国販売を発表したこともスレ住民を慄かせた。
JKAの「みんなでオートレース」プロジェクトは発売日以降も続いていたのだ。
 
そして二本目。春の嵐に歌声を乗せて登場したのは、3月28日発売、『Megpoid the music♯』(発売:Para Phray、通称:GIMI)。
VOCALOIDの一つ“Megpoid(GUMI)”を題材に、動画サイト等で人気の曲を収録した“リズムアクションゲーム”である本作は、発表と同時にGUMIファンやボカロファンなどから歓びの声をもって迎えられた。
しかし、本作を開発したPara Phrayが、2010年据置機版KOTY次点作『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』発売会社の新ブランドであるというニュースが流れると、不安の声が見え隠れしはじめる。
結果としてその不安は現実のものとなり、本作は発売されるやいなや、調整不足と作り込みの放棄が白日のもとに曝け出された。
 
差分を抜くとわずか七種の手抜き感満載のショボいステージ。
見れば見るほど画面酔いを誘発するカメラワーク。
場合によっては数十秒にも及ぶ長いロード時間。
だがこれだけならばまだ良かった。
表示される譜面にそってリズムよくボタンを押すゲームの筈が、肝心のBGMと譜面がズレており、「リズムに乗ってはいけない音ゲー」というまったく新しいジャンルのゲームとなっていたのだ。
譜面のズレは千差万別で予測がつかず、ズレていない譜面を見ても「これもズレているのでは?」と疑心暗鬼に陥らざるを得ない。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増加し、騒音めいたSEまでもが妨害するため、「BGMに耳を傾けない」という音ゲー全否定のプレイスタイルで臨まなければいけないのだ。
 
そんな状況に歯を食いしばり、耐え忍んだGUMIファンに待ち受けるのは発生原因不明のフリーズだ。
こまめにセーブして備えようとも、オートセーブは存在せず、セーブ画面への往復には長いロード時間が待ち受ける。
そもそも一曲終わった直後に発生することもあるため防ぎようがない。
苦労を無にされたプレイヤーの感情がGUMIに向かわないことを祈らずにいられない。
 
ではキャラクターゲーム、ファンアイテムとしての評価はどうだろうか。
ゲーム内容が酷くても、キャラクターが愛らしく引き立っていればまだ救いはあるだろう。
 
VOCALOIDはそもそもキャラクターを用いて作成された曲が一番の要となり、GUMIにもまた多くのファンを魅了した数々の名曲が存在する。
しかし、どんなに長い曲でも約90秒に雑編集され、打ち切られたように突然終わるものまであるとなれば、作詞者・作曲者、そしてファンの三者はどのような表情をするだろうか?
筆者はその気持ちを想像したくもない。
 
GUMIの衣装も曲と関係ないものばかりで、オリジナルの楽曲PVの雰囲気は出し難い。
唯一の救いと成り得た有名な踊り手たちによるダンスモーションも、前述の酔っぱらい量産カメラワークで台無しとなっている。
「コミュニケーションを楽しめる!!」との触れ込みであった“GUMIルーム”も、肝心のGUMIの反応パターンが極少で、プレゼントを渡しても中身を見ようとすらせず、会話が成り立っているのかも怪しいレベルである。
「ならば日記に感想でも?」と覗いてみれば「音楽大好き!!」程度の幼稚なつぶやきがあるだけだ。
この意思疎通の不可能なコミュニケーション不全少女を、ファンはGUMIと認識できるだろうか?
 
そう思った矢先、公式ブログで“GUMI”を“GIMI”と誤記していることが発見される。
開発側の愛の無さを物語るエピソードと言えよう。
製作者からもファンからも見放された“GUMIっぽい娘”は加害者であると同時に被害者でもあったのだ。
タイトルの末尾が示す通りに血管を(♯^ω^)ビキビキと浮かべていたプレイヤーも、その不幸な生い立ちには涙を禁じ得なかったという。
 
桜も散らす二体の門番を前に、KOTYの門を叩く者達は跡形もなく散っていき、スレ住民は「これ以上のクソゲーはないだろう」と油断し、雑談に耽っていた。
だがついに迫った師走、年末の魔物がスレ住民の前に店を開いた。
12月12日発売、『ホームタウンストーリー』(発売:トイボックス、通称:ホーム)。
今作は『牧場物語』の生みの親、和田康宏氏が手掛ける“ハートフルアドベンチャー”である。
男女を問わず幅広い年齢層から注目を浴び、楽しそうな田舎暮らしを描いたパッケージもまた否応なく期待を盛り上げた。
だがしかし、そこにあったのは「この村では暮らしたくない」と思わせる、悲惨で陰鬱な辛く苦しい生活であった。
 
一人で探索するには広すぎるマップ。
一々切り替わる劣悪なカメラワークによる3D酔い。
主人公のダッシュに近い速度で移動する村人を捉えることは困難で、ただ話しかけるだけでも先読みが必要となる。
相乗効果が3D酔いを加速させ、「田舎生活=スローライフ」と決めつけていた己を悔いながら吐き気と戦う羽目になるだろう。
操作感だけでこの始末だ。
 
メインと思われがちなお店経営はストーリーを見る為に必要な儀式の一つに過ぎない。
机型のものしかない商品棚に品物を並べ、お客が来たらレジ会計するというのが基本の流れである。
だが、棚には同一商品でもまとめ置きができず、つけた値段を記憶してくれるような便利な機能は田舎には存在しない。
商品が売れるたびに一つ一つ並べ直さなければいけないし、いちいち値段を決め直さないと初期値のままになってしまうのだ。
さらに店内に多くのオブジェクトを置くと過負荷によってフリーズというお茶目な挙動を見せることも多々ある。
スローライフをエンジョイする筈だったのが、ビクビクとプレイさせられている現実に気づき、我に返ることも少なくないだろう。
 
また、客を待たせて列を作り、商品を連続で売ることに成功すると販売価格以上のマネーがどこからともなく手に入るコンボシステムというものもある。
これを駆使すればお店経営は商品配置も値段設定もなにも考えず「客を待たせてコンボで稼げばいい」の一言で済み、工夫する楽しみが失われてしまう。
使えばバランスブレイカーとなり、使わなければ工場のライン作業のような苦行がただ長引くだけなのだ。
過酷な作業orぼったくりの二者択一を迫られるお店経営。
妙なリアリティを持ったこの箇所にハートフルな何かを見出すことが出来るのはサイコパスくらいだろう。
そんな方にはブラック企業の創業をお勧めしたい。
 
では肝心要の物語はどうだろうか。
ハートフルと謳われたイベントは、道に落ちていたり店で買えたり村人にもらえたりするキーアイテムを、所持するか店で売る事によって発生する。
しかし、キーアイテムの出現パターンは完全ランダム仕様となっており、どこに落ちているのか、いつ落ちているのか、いつ売っているのか。プレイヤーには一切告知されないのだ。
なんとかGETしたとしても、キーアイテム消失バグ、イベント進行不能バグが起こることさえある。
これらを乗り越えて見られるイベントは「おっさんに怒られる」等、思わず溜息を漏らしてしまうような苦労に見合わないものが殆どである。
 
ほかにも世界観から明らかにはみ出ている耳障りなVOCALOID製の店内BGMや、延々放置されたかと思えば衝撃の真実によって薄気味悪くなるばあばの存在。
入力してもなにも起こらない謎のパスワード機能など、“Heartful(心温まる)”と“Hurtful (心傷つける)”を勘違いしているのではないかと思わせる仕上がりとなっている。
ことに「いつも竹馬で過ごしている少年に望遠鏡を売ると夜中に竹馬で登山して死ぬ」という超展開の鬱イベントは、プレイヤーの心に胸糞悪い影を落とすだろう。
その後、殆どの村人がなにごともなかったかのように日常を送っていることも悲しみに拍車を掛ける。
こんな体験が“Heartful”だと製作者は本気で思っているのだろうか。
 
こうしてスレ住民にKOTYに相応しい大賞候補作と認められた三作が集まった。
その中で見事勝利を勝ち取ったクソゲーを発表したい。
 
それは『ホームタウンストーリー』である
 
2013年は大賞を決めるのがとても困難であった。
候補三作がどれも方向性の異なるクソゲーだったからだ。
特にホームはそのクソさが伝わりづらく、発売時期が悪いこともあって検証による掘り下げに時間がかかった。
異なるクソさを比べる議論の内容は、いつしかゲームの本質をめぐるものにまで達していた。
 
そもそも、何故人はゲームをするのだろうか?
楽しいからだ。
何故楽しいのだろうか?
先人たちがゲームの楽しさを追求した果てに、現代のゲームが成立しているからだ。
では、ゲームの楽しさとはどういうものだろうか?
自身の攻略法・技量を生かして目標に到達すること。
プレイヤー自身がキャラに成りきり目的を決めて行動できること。
答えはいくつもあるだろう。
だがすべての根底にあるのは、自らの操作・意思が反映されること――つまりは「遊べること」ではないだろうか。
 
確かに、今年の三作品はすべてがプレイに苦痛をともなうものだ。
しかし、オート・GIMIにはゲーム特有の緊張感がある。
苦渋や困難は味わえども、最終的には自力でクリアーできる。
その際にはゲームならではの緊張からの解放感が得られる。
苦しみを乗り越えたという「遊んだ」記憶が残る。
 
だが、ホームはどうだろうか。
プレイヤーの思うままに生活するという箱庭ゲー特有の自由度は、諸要素が極限にまで削減されているため存在しない。
ほぼ唯一の目的となるイベントは殆どが退屈なばかりか、ときにプレイヤーに牙を剥くHurtfulストーリー。
そしてそのイベントを進行させようとも、目的も仕様も不明瞭で、殆どが運に左右されるランダム仕様のため、自力で考え、解決していくことはできない。
ノーヒントでただただ放置されるこの苦しみから、いつ解放されるのか、どうすれば解放されるのか、プレイヤーが知る術はないのだ。
自分で選ぶことができず、なにが正解かもわからないものを運だけを頼りにただ待ち続ける行為を「遊ぶ」と呼ぶことができるものだろうか?
 
今作について、プロデューサーの和田氏は「古き良き手探り感を出した」と述べている。
 
確かにかつて、そうした手探り感をもつ古き良き名作はあった。
だが古の時代にはその意味不明さと苦痛とでプレイヤーを苦しめた、邪悪の結晶ともいうべき「古き悪しき」作品もまた存在したのだ。
 
スーパーモンキー大冒険……未来神話ジャーヴァス……たけしの挑戦状……。
いずれも劣らぬ忌まわしき伝説のクソゲーたち。
ホームをプレイして想起されるのは彼らの方だ。
先人たちが積みあげてきた進化を敢えて捨てるという和田氏の試みは、禁忌の邪神を蘇らせてしまったのだ。
 
ゲームはプレイヤーの声に答えながら、より自由に、より物語に入り込めるように、よりやりこめるように、つまりはより面白くなるように進化してきた。
その進化を捨て去り全力で退化した挙句「運」にすべてを任せたホームの姿は、まさしく大賞に相応しいものであった。
こうして"年末の魔物"として姿を現したホームは、スレ住民に検証する事の大切さを説くと共に、KOTYの王冠を手にしてしまうこととなった。
また携帯機版KOTYでの"年末の魔物"の勝利は2009年以来の久々のものとなったことも記しておこう。
 
携帯機版KOTY2013は恐ろしい年であった。
仕様通りに作ったら虚無ができてしまったオート。
手抜きに手抜きを重ねた調理の結果、高級食材が劇物と化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない「運」をたたき付けたホーム。
この三作はいずれもブランド力を備えていたにも関わらず、ファンを裏切る形となってしまった。
特にホームはゲームショップ等での広告、海外先行販売、少女漫画雑誌4コマ連載と、宣伝に宣伝を重ね、パッケージソフトとしては低価格なこともあり、その勢い衰えることなく他国にまで手を伸ばしている。
最高に最悪なクソゲーと言えよう。
 
最後にホームの開発スタッフ、検証の為に散っていった者達、そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、古代ローマの偉人セネカの言葉を拝借して2013年度KOTYを締めさせていただきたい。

1年半に渡る5回の延期を重ねついに激しいエンジン音を響かせながら登場した1本目のソフトは
3月7日発売、3DS専用ソフト『みんなでオートレース3D』(開発:インターグロー、通称:オート)
このソフトは競輪・オートレースを管轄する公益財団法人「JKA」が監修している
史上初のオートレースを題材にしたゲームであり、
当初、全国6箇所のオートレース場とオートレースモールの通販でのみの限定発売と
"オートレース初心者お断り"という男らしい販売方法でスレ住民に挑戦状を送りつけた。

画面の大部分を灰色のアスファルトを占め、レース状況を間違える実況ボイスを聞きながら
コーナーで「L」と「A」ボタンを交互に押すだけのレーサーモードは、
コーナー以外の場所はアクセル・ブレーキ等の操作ができない自動操縦であり、
プレイヤーから「レースゲームじゃなくて音ゲーではないのか」と言われる始末。
カスタマイズ機能は「高いパーツ買ってレースに勝てばいい」の一言で済むのだが、
肝心のパーツの性能が高ければ高いほど使える回数が少ないので使い勝手が非常に悪い。
単純な作業のはずなのにレーサーモードの目的である"スーパースター王座決定戦"は
その年の優秀な選手しか出場することができず、
出場するためには該当する月に開催される大会で全て優勝するか、自らのランクを上げておかなくてはならない。 
それなのに敗北すると今までの成績がリセットされたかのようにもう一度全てのレースをやり直させる理不尽仕様。
敗北したら"電源消して一からやり直す"という考え方も電源を切ると強制的にリタイア扱いになるのでやり直しが一切効かない。
すべてを乗り越え頑張って優勝しても特別なエンディングはなく、
優勝賞金に"優勝おめでとう"の文字が添えられるだけのしょぼいグラフィックが表示される。
これを見たプレイヤーは今まで何のために頑張ってきたのか頭を抱えるだろう。

実際に行われているレースのデータを受信して予想してくれる予想師モードは、
同じ開発会社からでている競馬の予想ソフトのノウハウがありそこそこいい出来ではあるが、
その競馬の予想ソフトが1000円であり、
言ってしまえば1000円分しか元が取れていない。
さらに、"ネットに接続する事"と"レースの出走時間直前での予想"が条件になるので、
2つの条件が全てが満たされていないと使えない。
これの為だけにゲームを買うのであれば、
実際のオートレースでお金をかけた方がまだ有意義である。

少ない作業でセカンドインパクトレベルの苦痛を味わうオートを
スレ住民から"ゲー無の究極形態"と言われ恐れられる中、
まさか全国のゲオでの販売が開始されるとは誰も思いはしなかっただろう…

そんな中、2本目のソフトがKOTY会場に歌声を響かせた。
3月28日発売、PSP専用ソフト『Megpoid the music♯』(開発:Para Phray、通称:GIMI)
"VOCALOID"の中の一つ"Megpoid(GUMI)"を題材に、
無料動画サイト等で人気の曲を収録した音楽ゲームとして出された本作は、
GUMIや収録された曲のファンなど多くの人が楽しみに待たれていた。
…しかし、このゲームを開発した"Para Phray"の大本が、
2010年度KOTY据え置き版次点『ラブルートゼロ Kisskiss☆ラビリンス』の販売メーカーであり、
それを知っている人達の不安の声も聞こえた。

結果としては、期待よりも不安の方が現実となってしまった
このゲームには、どこをとっても”調整”や”作り込み”の跡が感じられないのである。 
差分抜いて全7種類で手抜き感満載のしょぼいステージで、
画面酔いしやすいカメラワークの中、
GUMIが音楽に合わせて踊りつつ、
画面に表示される譜面を音楽に合わせて押す。のだが…
その肝心のBGMと譜面がズレていて音楽に合わせられないのだ。
ズレは千差万別であり、ズレてない譜面を見ても「ズレてるんじゃないか?」と疑心暗鬼になってしまう。
しかも難易度が上がるにつれてズレも増えていくので、
ズレを回避するには"BGMに耳を傾けない"と音ゲーを全否定しなければならない。
そんななかで頑張ってクリアーしても、
発生原因不明のフリーズにより唯一のセーブ手段である手動セーブすらさせてもらえず、
苦労が水の泡となったプレイヤーは涙目であろう…

ではキャラクターゲーム・ファンディスクとしてはどうだろうか?
ゲーム内容が酷くても、キャラクターがかわいく引き立っていればまだ救いはあるのではないだろうか?
GUMIのような"VOCALOID"はそもそもキャラクターだけではなく、
GUMIを使って作った"曲"が一番の要となってくる。
しかし、肝心の曲が"どんなに長い原曲でも90秒に雑編集"で突然打ち切られたかの様に終わるとなれば、
作詞者・作曲者の気持ちを踏みにじるものだ。
GUMIの衣装も誰が作ったのかわからない微妙なものでありほめられるものではなく、
使おうとしても、ロードする時間が長くなる上にフリーズする確率が上がるので使う気にはなれない。
唯一の救いだったかもしれない"踊ってみたで有名のダンサーによるGUMIのダンス"は、
酔いやすいカメラワークで台無しにしてしまって元も子もない。
おまけ的存在である"GUMIルーム"も、
発売前に「コミュニケーションを楽しめる」と言われていたが、
反応パターンが非常に少ない上に、会話が成り立っているのかも怪しいレベル。
プレゼントを渡しても中身は見てもらえず、日記も「音楽大好き!!」程度の内容。
これを見たプレイヤーは(♯^ω^)ビキビキと血管が浮き出てくるだろう。

また、ニコニコ生放送で行った公式生放送ではGUMIのモーションだけ1曲分見せたものの 
肝心の音ゲープレイ画面は全く見せなかった点、
公式ブログでGUMIをGIMIと誤記している点は、
開発側のGUMIへの愛の無さを物語っていると言えるだろう。 

開発側からもファンからも見放された"GIMI"は、
加害者でもあり被害者であったのかもしれない。

こうして春に2本のクソゲーが登場した。
しかし、そのレベルの高さから後に現れた様々なクソゲーがその姿を消していった。
住民からは「これを超えるクソゲーが来るのか?」と不安の声が上がる中、
とうとう、恒例の"年末の魔物"がスレ住民の前に店を開く。
12月12日発売、3DS専用ソフト『ホームタウンストーリー 』(開発:トイボックス、通称:ホーム)
人気シリーズ"牧場物語"の生みの親である和田康宏氏が手掛けたハートフルアドベンチャーであり、
店を経営しながら住民と過ごしていくスタイルは、
牧場物語ファンやこの手のゲームが好きだというものに大きな期待を寄せられていた。
しかし、ふたを開けたプレイヤーに待ち受けていたのは、
「この村で暮らしたくない」と言いたくなるものであった。

まず、移動面を見てみよう。
上画面が3Dマップ、下画面が上空視点の簡易マップになっているのだが、
マップが大してやれることがないのに無駄に広く、
後にでてくるワープ機能が使えるまで移動するのにすごい時間がかかってしまう。
そんな中でいざ主人公を動かしてみるとしょっちゅうカメラが切り替わる為、3D酔いが発生する。
スティックをそのままにしているとカメラが切り替わる際に変な方向に向かってしまう所もあり
否が応でも慣れないといけない。
その上さらに、歩いている住民に走って話しかけようとすると、
主人公の走る速さより少し遅いくらいの速さで歩いているので、
遠くにいる村人に話しかけるとなると道を覚えて回り込まなければならない。
3D酔いしやすいカメラワークに加えてこれではプレイヤーも報われない。

次にお店経営はどうなのだろうか?
このゲーム、当初はお店経営がメインなのかと思われていたが、
実際メインなのは"ハートフルなストーリー"であり、お店経営はイベントのきっかけにすぎないのだ。
では頑張って経営してイベントを起こそうにも、
レクチャーしてくれるキャラがあまりにも不親切な為肝心なところを何一つ教えてくれない。

では、そこを乗り越え経営をいざ始めてみよう。
プレイヤーはまずどう見てもテーブルにしか見えない棚に商品を置き、
客が商品をとってレジに向かうのを待ち、レジで会計処理をするシンプルなものなのだが、
一つの棚に商品が一つしか置けない仕様の為
プレイヤーは商品が売られる度に商品を補充しなければならない。
店を拡張して棚を増やすと、さらに補充する数が増えるため落ち着けない。
商品の価格も変えることはできるが価格を一切記憶してくれないため、商品を置く度に値段を設定しないといけない。 
設定するのが面倒くさくても、設定しないと仕入れ値の一割増し程度の価格でプレイヤーの利益がほとんどなくなってしまう。
一定時間内にレジで会計処理をすると加算され、価格がアップする"コンボシステム"は
客側としてはレジで散々待たされて挙句の果てに大損するものであり、
「じゃあ、コンボシステムで稼げばいいじゃん!」と思っていざやると、
コンボ中にフリーズするバグが存在している為、失敗すると朝起きて商品を置くところからやり直しになる。
手を抜こうにも店の売り上げやコンボがイベントの発生に関係しているので真面目にやらなければならない。
どの道に行ってもプレイヤーに「俺達は辛い労働作業(お店経営)を強いられているんだ!」と言わせるお店経営を、
いったい誰が楽しめるというのだろうか…

上で触れたイベントについて詳しく延べてみよう 
イベントの9割がキーアイテムを所持していることで発生するのだが、
入手可能場所が不明な上に出現がランダムであるため、
いつ村で拾えるか、店で売ってるか分からないから 
今行けば落ちてる(売ってる)かもしれないと結果的に無意味に彷徨うことになる。
普通ならばプレイヤーが迷わない為にヒントやリスト等の救済策があるのだが、それが一切存在しない。
さらに、依頼された住民からも依頼した以降何一つ依頼についての発言がない。
そこからやっとキーアイテムを手に入れても次の日に何故か消えるというバグがあり、
これを見たプレイヤーはポルナレフ状態になること間違いないだろう。
そして、イベントを発生させるためにお店にキーアイテムを並べて目的の村人に売るのだが、
一部で別の村人がキーアイテムを買ってしまうという事態が発生する。
しかもキーアイテムは1回しか落ちないのでもう二度と手に入らい上に、ゲーム内での救済策が何一つない。
早めに気づいて前のセーブデータからプレイするか、データを消して最初からやり直す事態になるのだ。
つまり、攻略するにはプレイヤーの運と記憶たどりに探し、住民と商品を監視し続けなければならい。
では、それを乗り越えたらイベントが見れるのかというとそうではなく、
見たいイベントがあっても見ていないイベントがあると発生しないものもあるのだ。
これは公式側で「イベントの進行具合で矛盾が起きないように設定されている」ものであり、
その壁にぶち当たるとプレイヤーは運頼りに目的のイベントにつながるイベントの為のキーアイテムを探さなければならない。
そうしてやっとイベントを発生させてみたものはどこまでもあっさりとした内容で、
期待して頑張って努力をしたプレイヤーの心を根こそぎ奪っていくのだった。

なお、和田康弘氏が"自分のお店に親しみを持ってもらうために採用"した耳障りで変えられない店内BGMや、
放っておかれた挙句、真相にたどりつくどころか薄気味悪さしか残らないばあば、
とあるイベントを起こすと”いつも竹馬に乗っている少年が夜中にひとりで竹馬で登山して死んでしまう" 
という常識人からしたらわけのわからない出来事等、 
人の心を根こそぎ奪い取っていくような要素は他にもある。 
もしかしたら開発側は"Heartful Story(心温まる物語)"を 
"Hurtful Story(心傷つける物語)"と間違えたのではないだろうか? 

こうして、2013年度は3つの候補が上がった。
どの作品もそれぞれの糞要素を持っており、
プレイヤーに地獄を見せた作品である。
そんな中、2013年度KOTY携帯機版大賞を発表したいと思う。

それは、ホームタウンストーリーである。

前にも記しているが、2013年の3本はそれぞれの糞要素を持っている。
オートの"苦行ゲー無"、GIMIの"作りかけから生まれた何か"、ホームの"アイテム入手運ゲー"
これらはどれも許されるものではない。
では、何故"ホーム"が大賞に輝いたのか…
それは"運"だけが頼りという事と、ストーリーがあるからこその弊害だ。

何故、我々はゲームをするのだろう?
多くのゲームには"達成感"がある。
ゲームの腕を上げたり自分なりの対策を練る事で、その過程で楽しみながらクリアーする事で達成感を味わえる。
その達成感を得る為にゲームを求め、楽しむのだろう。
今年の3作は確かにプレイする事で苦痛を味わうが、
オートとGIMIにはそのゲームの目標を目指す事により自身でクリアーした事での達成感や解放感は味わえるのだ。

では、ホームはどうだろう…
この手のゲームでは、ヒントを頼りに住人の求めるアイテムを探し出す事によって、ご褒美であるストーリーが見られるようになる。 
これが達成感につながるわけだ。 
しかし、ホームの場合は求めるお店経営・キーアイテム・イベントの全てが"運" であり、ヒントもなければ対応策も練ることができない。 
それらをすぐに見つけられたとしても"運が良かった" だけであり、"自力でクリアーした" 気にはなれないのだ。
その上村人に聞いても依頼の話は一切無く、頑張って探しているプレイヤーは探している事が馬鹿馬鹿しくなってくる。
誰も助けてくれない中プレイヤー自身で解決する事ができない状況がどこまでも続き、
目標が見えてこない為達成感を味わう事も出来ない。
しかし、ホームの真の恐ろしさはそれでも続けさせようとするものであった。

当初スレでは「ストーリーがある分、内容がないものよりマシ」と言われていた。
確かにストーリーはその人の感じ方によって良いものや悪いものに分かれる。
けれど、いいものがあれば人はそれをさらに求めて探し続ける。
それが例え苦痛しかない労働を強いられたり、薄くあっさりとした内容であっても、
より良いストーリーを求め、続けていく。
つまりオートやGIMIはストーリーがない分、嫌と思ってやめても後腐れなく終える事ができるが、
ホームはストーリーがある分、やめようと思っても続きが気になってやめられなくなるのだ。
最初はほんわかとした雰囲気で出迎え、入った瞬間に地獄のような労働作業を強いる。
それでもプレイやーは素敵なストーリーを求めて作業を続ける。
そして最後に残るのは、奇妙な謎に対する薄気味悪さとやり続けた後悔である。
今までこのようなゲームが存在しただろうか…?
この絶望感については、「古き良きゲームの手探り感を表現した」とのコメントを述べた 
プロデューサーの和田康弘氏に小一時間程問い詰めたいものである。 

今年の携帯機版はある意味恐ろしい年だったであろう…。
"仕様通りに作ったらできたものが虚無"であるオート。
高級食材を手抜きに手抜きをした結果劇薬物へと化したGIMI。
人の手ではどうしようもできない"運"をたたき付けたホーム。
この3本は"ブランド力"を使ったにもかかわらず、
調理した方向・目指したものがおかしくなってしまい最終的にはファンを裏切る形になってしまった。
特にホームはオート・GIMIより低価格な分人の手に取りやすい価格や、ゲームショップ等での宣伝、海外先行販売等と
宣伝に宣伝を重ね、興味を持って買ったプレイヤーをどん底に突き落とした。
ある意味、最悪で最高のクソゲーであろう。

また、ホームは"年末の魔物"として携帯機版KOTYでは久々の勝利であったことも記しておこう。

最後にホームの開発スタッフ
検証の為に散っていった者達
そしてこれからクソゲーに触れるであろう者たちに向け、
とある偉人の言葉を拝借しこの2013年度KOTYを占めたいと思う。

「運は我々から富を奪うことはできても、 勇気を奪うことはできない。」
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&color(red){※結論のみの引用や、改変抜粋を伴う転載はご遠慮ください。};